第30話 偶然


「あれ、汐里? 」


 あと数歩でラブホ街に足を踏み入れるというところで、汐里の名前を呼ばれて、牧田は思わず汐里を放り出しそうになる。


「あ、やっぱり汐里だ! 何してるの? こんなとこで」


 声をかけてきたのは、汐里の同僚の安西由利香だった。男の腕を組んで歩いているところを見ると、まあ目的は牧田達と同じ場所なんだろう。


「汐里さんのお知り合いですか?」

「ああ、はい。仕事場の同僚ですけど……あなたは? 」


 汐里が耀と付き合っていることは知っていたし、汐里の性格もわかっていた。彼氏がいようといまいと、適当な付き合いはしない子だ。通常なら、こんな場所にホイホイついてくるようなことはない。


「同僚? 大学の? 良かった!!では、連れて帰ってもらえますか? 」

「えっ? 」


 牧田は、心底ホッとした表情を浮かべると、由利香に汐里を押し付けた。

 その演技でもなさそうな表情に、由利香は無理やり連れ込まれそうになってたわけじゃないの? と、自分の勘違いだったみたいだと警戒しまくっていた表情を弛めた。

「汐里さん、嫌なことがあったようで、飲み過ぎてしまって……。いや、僕が止めればよかったんですが」

「あなたは? 」

「ああ、申し訳ありません。牧田と申します。汐里さんとは……友人というか、ちょっとした知り合いでして。あの、汐里さんをお任せしても大丈夫ですか? 」


 牧田は、由利香の隣りにいる男性にも向けて頭を下げる。二人がこれから向かう場所を考えると、汐里の存在は邪魔者以外の何者でもないだろう。いくら経験皆無の牧田でも、汐里を押し付けることが無粋過ぎる行為だと理解していた。それでも、偶然ですね、じゃあ……と、気軽に挨拶して別れられるような場面ではないだろう。

 ほぼ意識のない汐里を運んでいるのを見られたわけだから、これでラブホなんかに連れて行った日には、合意もへったくれもないだろう。確実に牧田は強姦魔になってしまう。


「ああ、まあ、しょうがないかな。ここからうち近いから、うちに連れて帰るかな。斉藤君、悪いけどここで解散ね」


 由利香にしても、こんな場所に泥酔した汐里と見知らぬ男を放置して、セフレとラブホに行くわけにもいかず、汐里をしっかりと支えると、連れの男にごめんねと手を合わせた。


「はあ? まじかよ」

「また連絡するから」


 由利香の連れの男は、ブツブツ文句を言いながら、駅の方へ歩いて戻って行った。電車はもうないのだが。


「いいんですか?……って、僕が言うのもなんですけど」

「いいの、いいの。あのさ、申し訳ないけど、タクシー捕まえるまでこの子運ぶの手伝ってくれない? 」


 ほぼ自力で歩いていない汐里を、女の細腕で運ぶのは至難の技だ。支えるので精一杯の由利香は、牧田に手伝ってとアピールする。


「もちろんです。タクシー捕まえましょう」


 終電も終わった今、新宿でタクシーを捕まえるのは難しかったが、たまたま客が降りたばかりのタクシーを捕まえることができた。


「大丈夫ですか? 家まで運ばなくて大丈夫ですか? 」

「大丈夫。うち実家だから、いざとなれば親呼ぶし。じゃ、お疲れ様です」


 汐里をタクシーに押し込むと、由利香は牧田に挨拶をして乗り込む。


 タクシーが牧田を置いて発進し、角を曲がるところで牧田に手を振ろうと振り返った由利香は、牧田の隣りに少女の姿を見た。

 親しげではなかったが、明らかに他人ではなさそうな二人。記憶力のいい由利香は、少女の名前を思い出す。


「……幸崎美麗? 」


 大学の生徒全員を覚えているわけではないが、彼女が汐里を訪ねて学生課にきたのは見ていたし、あの美少女っぷりは忘れられるものでもなかった。

 そういえば、汐里かも? と見ていたとき、美麗と似たようなかっこうの人物が、スマホを二人に向けていたのを思い出した。一瞬スマホが光ったから、写メを撮ったに違いない。


 なぜ、美麗が牧田と汐里の写真を撮るのか?

 牧田と美麗の関係は?


 今日はさっきのセフレと一晩楽しもうと思っていたため、あまり酒を飲んでいない由利香は、まあいいっか……ですますことなく、色々と頭を巡らせた。


 幸崎美麗についての情報は、以前に汐里から聞いたことだけだ。耀と同郷であるということ。耀はあまり快く思っていないいうこと……。


 なんとか汐里をタクシーから下ろし、自力で酔いつぶれている汐里を一階の自分の部屋に運ぶと、汗だくになったワンピースを脱ぎ捨て、下着姿で台所へ向かった。冷蔵庫からペットボトルのお茶を二本取り出すと、一本を開けて半分ほど飲み干す。

