第23話 とある喫茶店

「本当にこれ着るの?」


 汐里は淡い紫の花柄ビキニを手に、戸惑いが駄々漏れの表情で鏡の前に立っていた。


「試着はただだから」

「それはそうだけど……」


 来週行くプールのために、今日は水着を買いにきていた。

 汐里がプールに行ったのは専門時代が最後で、昨晩その水着( ワンピース )を引っ張り出していたら、耀が今はワンピースは主流じゃないから水着を買いに行こうと言い出し、日曜日の午前中から新宿に来ていた。

 それにしても、男の耀が恥ずかしげもなく女子のビキニを手に取り、あーでもないこーでもないと選んでいるのは、汐里には馴染めないというか、汐里の方が恥ずかしい。

 カップルで来ている人達もチラホラいるので、決して耀が異色というわけではないのだろうが、下着売り場に男連れで入ったかのような、やっちゃった感があるのは、どうやら汐里だけらしい。


「しおりんの肌の色なら、絶対これが映えるから、とりあえず着てみてよ」


 汐里はため息をつきながら、試着室に入った。

 紫のビキニはいわゆる三角ビキニというやつで、確かに白い汐里の肌に映えたが、布地の面積が小さ過ぎて、外に人も通っている中、カーテンを開ける勇気がでない。


「しおりん、着替えた? 」


 耀がカーテンの隙間から顔だけをひょっこり出す。


「こらこら、着替えてたらどうするの」

「だから、外から見えないようにしてるじゃん。やっぱり、それいいね! それにしなよ」


 彼氏なんだから問題ないんだろうけど、そんな大っぴらに覗かないで欲しい。


「いや、まあ、可愛いとは思うけど、もう少し露出の少ない方が……」


 耀の期待には添いたいとは思うものの、スタイルに……ピンポイントで言うとバストに自信のない汐里は、胸の谷間を強調するようなビキニには抵抗がありまくる。第一、強調する谷間がないのだから、より貧相に見えてしまう気がしてならなかった。


「そう?似合ってるけどな」

「できれば、タンキニとか……。セットになってるやつとかがいいかも」


 耀が次にえらんできたのは、似たような色使いのものだったが、胸の前に段々のフリルがついているオフショルのトップスと、ビキニのパンツとショートパンツのセットになっているものだった。

 これなら露出もギリギリ押さえられるし、肩とおなかは出るが、胸の小ささはカバーできそうだった。


「うん、これならなんとか……」

「じゃ、これで決まりね」


 持っているワンピースの水着よりはかなり露出多めだが、最初の三角ビキニに比べたら何倍もマシに見えた。

 お会計をすませると、次は耀の水着を選んだ。こちらは試着することなく、すんなり決まった。

 汐里のと色を合わせた白地に紫の柄のサーフパンツだ。


 遅めのお昼をとると、二人で新宿をプラプラする。

 相変わらずゴミゴミと混んでいたが、特に目的もなく歩くぶんには問題なく、TSUTAYAでDVDの新作を探したり、紀伊国屋書店でマンガや雑誌を見たり、まったりデートを楽しんだ。


 歩き疲れた頃、小さな喫茶店を見つけて入った。

 少し古めの外観、重い木の扉を開けると、コーヒーの良い香りが香った。少し暗めの店内は落ち着いており、満員ではないがそれなりに客は入っている。静か過ぎずうるさすぎず、大人の雰囲気が漂っている。


