第13話 会話と通話と美味しい料理


 莉緒達三人は、皆で広い居間を見回した後で圭と美織に断って台所を借り、今はタッパーに入れた料理を温め直したり皿に盛りつけたりしている。


 莉緒は菜箸を使いながら、もう何度目か、玉ねぎを拾っては取り落としていた。


(アレは…。圭君の、親戚のお姉さんは……。美人で、スタイルがすご、すごかった。本当にああいう人って、実在するんだ……)


(美織って、呼んでた…。のは、普通なのかな。でも圭君もさっき、見た、よね? ていうか、普通に「すまない」って。「暑がりで、着たがらないんだ」って。いつもみたいに言っていた。え、見慣れてるってこと…? あんな、え…)


 莉緒は自然と目に入る自分の胸部を見る。


(最近やっとちょっと…でも全然……いや、違くて…!)


「どしたの、りっち。顔赤いし」


 プルプル首を振っていた莉緒にりょうが声を掛ける。


「ううううん! りょうちゃん!」

「わ、うん」

「あとはサラダ! を、盛りつけたら終わりかな?」

「そうだけど。え、何かりっち、元気いいな」


「男子に料理食べてもらうなんて、普通ないからねー」と沙雪が流しの方を向いたまま、笑みを含んだ声を挟む。


「え、いや……」

「ああ? なんそれ? りっち、そうなの?」

「ちが…違うよ?」

「だよな。それどころかさあ……ったく。もったいないなあ」

「こら、りょう」


 沙雪が居間の方に聞こえかねない音量の発言を咎める。

 そして手の水気を切ってから振り向いて、「りっち、サラダはやっとくから、盛りつけたのを向こうに持って行ってくれる?」と莉緒に声を掛けた。


「う、うん」


 莉緒が盛り付けの終わった料理をトレーに載せて両手で持ち、居間に入っていった。

 沙雪はそれを見送ると、りょうの傍らに近付いてから声を潜める。


「基本ここからは、あたしに任せてもらっていいかな」

「ん。てか、最初からそのつもり。でも、あっちの”お姉さん”の方は? どうだった?」

「……圭君と同じくらいの、魔力持ち」

「そうか……。それって、どうなんだろうね」

「分からないけど、最後は、昨日りょうが取ったのと同じようなことを実行するかも。その結果によってはお姉さんとの二対一か、下手したら二体二になる」

「ん、望むところ。そしたら任せとけって。だからまずは、頑張れよ沙雪」


 沙雪は少し緊張した面持ちで頷く。そして、台所まで持ち込んでいた鞄にそっと目をやった。




 幾つもの大皿に盛りつけられた料理が座卓の上を華やかに飾っていた。

 焦げ茶色の無骨な湯呑に刺した二輪の青いネモフィラの花が、控えめながらそれに彩りを添える。配膳を待つ間に、と、圭が庭に自生していたものを摘んできたのだ。

 にまにました美織と、「さすがだにゃあー」「何が。普通だろう」という会話は、部屋に二人しかいないうちに済ませている。実際『紅仙』では木和に言われてよくやっていたのだ。


 座卓のお誕生席に美織が自然に座り、女性陣達による配膳が終わると、更に自然に「そこ座んなよー」と自分の右手に圭と莉緒、左手に美織とりょうを座らせた。

 りょうは聞こえないふりをして莉緒の横に行こうとしたが、美織の「そこ座んなよー」が更に無邪気に被さり、仕方なく沙雪の隣へと腰を下ろす。

 座卓にはあと十人は座れるスペースがあったが、片側に寄ったかたちだ。


 ちなみに圭が三人を居間に案内したときのことだが、美織に居間の片付けを依頼後に圭がチェックを怠っていたため、座卓の”一か所に集められていた”ゴミや書付などは来訪客の目の前で圭が片付け、簡単には捨てられないものは圭の後ろに置いてある。

