ガリヴァー旅行記

子供向けでないタイプの『ガリヴァー旅行記』を何年か前に読んだことがある。

ガリヴァーが小人リリパット王国で巻き起こすあれこれに就いては絵本にもなっているから有名だけれど、そのあと続く巨人国ブロブディンナグ空中浮遊島ラピュータ馬人国フウイヌム等での体験記はそれまで他人から聞くのみであったので新鮮な面白さがあった。


興味を惹かれたのは未読の旅行記の部分だけではない。本物のガリヴァー旅行記では、既知のはずのリリパット王国での詳細も知ることができた。例えばこんな記述がある。

ガリヴァーから見るリリパット国民の肌はきめが細かくとても美しい。対してリリパット国民から見たガリヴァーの肌は凹凸が激しく毛穴も大きいうえ、その毛穴から太くて硬い毛が生えているところまで否が応でも目につき、彼の外見に慣れるのに大変だったという。体臭のきつさにも辟易したらしい。

ああ、そうかと思った。ガリヴァーと小人では普段の『基本』の単位がまるきり違うのだ。小人たちにはちょうど拡大鏡を通して見るかのようにガリヴァーの細部が見えていたのだろう。逆に、次に訪れた巨人国ではガリヴァーは「大変肌の美しい小さな人間」と評されている。そのあたりの描写が面白くてすぐに読み終わってしまった。


作者がそう思って欲しくて書いたのかは不明だが、私は小人国と巨人国での出来事を読むにつけ、ひしひしと思うところがあった。

大きさ。

大きさって不思議だ。ただサイズが違うだけで優劣が生じてしまう不思議。

身長17センチの賢王に身長170センチの愚民は軽々とまさってしまう。その力でねじ伏せてしまう。生まれも立場も豊かさも教養も威厳も、いともあっさり乗り越えて。

大きさは高貴さを超える。

だからだろうか、ガリヴァーが自分よりはるかに小さいリリパット国王に恭しく挨拶をしている挿絵に私は滑稽さを覚えたのだった。ガリヴァーの、「敬意を払って」という内心が透けて見える気がして。


幸いと言うべきか必然と言うべきか、私たちの世界ではそこまで体の大きさに差異のある民族は存在しないけれど、もし存在していたのならおそらく体格の大きな民族が小さな民族を支配しているのだろう。ガリヴァー旅行記でも、巨人国において彼はペットかおもちゃのような扱いを受けた。

頭脳も尊厳も生存も同じ。それなのに、ただ大きさが違うだけで。

これはもうどうしようもないことなのか。

以前見かけたこの句を思い出す。


この蟻もアフリカ象もただ一世

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