「なんか、いい感じだね」


 窓際の二人席に座ると、耀はアメリカンを汐里はロイヤルミルクティを頼む。

 値段も高過ぎず手頃な感じだ。

 飲み物と一緒に小さなクッキーがついてきた。

 ミルクで煮出されたロイヤルミルクティは、ミルクの甘味の中に紅茶のコクとふんわりとした香りが感じられた。ミルクミルクしてもいないし、煮出し過ぎの苦味もない。


 汐里は一口飲んで、小さく息を吐いた。

 特に飲み物にこだわりがある訳じゃないし、ウンチクもわからないが、ただ美味しいといいことはわかる。


「私、こんな美味しいの初めて飲んだかも」

「俺も。当たりだったね」


 耀は、味わうようにコーヒーを含むと、ゆっくりと飲み込んだ。そして、昨日からモヤモヤと溜まっていた感情を口に出した。


「あのさ、昨日、見合い相手と会ったって言ってたじゃん? 」

「うん? 」

「謝ってくれたって言ってたけど、お見合いの話しぶり返したりしなかった? 」


 汐里はないないと手を振りながら言った。

 そんな汐里に、気まずそうな雰囲気も、隠し事がある感じもない。


「なんか、すっごいイメチェンしててびっくりしたよ。お見合いの時の牧野さんとは別人みたいに。叔母さんの事務所で、凄く謝ってくれて、その後偶然ドトールで会ってさ。席がなかったから同席させてもらったんだけど、世間話ししかしなかったわ」

「ドトールで会った? 」

「ああ、うん。言わなかったっけ? 」

「聞いてないよ! 」


 耀は、あれはドトールの風景かと納得する。

 昨日、結局一時間汐里をドトールで待たせ、耀は店に入ることなく汐里を呼び出して帰った。もし店に入っていれば、あの写メの場所だと気がついたことだろう。


「手……握ったりした? 」

「はい? 」


 意味がわからないと、汐里は首を傾げる。それから、ああ! と思い出したように手を叩いた。


「最後に、お元気でって握手を求められたから、握手はしたよ。でも、なんでそんなこと知ってるの? 」

「しおりん、大学で有名人なのかな? しおりんを見かけたって子が、サークルの子に写メ送ってきたんだよ。デート現場発見って」

「そうなの? 」

「うん、手を握ってる写真や、仲良さそうに談笑してるのとか、あと頭いいこいいこしてるのとか。凄くカップルっぽかった」

「なにそれ? 」


 談笑したつもりはないが、愛想笑いは浮かべていたかもしれない。

 手を握ってるのも、たぶん最後の握手だろう。頭を撫でられたのは……、ゴミがついてるのを取ってもらった時だ!


「頭撫でられたつもりはないよ。ゴミがついてるって、とってくれたけど……。」

「その割には親しげに見えたよ」


 拗ねたような耀の表情に、汐里はクスクス笑う。


「どんなふうに写ってたのか知らないけど、耀君の日常よりはマシ? な気がするけど」

「だよね……。まさか、あんなにダメージ受けるとは思わなかった。マジで」


 耀は机に突っ伏してしまう。

 そんな耀の頭をツンツンと突っつく。


「ねえ、なんで昨日言わなかったの? 昨日見たんだよね? 」

「だってさ、もし浮気とかだったらショックじゃん? 」


 顔を少し持ち上げ、上目遣いで汐里を見る耀の頬がかすかに赤くなっている。


 なんか、凄く可愛いんですけど!


「聞きたいけど、聞きたくないっていうか、立ち直れない気がしたし……。俺のこと、もっともっと好きになってもらえればいいのかなって思って。他の男が入り込む隙間がないくらい……さ」


 だから、昨日あんなに激しかったのか……と、耀とのHを思い出した。壁の薄いアパートだから、声を出さないようにするのが大変だった。

 不安を抱えながら、一生懸命愛してくれたのかと思うと、愛しさがジワジワと溢れてくる。

 テーブルに投げ出された耀の手を握り、緩んでしまう頬を隠せずにニマニマ笑ってしまう。


「ウーッ、ヘタレだとか思ってる? 」


 甘々な視線を向けてくる耀に、こが喫茶店じゃなかったら、ギューッと抱きしめたい衝動にかられた。


「思わないよ。好かれてるんだって実感したし」

「好きだよ。当たり前じゃん」


 なんか、恥ずかしいほどに恋愛しちゃってる!

 こういうキャラじゃないはずなんだけどな。


 汐里は、写真を撮ってくれた誰かにありがとう! と叫びたかった。

 その写真がなかったら、耀のこんな可愛い一面を見れなかったし、やきもちだってやいてもらえなかったはず。


 この喫茶店の雰囲気が二人を素直にさせたのか、美味しい飲み物が耀の不安を吐露させてくれたのかはわからない。小さなわだかまりが消え、耀に女友達な二度とボディタッチは許さないぞと、決意させるきっかけにもなった。


 とある少女の思惑とは正反対の効果が出てしまったのであるが、そのことを少女は知らなかった。

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