 このことで既に圭は、美織に頼んだことはもう何一つ信じない、と店長めいた決断をしていた。掃除も、衣服もだ。



 皆が席につき、座卓の上に並べられた料理を見渡した。


「これはすごい、な。想像以上だ」

「そう、かな。言った通りちょっとお肉が多いかも」


 圭の心からの感想に、莉緒が答える。


「いや。実家でもこれほど豪勢なことはなかった。これは楽しみだ」

「ねえー? ほんそれ。あっちのモソモソ料理に比べりゃ、もうパーティーみたいだねえこりゃ。お料理女子って偉いんだなあ」


「あの…。お料理食べる前に、改めまして挨拶を。私は熊野沙雪で、こっちは茜りょうです。で、あの子が料理をメインで作ってくれた、久美野莉緒」


 満面笑顔の美織の方へ正座の向きを変えて、沙雪が代表して三人の紹介をした。


「あー、はーい。こっちは美織ちゃんっすー、圭君がお世話になってますー。よっしくね?」

「はい。美織さんですね。あの、苗字は圭君と同じ、結野でいいんですか?」

「ん?」


 美織が片眉を上げる。

 内心緊張していた沙雪に向かい、美織はすぐににっこりと微笑んだ。


「んー結野じゃないねー。えっとあたしはー、イマワ美織っすー」

「イマワ、美織さん。初めまして。あの、何ていうかその恰好、すごく可愛いです」

「ん、ほんと? えっへへえ、そうかなあ」

「今日はいきなり来て上げてもらった上に、こんな、ご飯まで一緒に。何だか図々しくなってしまってすみません」

「なーに言ってんのー。ゴチになるのはこっちなんだから。もう大感謝っすよ。ねえ圭君」

「ん。そうだな。…その、食べないか?」


 美織と話させておくのをなるべく避けたいのもあったが、実際並べられた料理からは抗いがたい美味しそうな匂いが漂ってきているのだ。

 カップ麺などの薄っぺらで化学的な”いい匂い”ではなく、手の込んだ料理が醸し出す、奥行きを持った”いい匂い”。


「そうね。じゃあ早速、食べましょうか。いい? りっち」

「う、うん。どうぞ。お口に合うかは、その、あんまり自信ないけど」

「なーに言うのー。もうこれ見た目から匂いから美味いに決まってんじゃん! ではではそんじゃー、いっただきまーす!!」


 五人はそれぞれ菜箸と小皿を持ち上げて、お目当ての料理へと手を伸ばし、取り分けていった。


 沙雪は自分が味付けた生姜焼きを口に運んで、まあまあかな、と心中で頷く。

 そして先ほどの美織の自己紹介について、こっそりと考えを巡らせた。


 魔女界というものは、薄くて広い。範囲は世界中に散らばっているが、人数は『只人』に対して0.8%程度とかなり限られているのだ。そのため何かことを為すと名が知れ渡りやすく、意識していれば苗字を聞くだけで繋がりを憶測可能なこともある。

 そして実際今も沙雪の記憶に、(イマワ…。イマワトミ……)と該当する魔女の名前があった。

 周りから”おトミさん”と呼ばれていたらしい、戦前戦中の頃の魔女だ。最も新しい流通魔具はそのおトミさんの作で、また、魔具開発以外にも数々の伝説を残したと言われている。

 もし圭が魔士だとしたら……と沙雪は緊張を高める。美織が忌と繋がりがある魔女であるという可能性も高まり、そしてそんな高名な人が血縁だとしたら、美織も、そして圭の実力も相当のものであるということになる。


 だけど、なのに。

 魔力がない。

 ないという程ではなかったが圭と同じくかなり微弱で、果たしてこれであのおトミさんと繋がりがあると言えるものなのか。彼女の伝説の中には個人で災害を”抑えた”という逸話もあったはずだ。

 それともたまたま同じ苗字の、魔力持ち家系の『只人』なのか、または全く関係のない魔女家系なのか。それが沙雪にはまだ判別が付かなかった。今羽や井間和など、『忌』とは漢字自体が違う可能性もある。

 奇人変人は意外と多くない魔女界ではあるが、美織の奇抜な恰好というのもそれだけではあまり参考にはならない。”着ぐるみの魔女”で引っかかる知識や噂などあるはずもなかった。

