第14話「異界の住人」2




「ニックっ!」


 ヴェロニカが悲鳴のように名前を呼ぶが、ニックには返事をしている余裕などはない。

 拳銃のグリップで化け物の頭を殴りつける。だが、まるで対魔術用強化ガラスを殴ったと同じような衝撃が拳銃越しに伝わってきた。


「っ、やはり硬いな」


 これでは拳銃は使えない。弾丸を撃とうと意味がないと判断し、ナイフを抜いて斬りつける。が、やはり傷ひとつつかない。それどころか、こちらの攻撃などまるで気にしていないかのように、その丸太のような腕を横に凪いだ。


 かすっただけでも体の肉を抉り取られてしまいそうな一撃を、紙一重で避ける。それだけで服が破れて皮膚から出血し、風圧に吹き飛ばされそうになった。

 接近戦を得意としない青年は、風圧に身を任せて後退すると、魔術を放つために精霊へと呼びかけた。


「雷神に遣えし眷属たちよ、悪鬼を打ち払らわんために力を与えたまえ――」


 それは古き時代の精霊魔術。

 魔力で魔術を使う現代の魔術師とは違い、魔力を精霊たちに捧げることで力を借り受けることで力の行使を可能とする。ただし、精霊たちに干渉する力が必要であり、使える人間は少ない。


 言うまでもなく、ニック・スタンレイは精霊魔術の素質を有している数少ないひとりだ。

 短い詠唱とともに精霊たちの魔力を捧げると、力を得て歓喜した精霊たちが彼の意志に従って攻撃する。


 閃光。轟音。雷撃。


 大気を震わす雷の一撃が、【異界の住人】の巨体を穿つ――はずだった。

 だが、【異界の住人】の体は、表面こそ炭化しているが、それだけだ。ニックの放った雷では殺傷能力が足りていなかった。


「……まずいな、容赦なく攻撃したのにこの程度か」


 舌打ちをして、拳銃をホルスターに戻す。音を立てずに、静かに多きく広げた両腕を閉じて両手を打ちつける。


 ――柏手かしわで


 邪気を打ち払う手法のひとつであり、亡きコハクから教わった東方の技術だ。

そこにいるだけで【異界の住人】に穢されてしまう精霊たちに干渉し、再び活力を取り戻させる。そして詠唱をする。


「我、願い奉るのは、再生と破壊を司る炎――」


 まるでその手に弓と矢を持っているように、【異界の住人】へ構える。すると、炎が形を形成し青年の手の中で弓と矢を作った。下降していくことなどおかまいなしに、ゆっくりとした動作で矢を放つ。


 瞬間、静かな業火が一本の矢となり放たれた。


 化物が業火の矢を脅威と認識して回避行動をしようとしたときには、すでに矢が肉体へ触れていた。刹那、その場にいた人間たちが、その身を焼かたと錯覚するほどの熱波が辺り一面を襲う。


