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12月16日(Tue)


 早河探偵事務所に山梨から戻ってきた上野警部が来訪した。佐伯は明日には山梨県警から警視庁に移送され、殺人と死体遺棄の容疑で検察に送検されると言う。


 上野は佐伯の供述をまとめた資料を早河に渡した。


『佐伯は5年前、高山美晴を殺害する前からカオスに入っていた。佐伯がカオスに入るきっかけとなったのは自殺志願者を募る裏サイト。出来心でサイトの管理人ページにアクセスしたところ、管理人からカオスへの勧誘メッセージが届いたらしい』

『自殺志願者の裏サイト……カオスはそうやって巧みに信者を集めているってことですね』


早河は資料をめくる。


 佐伯のカオスでの通称はドラジェ。フランス語で砂糖菓子を意味する。

チャイコフスキーの金平糖の精の踊りも日本では金平糖と訳されるが、海外ではドラジェの精と呼ぶと有紗が言っていた。

どこまでも金平糖にこだわる佐伯らしいネーミングだ。


『高山美晴の殺害動機は痴情のもつれとして処理されることになるだろう。問題なのは聖蘭学園の生徒の連続殺人だ』

……ですか』


早河は佐伯の供述調書で何度か目についたその言葉を呟いた。


 以下、佐伯洋介の供述より。


 ――俺の目的は美晴の血が流れた有紗を手に入れること。でもそれだけじゃつまらない。

どうせなら華々しい犯罪劇を演出したいじゃないですか?

美晴が主役を踊ったくるみ割り人形のように、俺は王子様、有紗はクララ。

くるみ割り人形の第二幕でクララは王子とお菓子の国に行き、お菓子の精の歓迎を受ける。殺した奴らはお菓子の精ですよ。歓迎シーンの踊りは六人分あるのであと二人殺してもよかったなぁ。


 ――死体に金平糖を握らせた理由? あれは御守りですからねぇ。彼女達が迷わず天国に逝けるように……いや、男に身体を売っていた女の逝き先は地獄でしょうね。シリアルキラーのような面白い演出になりましたよ。

MARIAの売り上げ上位順に殺したのはただの思いつきです。本当は四番目に殺すのは古賀美咲の予定だった。


 ――四人目を木内愛に変更したのは朝倉を陥れるいいチャンスだと思ったから。朝倉は友梨のことで俺に敵対心を抱いていて目障りだったのでねぇ……早く消えてもらいたかったんですよ。

俺は朝倉の携帯とパソコン、有紗の携帯もハッキングしていました。それで朝倉が木内愛と放課後に会う約束をしたことを知ったんです。

別に四番目に殺す人間は古賀美咲にこだわらなくとも木内愛でも、誰でもよかった。たまたま選ばれたのが木内愛だっただけです。

朝倉が到着する前に彼女を殺し、公園の物陰から朝倉が来るのを待っていました。死体を見つけた時の朝倉の慌てぶりに笑いを堪えるので必死でしたよ。朝倉はどうなりました? ストーカーで送検? はっ。いい様だ。


 ――MARIAを創ったのはちょっとした小遣い稼ぎですよ。うちの学校には親にかまってもらえない淋しがりのお嬢様が多くてね。ちょっと優しくするだけで簡単にこっちに好意を寄せる女ばかり。

美晴を殺した時期と同じ頃、言い寄ってきた生徒がいました。生徒なんか興味なかったですけどね。私を抱いてください、なんて言ってきて。お遊びですよ。

その生徒に小遣い稼ぎに売春組織を作らないかと持ちかけたんです。

生徒の名前は飯田未菜。ああ、東堂と一緒にあっさり殺されてしまいましたけどねぇ。

未菜との関係は終わっているので殺されたとしても何の感傷もありません。未菜はとんでもない売春婦でしたよ。ま、今となっては死人に口なしですが。


 ――ハッキングはカオスのスパイダーから教わりました。幹部クラスの人間ですよ。

スパイダーの正体? 知りません。やりとりはすべてネット上でしたから。

これだけは言えます。スパイダーの専門はクラッキング。奴は一流のブラックハット・ハッカーのクラッカーですよ。

スパイダー以外のカオスの人間で俺が知っている人間はあとはケルベロスでしょうか。

キングの存在は存じていますがお会いしたことはないですね。一度でいいからキングにお会いしてみたかったです。

拳銃はケルベロスから買いました。ネット上のやりとりなのでケルベロスがどこの誰かは知りません。

ケルベロスには殺人のやり方を教わりましたよ。どこをどう刺せば人が死ぬのか、急所はどこか…なかなか面白い殺人講座でしたね。


 ――計画の誤算はあの早河って探偵の介入です。スパイダーがゲームが面白くなるからと早河の参加を促したので……だけど失敗でした。まさか有紗があの探偵に美晴の捜索を依頼するとは。

