ステージ30 魔王軍、全滅

「総司」

「父さん、今なら俺いい芝居が出来そうな気がするよ」

「おい」

「なあ父さん、兄さんならどう答えると思う?」





 はるか遠くで、兄の大群を斬り捨てて行く母。

 そんなファンタジーの世界でなければありえないような光景を目の当たりにさせられた結果、総司の口からそんなセリフが引きずり出された。まだ決着がついているようには見えないのに、全てが終わった先の話を考えてしまう。何現実から逃げてるんだよ、兄貴を応援しなければダメじゃねえか。

 あの魔王とやらも兄貴に付いているようだ、だから勝ったも同然だなんて虫のいい事が言えるか。あそこまでやられて未だに音を上げないのはまだ勝てると思っているのか後戻りできないのか、それともストームトルーパー効果でも信じているのか。


「お前は今度の芝居を成功させたいか」

「当たり前だ」

「もうお前も来年の誕生日で三十だろ。そろそろ自分の判断で動け」

「わかってるつもりだよ」

「何が大事か否か、お前の判断は付いているのか」

「ああ付いてるよ」

「後悔するか」

「するわけねえだろ!」

「……………………ならいい」


 あまりにも辛い二者択一。何かを捨てて何か取ると言う話など、昼食のメニューを決める時でさえも遭遇する話だ。片方を選べば片方は犠牲になる。自分がどちらに付いたからと言って今さら形勢が変化するとは思えない、それに何よりもう自分の答えはずっと前から決まっている。


「父さん、迷っているのか」

「ああ、もうそろそろ俺もお役御免の身だ。その後の事を考えるとな」

「この辺でと言う訳か?」

「新次郎にはいろいろ言いたい事もあった、でもあいつが元気でやっているのならばもう」

「それは兄さんも同じだろうよ」





 伊佐泰次郎と言う人格は、それでも迷っていた。三十六年間、自分を支え続けここまで持って来てくれた人間に対しての恩。夫婦としての情。そのいずれも分かちがたい。だがあのインキュバスを見ていると、もし愛する存在がこんな風になってしまったらと思う気持ちも理解できる。自分がいつ認知症になってしまうかわからない、その時の自分が今の伊佐玖子とどう違うと言うのか。

(玖子…………俺も新次郎の被害者か?もしそうならそうでもいい、でもそれをこうして訴えかけた所で誰が耳を貸す?答えってのは理屈を積み重ねた上で出るもんだぞ、答えのために理屈を作る物じゃないぞ)

 新商品の開発なら答えありきで話を進めてもいいかもしれない。だがずっとやっていたのはそんなビジネスではなく家族間での話し合いのはずだ。それなのに夫である自分や成人した息子たちと、その傍に立つ女性たちの言葉に全く耳を貸して来なかったし今でも貸していない。

 悪口よりずっと性質が悪く陰険な復讐方法などいい加減にやめろと言った事がない訳でもない。だが全くけんにほろろ、梨の礫。実に寛容で親切な妻の仮面を脱ごうともしないまま、その一点だけは譲らなかった。


「サラリーマンとして譲りに譲りまくって俺は重役になった、でも譲ってはいけない所は譲らなかった。家庭でもそうすべきだったのにな…………」

「父さん」

「最後の一手ぐらい好きにさせろ」

「わかったよ」

「ああ、俺は決めた」


 その自分なりの答え、愛の示し方を取るような人間に玖子を責める権利などないだろう、だがそれでよい。ダメな妻の伴侶には、ダメな夫が似合いなのだから。一人で堕ちるのはかわいそうだから俺ぐらい付き合ってやらなければならない。泰次郎は心の中で決断を固めると、後は任せたと言わんばかりに孫たちの下へ向かった。良きじいじとして、伊佐家の未来を守るために。




 ※※※※※※※※※※※※※※※※




「ハア、ハア…………」


 玖子の息が上がり始めた。魔物の肉体を持ってしても、この飽和攻撃を持て余している。斬っても斬っても、いくらでも湧き出て来る。そしてこけおどしと思いきや、時々有効打が来る。その有効打の積み重ねが肉体を傷つけ、自分が斬り落とした死体から吹き出た返り血と共に豊満なサキュバスの肉体を赤く染める。

 魔物ではなく、真っ赤な血まみれの悪魔。玖子はもはやそうとしか形容しようのない生物になっていた。

(どうしてよ!どうして私に逆らおうとするの、雄太はもっと聞き分けが良かったし総司はうだうだ言う子じゃなかったはずよ……それなのにこの有様、やっぱり私は甘やかしすぎたのね…………)


