【書籍版】女王の化粧師

千 花鶏/ビーズログ文庫

序章 雷雨の夜



「最初から、決まっていた?」

 女は言った。

 凍てつく雨の中で、女は微動だにせずにいる。雫が絶えず髪を濡らし、頬を伝った。

 唇の血の気は失せ、青紫に変色している。しかし女はその場から動こうとはしなかった。逃げを許さぬ眼差しで、ただ真っ直ぐに目の前の男を見つめていた。


「そう、最初から決まっていたことだった」

 男は女の言葉を肯定した。冬の湖水に似た静けさをたたえる瞳からは、男の心中を窺うことはできない。そもそも、この男の本心は、いつも遠くに隔てられていた――たとえば、偽りの笑顔の中に。

 それを女は知っていた。


「嘘」

 だからこうやって、糾弾している。

「最初から決まっていたなら、どうしてあなたは優しかったの?」

「優しい?」

 男は嗤う。嘲りは、男がここに来て初めて晒した感情だった。

「わたしはあなた方に情をかけた覚えは一度もない」

「嘘」

「嘘ではない」


 女は嘘だと繰り返した。寒さに強張った唇は、微かに震えただけで、音を紡ぐことは叶わなかった。

 優しかったでしょう?

 女は思う。男は優しかった。その優しさは、決して表立ったものではなかった。

 けれど、優しかったのだ。

 それを知っている。

 知っているのに。


 男の手が女の首に伸ばされる。男の指が女の肉に食い込んだ。雨は止まない。冷たい雫が、男の頬を滑り落ちる。

 遠くで、光が落ち、雷鳴が轟いた。

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