その上、有紗は早河に惚れたようだ。あの男さえいなければ有紗は俺を見てくれた。

殺すのなら早河を殺せばよかった。今すぐにでも奴を殺しに行きたいですねぇ……


        *


※クラッキング……悪意のあるハッキング。

〈クラッカー〉とはコンピューターシステムに侵入し、悪意を持ってデータを不正に破壊、改ざんする人間を指す。

一般に広く使われる〈ハッカー〉はコンピューターの知識と能力が長けている人間のこと。ハッカーとクラッカーは別物。

正しい意味でのハッカーを〈ホワイトハット・ハッカー〉、クラッカーを〈ブラックハット・ハッカー〉と区別している。


 東堂孝広と共に何者かに殺害された21歳のダイニングバー従業員、飯田未菜いいだ みなは5年前は聖蘭学園の一年生だった。


 担任教師の佐伯と肉体関係のあった未菜は佐伯に売春組織設立の話を持ちかけられ、計画に乗った。

彼女自身は売春組織MARIAには所属せず、聖蘭学園の学校裏サイトを利用して巧みに生徒を売春の道に誘い込んでいた。

聖蘭学園卒業後はあのビルのダイニングバーでバイトをしながら影でMARIAを指揮。

MARIAの収益の50%が佐伯と未菜に、あとの25%ずつがカオスと東堂孝広に流れていた。


 巻き添えの被害者だと思われていた未菜は売春を斡旋していた加害者であった。東堂孝広と飯田未菜を殺害した犯人に佐伯は心当たりがないと語る。


『読むだけで憂鬱になる調書ですね』

『まったくだ。まさか東堂孝広と一緒に殺された女が佐伯と組んでいたMARIAの黒幕だったとはな。東堂殺しの捜査は案の定、行き詰まってる』


東堂孝広と飯田未菜の殺害時刻、道玄坂二丁目のあのビルの監視カメラはハッキングされた形跡があった。ハッキングをしたのが佐伯の話に登場するスパイダーだとすれば……。


『スパイダー……辰巳時代のカオスには見なかった名前ですね』

『辰巳がキングだった頃とは時代が違うからな。ネットが普及した社会ならではの存在だろう。佐伯の携帯とパソコンのデータがご丁寧にすべて破壊されていた。科捜研が復元を試みているがそう簡単にはいかないらしい』

『その一流のハッキングの腕を持つスパイダーが佐伯の携帯やパソコンに残る自分やカオスの痕跡を消したんですね』


 早河は調書のコピーを無造作に放った。

佐伯は高山美晴や四人の女子高生を殺害したことに一抹の罪の意識も感じていない。


仮にも恋人だった神田友梨への言及もなかった。彼にとっては友梨も過去に言い寄ってきた教え子の飯田未菜と同じ、居ても居なくてもかまわない存在だった。

彼の異様な執着は初恋の女性の美晴とその娘の有紗にだけ向いている。


『家出した高山有紗の居所も佐伯は有紗の携帯をハッキングして常に彼女の居場所を掴んでいた。だが表向きは教師として有紗を捜すフリをしなくてはならない』

『そこでスパイダーが俺に依頼しろと……いや、スパイダーではなく貴嶋の差し金でしょうね』

『まさか有紗が母親捜しを依頼するとは佐伯も考えもしなかったようだ』

『佐伯の計画を破綻させたのは俺ではなく、母親に会いたいと望んだ有紗のワガママだったんですよ』


 やりきれないこの想いはどこにもぶつけようがない。

有紗はなぎさの家で一日中ベッドにせっている。食欲がなく何も食べていないとなぎさが心配していた。


 明日には高山政行がロシアから帰国する。

美晴を失った彼らは今後、義理の父と娘としてどのように向き合っていくのだろう。


血の繋がりも確かに大事だ。しかしそれ以上に大切なものが人と人の間にはある。

血の繋がりがある親子だとしても希薄な親子関係は存在する。現にMARIAに所属していた少女達は実の親の愛情を充分に得られず、親から愛されないからこそ他者の愛情を欲した。


 血縁関係だけが家族を繋ぐ要素ではない。血の繋がりがありながら関係が希薄な親子もいれば、実の親子ではなくとも時には血の繋がり以上に濃い信頼関係を築きもする。

父の友人であり現在は後見人の立場にいる武田財務大臣と早河がそうであるように。


高山政行と有紗の父娘もそうであって欲しいと、早河は願った。

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