 全てがそこにたどり着く。

 後悔が体を動かす。

 自分の甘さが全ての原因だった、そう気づいた時にはもう手遅れだった。

 いくら厳しく振る舞ってもうまく行かない。すっかりわがままに育ってしまった息子を矯正するために最後の望みを託した大学の四年間、ずっとずっと勉学に励むように幾度も注意して来た。だがそこまでやってようやく真っ当な道に進んだはずなのに三年間で逃げ出し、最後の二年間は無為徒食の徒となってただひたすらに拗ねるばかり。


「あなたのせいよ!あなたのせいで一体何人が!」

「それさっきも聞いたっての」

「黙ってなさいよ!」

「雄太先生はそんな頭ごなしの物言いをする人じゃなかったぞ」

「何よ、うちの息子の生徒がこんなコスプレ坊や!?」

「おーおー、現実から目を背ける事に関しては名人芸だな」


 アフシールJr.は玖子を煽りまくる。その間にまた別のジャンの大群がやって来てはサキュバスの肉体を傷つけて行く。全ての感情が破裂しそうになる、どうして皆自分を拒絶するのか。自分は正論しか述べていないはずだ、なのにまったく効いていない。いくら考えても答えは明白なはずなのに、その明白な答えに丸印が与えられない。

(そうよ、こんなふざけた場所があるわけないじゃない!)

 玖子はあちこちを破壊していく間に、どうやらこの世界には伊佐家以外の人間がいない事に気が付いた。浅野治郎も、出版社の人間も、誰一人殺せていない。まったくの無意味だった。まったくの浪費じゃないか。

 そもそも、あまりにも都合の良すぎる目の前の現実。ここではいくら壊しても構わない、どうせ誰も死なないんだからいくら暴れても構やしないよと言う親切すぎるサービス。まるでこうして破壊を起こす事を予見されているような世界。

 それならそれでいい、全てを破壊してやる。この力を見せつけ、二度と私の邪魔をさせないようにする。それで息子が死ぬならばそれまでだ。


「これで反省なさい!!」


 玖子は自分が包囲されているのを良い事に、全方向に向けて魔力を吐き出した。その魔力の波はジャンたちをさらい、次々に飲み込んで行った。この時の玖子の顔は、実に美しかった。血まみれになっている事を喜び、息子と同じ姿をしたまがい物を倒す事に高揚感を覚える顔。しかしその美しさに、かつてどんなに人間にとって非道な事をしても失われなかった気品は欠片もなかった。あったのは、実に機械的で演技的な笑顔だった。

 そしてその笑顔は一瞬で曇った。出せる限りの魔力をジャンの集団に向けて放出したと言うのに、半数近くがまだ立っている。そして態勢も立て直せない内にジャン集団は向かって来る。







「やってられないわ!!」


 ついに玖子の心にひびが入った。

 反応がなさすぎる。ジャン集団はまったく無言で突進し、そしてそのまま傷を負わせるなり斬り落とされるなりして消えていく。どれか一人が本物なのだろうが、その本物もまったく喋ろうとしない。気合を出すための声すら上げない。まさしく戦闘機械のごとく、無慈悲で正確な攻撃を加えて来る。

 白昼夢に付き合え付き合えと言う凄まじいまでの圧力から生まれた幻聴が、玖子の耳に入り込む。

 自分たち一家だけしかいない世界。その世界の人口の半分以上がはっきりとこの集団を支持している。六歳児二人を除けば100%だ。文字通りのひとりぼっち。もしここで全てを認めてしまえば楽になれるのかもしれない。だがそれは何を意味するか。

 これまでの人生、少なくとも新次郎に関するそれの全てが浪費であったと言う事を認めるという事だ。いや自分が手を出さなくなった途端に成功し出したのだから浪費どころか逆効果、ただ足を引っ張って来ただけと言う事を認めるという事。雄太や総司のようなさほど熱心に関わって来たと言う訳ではない息子たちがそれなりに成功している上でのこの事実を認められるほど玖子は強くない。ましてや逃げ出す事などなおさらだ。


「新次郎……いつまでも守ってくれるような存在がいると思ったら大間違いよ!」

「それは自分に言ってるんだろ?」


 倒すしかない。自分の力を見せつけるしかない。そのために、まずは一枚一枚新次郎をくるんでいる衣を剥がそうとした。錦を着ていても心がボロでは意味がない、その事を教えてやらねばならないのだとばかりに玖子は妖精たちを狙う事にした。