 結局、思い当る苗字はあったが美織については何も判断できない、ということになり、沙雪は内心で渋面になる。


「うんまー! やばいっすよコレ、ゲロうめえ! ねえ圭君!」


 そんな美織はといえば、料理に次々と手を伸ばしながらはしゃいだ声を上げている。

 意外なことに箸使いや食べる姿勢は洗練されたもので、発する言葉とボリューム以外の行儀作法はあるようだった。


「ああ。まずは発言に気を使えと言いたいところだが、でもこれ、本当に美味いな」

「そ、そうかな。大丈夫だった?」

「どれも外れがないどころか、全部当たりだ。何に箸をつけても美味い」

「ほ、ほん…。は…ありがとう…。あの、沙雪ちゃんとりょうちゃんと、三人で作ったんだよ?」

「ふふ。あたし達は教わりながらね。りっちはほんとに料理上手なんですよ? あたし達の先生なんです」


 りょうは沙雪の隣で満足そうな溜息を何度か付きながらモクモクと食べていた。

 うわべの会話もこなしながら沙雪は色々考えを進め、そしてふと目に付いたことを口にする。


「お二人とも、眼鏡なんですね」

「あー。ね、家系かねー」

「コンタクトにはしないんですか」

「あはは、さすがにコンタクトは難易度高いって」

「難易度?」

「あー。ほらさあ、付けるのとかがねー」

「君らは? みんな目はいいのか」


 味付けに頷いて食べていた圭も三人の視力を聞いたりと会話に入った。

 りょうと莉緒の視力が2.0というのは驚きだった。

 そこからしばらく眼科やかかりつけの話になり、次は近辺の遊び場や休日何をしているかなどと、五人(主に四人)の会話は自由に移ろってゆく。


 ふと、会話の合間、圭がゆっくり視線を巡らせて莉緒、沙雪、りょうと見回したことに気付いて、沙雪が声を掛ける。


「圭君、どうしたの? あたし達を順番に見たりして?」


 少し揶揄いの声音を含んだ質問。それに圭が答える。


「いや、どうってことでもないんだが…。今気付いたんだけど、三人ともすごく髪が綺麗なんだなって思って」

「え、あ……。ち、ちょっと、圭君ねえ。雑談ついでに思いついた、みたいに、真顔でそういうこと言うのは……」

「うん?」


 莉緒も箸を止めて何故だか皿を見下ろして固まっている。

 何がいけないのか、と圭は考える。悪いところを言っても仕方ない。猛禽を捕まえておいて目つきを直せと言っても仕方がないが、人を褒める分には……、と思いながら圭が何とはなしにりょうを見ると、彼女はみんなどうした? という顔でもっくもっくと咀嚼していたが、圭と目が合った瞬間に条件反射の様に睨んできた。

 …ほら、と圭は思う。


「まあ、三人とも、同じシャンプーを使ってるからね」

「あ、そうなのか」

「そ。りっちのママのお気に入りが、りっち、あたし達の順で伝わってきて」

「へえー」


 圭が横を向くと、莉緒は圭側の左手で自分の頭を押さえて俯いたままだ。

 美織はなぜかにやにやと箸の先でロールキャベツを剥いだり着せたりしている。

 自分でも分かってはいたが、圭が喋ると時々よく分からない雰囲気になることがある。圭は小さく息をついて、しばらく黙っておくことにした。



 ――それから、また暫く。



 女子メインのお喋りの中で、微かにちりん、と、鈴が鳴った。

 気付いた莉緒がそちらを向くと、圭の携帯が畳の上に置いてある。

 見ていると、静止したままそこからまたちりんと音が鳴り、それと同時に、圭が携帯を取った。

 着信音かな、と思ったが圭は画面を見もせずにポケットに仕舞ってしまう。

 莉緒が首を捻っていると、圭が振り向いて口を開いた。


「莉緒。おかずで余った分っていうのは、台所に置いてあるんだよな」

「あ、うん。何かいる? よそってこようか」

「莉緒? いま”莉緒”って?」

「いや、いい。そのちょっと、見てくるな」

「”莉緒”? いま”莉緒”って?」


 圭は腰を上げる。

 莉緒は軽い疑問を持ちながらそれを見送った。

 因みにりょうは莉緒とは別の強い疑問と、殺気とを持って、箸を止めて圭の背中を見つめていた。


 1,2分程度で圭は居間に戻り、後ろ手にドアを閉める。

 居間では美織のPCの話に移っていて、初めはそれを沙雪が聞いていたが、そこから美織がハマっているゲームの話に移ると意外なことにそれにりょうが食いつき始めたところだった。


「それで? 武器ってどうゆうのがあるんすか?」

「そりゃあコンバットナイフからグレネードまで、単体武器なら何でもあるよー? ハンドガンでも口径によって撃ったときの反動やブレの大きさ変わったり、ナイフでもフットワークとか回転ジャンプの視点とか、とにかくこまっかいリアルさに拘ってる作品でさー」

「へえー、へえー? 敵は? 敵の動きとかも実戦に近いんすか」

「もちのろんよー。もうヤバいよ、実戦より実戦。白兵戦だと向こうが動く寸前に息遣いが一瞬止まったりさあ。動きのリアルさもヤバくて。ありゃあー絶対視線計測機とか三次元距離画像技術とかを駆使しまくってるね。美織ちゃんには分かる」