「――アァアッアアアアアアアアァッ!」


 化物の巨体から、はじめて声があがる。その声は、誰が聞いてもわかるほどの、苦痛と絶叫だった。

 ニックは攻撃の手を緩めない。三度精霊に干渉し、業火に包まれ絶叫を上げて地面へと落ちていく【異界の住人】に向けて、風と酸素を送る。

魔力を帯びた酸素は業火に更なる勢いを与え、化物の体に纏わりつく。


「全員退避だっ! 急げっ!」


 絶叫が絶叫を呼び、この世のもととは思えない声を放ち続ける【異界の住人】は地面へと音を立てて落ち、クレーターを作った。

 続けて、ニックが音もなく着地する。誰もが【超越者】の実力を垣間見た瞬間だった。


「ニック!」


 ヴェロニカたちが駆け寄ってくるが、手を上げて制止させた。青年は、まだ手を休めることなく、目の前のクレーターに向かい、魔術を放つべく魔力を練る。

 偉業を包む業火が、ニックの魔力に干渉されて、高温、高密度の炎の刃へと形を変える。


 業火に焼かれながら、刃と化した炎に斬られ、抉られ、内から焼かれ【異界の住人】はもう声さえあげることができずに、クレーターの中でもがき苦しむ。

 蹂躙と呼ぶにふさわしい、容赦のかけらが一切ない攻撃に、誰もが息を呑んでその光景から目を離せない。そして、


「大地の精霊よ、我が魔力を糧にして鋼の槍となり悪を貫き殺せ――」


 ダンッ、と地面を踏みしめた。刹那、クレーターの中心から、数多な鋼の槍が【異界の住人】の体を貫き掲げる。人間には傷つけることが不可能の近かった【異界の住人】の体だが、連続する魔術攻撃によって、その強固な肉体にほころびが生まれていた。


 その合間を縫うように、精霊たちに干渉し、過剰と断言できる出力で攻撃をしたのだ。

 数多の槍に貫かれ、業火に焼かれた【異界の住人】の体が崩れていく。最初に腕が落ちた。続けて、足、体が焼き焦げた肉となって崩れ落ちていく。そして最後に首が落ちる。


 ニックはすかさず、拳銃を抜き、その額を撃ち抜いた。もろくなった肉を貫通し、弾丸は化け物の頭部を破壊した。


「……まずは一体」


 息を切らせながら、一年ぶりの戦闘を終えたニックが膝を着く。瞬間、歓声があがった。

 ヴェロニカ、サビーナ、マーティンの三人がニックに駆け寄る。


「大丈夫、ニック?」

「やりやがったな、おい! 誰か、水を持ってきてやれ!」

「ま、まだ警戒してください。二体いるなら、まだもう一体いるはずですから」

「わかっているわ。ブラフマー魔術師派遣会社社員一同、周囲警戒ッ!」


 歓声が止み、女帝の声に返事が返ってくる。


「ごめんなさい、まさか【異界の住人】を見失ってしまうとは思わなかったわ。ニックがいなければどうなっていたかわからない。自分のツメの甘さに腹が立つわ」


 ひとりで戦わせるつもりなどなかったが、結局青年ひとりだけが戦った結果に、若き女帝は歯噛みする。

 しかし、彼女たちが悪いわけではない。ニック・スタンレイという魔術師が、規格外だった。それだけだ。


 ヴェロニカはもちろん、ブラフマー魔術師派遣会社の精鋭たちもまた【異界の住人】を見失ってしまったのだから。並以上の魔術師では、相手にならなかっただろう。


 そもそもニックは短い攻防で一級魔術を立て続けに放ち続けた。普通、そんなことをしたら魔力が枯渇してしまう。だが、規格外の魔力を持ち、精霊から力を借りることで、【異界の住人】に通用するだけの攻撃を連続して浴びせることができたのだ。


 やはり、ニック・スタンレイは魔術師としての素質に恵まれているとしか思えない。誰もがそう納得するほど、彼はわずかな時間で人類の敵を一体殺してみせたのだ。


「お見事、としか言いようがありませんね」


 ニックたちに向かい、誰かの声が響いた。続いて拍手が木霊する。


「いやはや、実に素晴らしい。まさか最強の魔術師ニック・リュカオン・スタンレイの実力の一端を伺うことができるとは、なんとも光栄なことです」


 声の主は、廃ビルの屋上に立っていた。

 品のあるグレーのスーツに身を包んだ、初老の男性。丸い眼鏡をかけた顔には皺が浮かんでおり、温和な印象を与えた。


「最強の魔術師の称号――リュカオン。それが届くところにあるのは好都合。今回は実験をするだけのつもりでしたが、ついでにその称号を頂いて帰りましょう」

「あなたは誰だ? 僕の名前だけ知っていて、名乗らないは礼儀に反していると思わないのか?」

「失礼。私はバロン・トルネオ。長い時間を【異界の住人】の研究に費やした、研究者です。是非、お見知りおきを」



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