I医師の診察②

 もう一回、もう一回いいかな。


 I医師は、そう言って、何度も、何度も、息子の身体の状態を確認していました。おおよその病気に対する判断は付き、ギラン・バレー症候群に対する治療が始まろうとしている中でも、何度も、何度も、確認を続けていました。


 そして、I医師が首筋から肩、背中にかけて触った時だった、と妻は話していました。妻はそのやり取りを、はっきりと聞き、覚えていました。


 息子が小さな声で、痛い、と言ったそうです。顔をしかめ、本当に痛そうな表情だったと言います。その瞬間、I医師の顔色が、明らかに変わったそうです。


 ◯◯くん、どこが痛い? I医師が聞くと、息子は、背中が痛い、と言ったそうです。背中。ずっと足を痛がっていた息子が、背中の事を話したのは、この時が初めてだったのかも知れません。実は訴えていたかも知れませんが、記録にも記憶にも、背中の痛みについては残っていません。ただ、後で息子から聞いたことですが、ある時から抱っこを拒絶するようになったのは、背中に激痛が走ったからだ、と言うことでした。お風呂に連れて行けなかったのも、実は背中の痛みが原因だったのです。


 背中?背中が痛いの? I医師はそこを重点的に確認して行ったと言います。そして、一言、これも小さな声で言ったそうです。


 だとしたら、違ってくる。


 それはI医師が気にしていた何かだったのか、それとも只の偶然だったのか、我々には知るよしもありません。しかし、文字通り血相を変えた様子だったというI医師は、その直後に救命病棟を出ていったと言います。


 わたしはこのやり取りの間、様々な連絡を取り付ける為、救命病棟を出ていたので、全て妻から聞いた話になります。兎に角、わたしが病棟に戻ると、看護師がやって来て、唐突にMRI検査を行うことが告げられました。


 絶対救命。


 MRI検査の準備をしに来た看護師の背後の壁に、達筆な字で書かれたこの言葉が貼られているのに気付いたのは、この時でした。いまでも強く、目に焼き付いています。


 違ってもいいから、確認するべきではないか。確認した上で治療に入るべきではないか。後に聞いた話では、MRI検査は、I医師のその様な提案で決まったらしいとの事でした。こんな作り話みたい展開、あり得るのか、とわたしも思います。妻とも、息子とも、そんな話をします。ですが、これは本当に起こった事でした。MRI検査室に息子が運ばれ、わたし達もその部屋の前まで移動しました。そこで神経科の別の医師から、我々に対して、かなり細かい問診があった事を覚えています。息子の様子、症状の移り変わり、症状が出る前の生活の様子まで、かなり詳細な質問で、回答に難儀した記憶があります。


 そして、MRI検査が終了し、画像を見ることが出来るようになった頃、我々に告げられたのは、担当診療科の変更だったのです。


 奇跡の定義は分かりません。ですが、I医師が息子の僅かな症状を見逃さず、最後の最後まで諦めず、自分で感じた疑いを完遂するつもりで接して頂けたからこそ、息子の後縦隔腫瘍は発見できた、と言えると思います。そして、そういう医師に出会うことが出来た事は、息子に訪れた奇跡の始まりだったのではないでしょうか。


 

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