「へえー。すげえな」

「息遣いや悲鳴は千差万別で、本物の本物を録音してんじゃないの?っていうぐらい。まあだったらヤバいけどねー、アハハ」

「へえー。へえー」


 前のめりのりょうと、微笑みながら聞いている沙雪を目の端に入れながら圭は元の席に戻り、また箸を持つ。


「こんにちは? そろそろご飯も終わりかしらね。美味しかった?」


 それは発言ではなく、沙雪から圭に届いた、【通話コール】だった。


 圭は追加のロールキャベツを自分の皿に取り、莉緒に「例えばこれだったら、どれくらいで作れるんだ」と質問する。


「ちょっと、さっきはびっくりしたわ。あんまり男の子ってそういう、女性の髪褒めたりとかしないと思ってたから。でもまあ、それはそれ、なんだけどね?」


 一呼吸分の合間。圭は莉緒の説明に頷いている。


「これって、困りものよね。敢えて意識したことなかったけど、【通話コール】って相手が習得してるか分かってないと、聞こえてるかどうかも分からないっていうの不便なんだね。まあ圭君が魔士だと仮定したら当然出来るだろうから、勝手に話すね?」


 そのまま各料理の手間や時間の話を莉緒から聞いている圭に、沙雪からの話も続いていく。


「今、これコールには一応、りょうも入ってるから。あ、りょうは聞いてるだけでいいよ? 美織さんと話しといて」


「…でね? 圭君が弱いながら魔力持ちっていうのは、もう分かってます。そう、美織さんも」


「あたし達がここに来たのは、そちらの意思の確認。ごめんね? 料理を食べてもらうのが目的じゃなくて」


「確認したいのは、貴方が魔士なのか違うのか。そして魔士や魔女だとしたら、あたし達に対して貴方が、または美織さんが、何か思うところがあるのかないのか。それを聞いてあたし達も、一旦安心するのか、ちゃんと敵対するのか、それを決めたいの」


「りっちの隣に突然魔力持ちが引っ越してきたのを、偶然と言ってスルーするわけにいかなくてね。勝手で悪いけど、最悪今日は魔士かどうかだけでも、確認させてもらわなきゃいけない」


 沙雪が圭の方を向いた。

 笑顔で口を開く。


「そろそろお腹いっぱいね。どう? 圭君は、どれが気に入ったかしら」

「んー。そうだな。ロールキャベツの味付けと、あと実はサラダのドレッシングがすごく美味く感じた」

「あら、ら」


 沙雪がりょうの方を向いて「聞いた?」と言う。

 「ん。ん?」と目を左右に振ったりょうは、美織のFPSの話と【通話コール】の内容、更に圭の料理の感想とを処理しきれなかったようだ。


「流石に傷ついちゃうわね。そこはりっちが全部担当したんですー」


 沙雪が可愛く拗ねてみせたような声を出す。

 俯いて赤くなり始めてる莉緒を圭が見て、「そうなのか?」と問う。


「あの、料理は…好きで……」と莉緒は繰り返す。


「もちろんもしあたし達と敵対関係だったら、こうやって尋ねただけじゃ答えてくれないのは分かってるわ。その方がそっちにとったら優位をキープできるものね」


 沙雪は莉緒の様子を見て「照れてる。かわいー」と笑い、りょうも隣で「ほんとだ。可愛い」と言いながらこくこく頷いていた。

 美織はPCとゲームについての熱弁が一区切りついたのか、座卓にもたれながら、満足げに微笑んでいた。


「で……あたし迷惑な札をたくさんね、持って来てるの。圭君から返事がないようならこれから使わせてもらうわ。そうね、ほんとに貴方が『只人』なら…、まあちょっと、体調を崩すくらいよ」


