右足の痛み。歩行困難へ

 アテローム切除術を終え、退院をしましたが、手術前から訴えていた右足の痛みは、酷くなって行く一方でした。


 これを書くに当たって、残されていた記録等を振り返って見ると、息子は10月の上旬には既に、右足に違和感があった事が残っていました。その月の上旬に、保育園の運動会がありましたが、全力で走れていなかった記録があります。この時は明確な『痛み』としての物ではなかった様ですが、明らかに通常より力が入らない様な走り方だった事を覚えています。息子は外遊びも大好きで、運動神経も良い方だと言われていました。足も速い方だったので、本気で走れなかった、悔しいな、と話していた様です。


 何れにしても、違和感が痛みに変わり、いよいよ何かあるのでは、となったのはアテロームの術後でした。皮膚科、形成外科とは違う為、また掛かり付け医から、足の痛みについて受診をしました。この時は妻が付き添ってくれたのですか、掛かり付け医も問診をし、足の触診をし、やはりはっきりとした理由は分からない様子だったようです。そして、一通り診察をした後、妻だけが別室に呼ばれたそうです。そこで掛かり付け医から話されたのは、短期間での2回の手術によるストレス、精神的な物かも知れない、との事でした。息子に配慮して親だけに伝える形を取って頂いたようです。もし、精神的な物であれば、少しずつ軽減されて行くはずですから、余り慌てないで、ゆっくり向き合って上げるべき。その時はその様な話をされたそうです。


 この受診の話をされ、わたしが思い出したのは、9月のアテローム外来での排膿処置の事でした。泣き叫ぶ息子の声、痛みと恐れに歪む顔を思い出し、あれだけの痛み、あれだけの恐怖を味わえば、そういう事も起こるのかも知れない、とわたしはこの時、そんな風に考えてしまったのでした。


 それでも念の為、別の病院にも掛かりました。足の痛みを訴えていたので、足のレントゲンを取ってもらったりもしました。それでも痛みの原因は分かりませんでした。中には嫌みな医師も居るもので、メンタル的な物じゃないですか、と息子の目の前で、見下すように言われた事もありました。それでも、痛みがあるならば、何かあるのでは、と考えるのが親であるし、早く解消してやりたい、と考えるのが親だと思うのです。わたし達も親として、何としても原因を知りたいと思いました。また平行して、掛かり付け医に言われた、ゆっくりと向き合って上げるべき、という言葉も実行して行きました。なるべく息子の話を聞き、一緒にいる時間を増やして、精神的な安心を提供出来るように心掛けました。しかし、それでも痛みは改善されることはありませんでした。


 アテロームの術後の経過を診る為の外来受診の日、妻と息子は、電車で手術をした病院へ向かいました。その道すがら、何度も転倒し、歩くのが辛い、と言ったそうです。その日は殆ど抱っこで行動したと聞きました。少し発熱もあったので、術後受診時にそちらの様子も診て貰えないか、と妻は頼んだそうですが、診療科が異なる為、直ぐには受診させて貰えず、近隣のクリニックから受診する様に言われ、帰ってきた、と話していました。


 そして、この日を境に、息子は自力で立ち上がる事も出来なくなって行きました。


 こうしてまとめていると、やはりいつも、何処かで『もっと突き詰めることが出来たのではないか』という思いが、わたしの頭を、胸を、きつく締め付けます。嗚咽を漏らす様な息苦しさ、罪の意識に苛まれるのです。ストレス、精神的な物、メンタルの問題。それらを聞かされた時に、そんなこともあるのかもしれない、と思ってしまった自分を、許す気になれないのです。確かに、ストレスは立派な病の原因です。精神的な物も、メンタルの問題もあるでしょう。でも、わたしは息子の親です。例え医師が口にした言葉であったとしても、根拠のはっきりとしない言葉を、鵜呑みにしては行けなかった。その様に思うのです。


 何かの縁でこの文章を読んだ方で、いま現在既にお子さんがいらっしゃる方、これから人の親になる方にも、これだけは伝えておきたいと思います。子どもを守れるのは、親です。自分がぼんやりとではなく、はっきりと、しっかりと納得できるまで、最後まで、考えることを止めては行けない。言われれば10人が10人、そんなこともあるかもしれないな、と思うような言葉に流されず、自分の子どもと向き合って、解消策を見つけて欲しいと思います。わたしの様にならない事を祈ります。


 後に、息子の治療に大きく関わる事になる医師に言われた事があります。


「この病気は、正しく、精密な検査をしなければ、発見できる物ではありません。普段の様子から判断して、それが起こっている事など、まず分かりません。だからお父さん、自分を責めないで下さい。お子さんの為にも、責めないで上げてください」


 この言葉のお陰で、少なくとも息子の前では、自責の念を仕舞っておける様になりましたが、完全に無くなることはありませんでした。いまもそうです。そして未来永劫、何処かにこの想いは居座り続けるのだと思います。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る