 もう一本は、起きた時にきっと飲みたいだろうからと、汐里の枕元においておいた。

 ベッドの下に布団を敷き、すでにベッドで爆睡モードに入っている汐里を横目に、下着姿のまま横になる。


 やれやれ、本当なら今頃は久しぶりにセフレの斉藤と一戦を交えていたはずで……。

 違う意味で疲れきっていた由利香は、すぐに眠りにつくことができた。


 ★

 二日酔いの胃のムカつきを覚えつつ、汐里はひりつくような喉の渇きで目が覚めた。

 見覚えのない天井、そして寝具。

 汐里は昨日の出来事を思い出そうと、モヤのかかった思考を必死で手繰り寄せる。


 昨日は、牧田と居酒屋で飲んで……。


 最悪の事態を想像し、汐里はガバッと起き上がる。しかし、あまりの気持ち悪さに、すぐにベッドに倒れ込んでしまう。


 ベッドには汐里一人で、最悪想定する人物はいない。

 洋服も、多少の乱れはあるが、脱がされたりなんかはしていなかった。


「お茶、飲めたら飲んだら? 枕元にあるから」


 いきなりベッドの下から声がして、汐里は反射的に飛び起きてしまう。今度は倒れ込むことなく、両手で身体を支えて声のした方を見る。


「……由利香? 」


 最悪の最悪を考えていた汐里は、予想外の人物の存在に、驚くと共にホッと安堵の息を吐く。

 途端に喉の億がひりつくような渇きを覚え、枕元にあるお茶を一口飲んだ。


「私、なんで由利香ん家にいるのかな? 」


 記憶にないけど、まさか、電話で呼び出したりとか、はた迷惑な行動をとったりしたんじゃないだろうか……と、嫌な汗がでてくる。


「ああ、偶然会ってね。牧田さん? 汐里と一緒にいた人に押し付けられたんよ」

「ああ……、ごめん。」

「いいよ。偶然会って良かったし。あのまんまじゃ、お持ち帰りされてもしょうがないよ」


 あと一歩でラブホ街だったことは言わなかった。

 ラブホに連れ込もうとしているとは思えないくらい、牧田は由利香に会ってホッとしているように見えたから。


「何かあった? なんか、嫌なことあったみたいで飲み過ぎたとかなんとか」

「うん……まあ……そうだね」

「彼氏がらみ? 」


 年下だし、悩みとか相談しにくいのかもしれないけど、泥酔するほど……となると、男がらみだとしか思えない。


「……うん」


 汐里の口は重い。


「何? あの男には相談できて、あたしには無理なわけ? 」

「違うよ。牧田さんは、たまたま偶然会った時に、本当に偶然私のとこに届いたラインを見られて……」

「ラインって? 」

「幸崎美麗ちゃん……彼女からのラインだったんだけど、耀君に彼女ができたみたいでショックだってやつ」

「彼女って汐里のことでしょ? 本人に向かって、ショックって言う意味がわかんないんだけど」

「いや……私じゃなくて、耀君と仲の良い女の子と耀君が付き合いだしたって、写メつきで……」

「幸崎美麗? 」


 由利香は起き上がって、手を出した。


「……? 」

「見せて、それ」


 美麗からのラインを開いて由利香に差し出した。


「ふーん。これ、彼氏に話した?」

「話せないよ! 」

「なんで? 」

「だって……」

「あのさ、昨日だけどね、あんたと牧田とかいう男がくっついてるとこ、写メ撮ってた女がいたんだよね。あたしが話しかけたら、スッといなくなったんだけどさ、あたし達がタクシーに乗ってちょい走った時に振り返ったら……」

「振り返ったら? 」


 由利香はちょってためてから、ゆっくりと口を開いた。


「牧田って男と、その女が一緒にいたんだよ。女は……幸崎美麗だったと思うよ」

「えっ? 」


 幸崎美麗と牧田?


「間違いないよ。あんな美少女、なかなかいないでしょ」

「でも何で? 」

「さあね。……でもさ、耀君と同じ出身でしょ? それなのに、あんなに人懐っこい彼が、どちらかというと嫌ってない? 何か理由があると思わない? 」


 そう言われると、確かにそうだ。

 汐里が悩むほど、耀は女友達が多い。誰に対しても比較的フレンドリーな態度だし、悪く言えば八方美人かもしれない。そんな耀が、あえて美麗にはそっけなくというか、意識的に無視しているようだし、当たりもきつめだ。


「たまたま牧田とかいう男と知り合いだったのかもしれないけど、わざわざ二人の写メ撮ってどうする気だと思う? 耀君の写真を汐里に見せたみたいに、浮気現場っぽく耀君に見せる目的だとしたら……。うん、ならあんな場所にいたのもうなずけるかな。ちなみに、昨日はどの辺りで飲んでた?」

「東口の近くだったかな」

「汐里は馬場だから、帰るとしたら西武新宿線か、まああの状態ならタクシーだよね」

「だね」

「あの男、あんたのこと歌舞伎町方面に運んでたよ。……あと一歩でラブホ街」

「えっ? 」

「いやさ、あたしに会ってホッとしてたみたいだから、あんたのことラブホに連れ込もうとしていたんじゃないんだって思ってたけど、やっぱりあそこにいるのはおかしいわ」

「何でそんなこと……」


 二日酔いのグルグルと混ざり合って、汐里の思考は全くまとまることはなかった。





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