 沙雪は食後の満足した空気の漂う中、「ほんとにもう。適わないなあ、りっちには」と言って莉緒と圭とに微笑みかけた。





 圭はストラップの付いていない携帯をめくらで撫でる。


五感強化ハイアイント


 本当は料理を味わう前に付けるか迷ったぐらいだが、美味しいと分かってるからこそ通常の感覚で食べたいと思ったのが良くなかったようだ。

 体内で発する魔法な上、美織の”個人的な”仕掛けが効いているのでこれの起動はバレないはずだ。


 札…か。

 熊野沙雪の方は名前も北国っぽいし、媒体から考えても二人の『お山』は『雪波せっぱ』ということだろう。

 札は上着か、鞄か、腿か。多分左の内腿だな、と圭は沙雪の”あり方”から大体の推測を立てる。出しやすい位置に構えてるというだけで、断定は危険ではあるが。

 沙雪の表情はごく自然だが、軽い緊張は見られる。むしろ隣にいるりょうの方が沙雪の言葉に反応して表情や姿勢を変えていた。

 それで十分に向こうの本気度は伝わる。


 目の隅に移る美織は無反応。むしろ眠そうにしている。

 『断崖』は今は台所に置いて来た。

 動くかどうかは圭が考え、判断するしかない。


「あ、じゃあ今日の残りはタッパーに詰めておくね」


 莉緒がそこはかとなく機嫌が良い声で言って、腰を上げる。


「ああ」


 迷惑な札、か。

 魔力体にメインで働きかけるような、ニッチな魔法。それで只人が体調を崩すというのならば、よっぽどなものだ。

 まさか二人が今日のうちにここまで選択を迫って来るとは、圭の予想を超えていた。そもそもの来訪といい、今のところ先手先手を取られてしまっている。

 しかしそれとなすがままになるのとは別だ。


 圭は、自分がどう動くかを考える。

 敢えて受けて『只人』の振りを続けるか。これは圭が魔士の場合の札の効果や威力を沙雪は何も言っていないので、かなりまずい結果になる可能性が高かった。

 【通話コール】に答えるか。それとも全く別のやり方でこの場をやり過ごす手があるか。例えば魔法を沙雪が起動できないようにする、または受けておいて無効にする。向こうの目的が「結野圭が魔士かどうかの曝露」にあるのなら、これらの選択肢も結局その思惑に乗る羽目になる。魔士と打ち明けると同じならば、【通話コール】に返事するほうがまだましだった。


 自分の皿を重ねながら、圭は「美味かったな」と美織に声を掛ける。美織はとろけたような顔で「むはー」とよく分からない相槌を返した。それで全く頼りにならないことだけでも圭には確認ができる。


 美織への【通話コール】も、身体の外へ飛ばす魔力になるため沙雪の感知にひっかかる可能性があって使えない。それならやはり、沙雪の【通話コール】に答えた方がましということになってしまう。逆に感知とはこれほど自分に有利にことを進められるものなのかと驚くほどだ。


 ほかにも懸念はあった。

 向こうの言っていた『あたし達』、『莉緒の隣に越してきておいて』。結局莉緒は魔女なのか、そうじゃないのか。


 その時圭はあることに気付いて、ハッと顔を上げる。

 沙雪とりょうがその動きに反応して、ピクリと身構える。


 それとほぼ同時に、台所から


「キャアア!!」


 という悲鳴が響き渡った。


 そこからのりょうの動きは迅速だった。

 胡座をかいて座っていた状態から、起きる動作でドアへと飛んでいて、更に最小動作でそれを乱暴に開けて向こう側に消える。ぎりぎりまで圭の挙動に対して目線を残していたのも見事といえた。

 沙雪、圭もりょうに続いて台所に急ぐ。

 莉緒がどうして叫んだかを分かっている圭は、内心で、やってしまった……と、自らの凡ミスに強く後悔しながら。



 台所に立ち尽くし、固まったようになっている莉緒と、そのすぐ前に腰を低く落として走り込んだりょう。――その二人の前にいたのは



「た、ぬき……?」


 りょうは、台所の小テーブルの上で生姜焼きを丁度掻き込み終えて汁の一滴まで舐め切ろうとしている、その動物の名前を口にした。


 ベロをしまい終えたその動物は、ちょこんとお座りをして二人を見上げている。

 そののんきな姿に思考停止になりかけていたりょうは、何とか改めて現状を認識しようとする。が、幾ら考えても今眼前にあるのは、人家に狸が迷い込んで飯を食べてる、という光景でしかない。

 いや、莉緒は悲鳴を上げていた。入った時に莉緒が立っていたので今はまだ無事と判断したが、何か危害を加えられたのかと後方を素早く振り返った。


 莉緒は口元の手を震わせながら、瞬きを忘れたように目を見開いている。



「ひゃ、あ……」


 莉緒が、掠れた裏声を発した。


「か、可愛いい……」


 りょう、莉緒、沙雪の後ろに立った圭は、小テーブルにいる『断崖』を見下ろしながら、そっと首を振ったのだった。

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