 まず手近な存在、アニメスタジオの残骸の辺りで激しく身振り手振りをする妖精から玖子は狙う事にした。確か三人の妖精とやらがいる、一人一人消してやればいい。悪口雑言になど耳を貸す必要はないのだ、自分は正義なのだから。


「何をするの!」

「私の息子を返しなさい!」

「私の事が分からないんですか!」

「知らないわよ、このコスプレ小娘!」


 妖精はサキュバスから逃げながらミントグリーンの髪を振り乱し、ジャンの幻影を作り出して実体化させて行く。ジャンの集団の攻撃が、玖子の肉体をまた痛めつける。


「もし、もしあなたが勇者様のことを少しでも悼んでくれるのであればそれで良かった。でも私は何度もあなたの家に来て生きた証を探そうとした、でも全くなかった!」

「もしや!」

「そう、北本菊枝とは私の事ですよ!」

「そんなめちゃくちゃな髪の毛の色にして、私の息子を惑わしたのね」


 その死どころか、存在すら認めようとしない玖子。新次郎から前世界での死に方を聞かされてそれではそうなるのも仕方がないと思って来た。だがトライフィールドに来てからこれまでの玖子の言動は、その過去を正当化するにはあまりにも醜すぎた。

(勇者様、また私はあなたを裏切る事になるかもしれない。けれどこの人が親だったら私はたぶん逃げ出していた)

 逃げ出さなかった結果ああなったのをわきまえて、勝てないと思えばさっと逃げ出す人間になれたのかもしれない。新次郎を見て逃げ出すのが正解だと考えたのかどうかは分からないが、雄太も総司もよく逃げた物だとトモタッキーは感心していた。


「息子を返しなさい!!」

「どこを見てるんだよ!」


 ジャンの幻影を片付けてトモタッキーを追おうとすると、今度は後ろから別のジャンの集団の攻撃が来る。バラバラに速度を強化させ次々に攻撃を仕掛けて来るので、流れ作業のように対応する事も出来ない。さらに傷が増え、とても男を誘惑できるような肉体ではなくなって行く。


「ったく髪の毛ひとつでこんなに正体を失うなんて、牛の方がまだ理性的だっつーの!」

「うるさい!!」


 真っ赤な髪色をしたハーウィン。彼女がジャンたちの速度を高めている、そうだなぜまずこいつから潰そうとしなかったのだと言う後悔を武器に玖子は突撃する。ジャンの大群をくぐり抜け傷を増やしながら進むが、ハーウィンに逃げられたのは言うまでもない。

 そしてジャンの大群を突っ切ろうとした最後の一人の一撃が、玖子の腰を捉えた。玖子の出血はさらに増し、顔は青くなっていく。


「もうこれまでだよ!」


 その痛打を与えた一人が、はっきりとした声で玖子に呼び掛ける。紛れもなく本物のジャン、いや伊佐新次郎の声だ。


「新次郎、あなたなんか産むんじゃなかった!!私の人生どうしてくれるのよ!!」

「勝手な事を言わないでよ!こんな事もうやめようよ」

「じゃあとっととそんなコスプレやめなさい!」

「他に言う事はないんですか!」

「どうしてもやりたいのならば私を死体にしなさい!この殺人狂!!」


 産まなければよかったと言う考えうる限り最悪の侮辱とボキャブラリーの貧困さを示すコスプレと言う単語の乱用をやめる事なく、玖子は喰ってかかる。辺りにはジャンの死体から出る赤い血や血臭が立ち込め出し、大都会の真ん中とは思えないほど凄惨な状態になっていた。


「この血臭を何とも思わないんですか!」

「あなたが殺したの!私の言葉に耳を塞ぐために!」

「スケープゴートか何かですか!」

「とんでもない!私はあなたのためを思ってこれまでずっと戦って来た、あなたのような存在を出さないためにも、これから……」

「もう無理ですよ!」


 出血がひどくなって来たせいか、体が大きくふらつきそうになる。また何か頭の中に雑音が入り込んだようだった。それでも、自分が正義であると言う思いだけが彼女を動かす。最後の最後まで、どんな強敵であろうが諦めてはならないし投げ出してはいけない。それが絶対的な勝利の道なのだから、と。


「悪い子、あなたは本当に悪い子よ!!」

「これで終わりにしましょう!」


 玖子はかすみかかった目を見開き、全身から魔力を吐き出しながら双剣を振って新次郎に飛びかかった。新次郎の護衛に入った偽物のジャンたちをもさらに打撃を負いながら斬り捨て、血臭と死体をさらに増やしながら進む。そして

「うぐぐ!」

「ぐうっ……!」

 ジャンと玖子、お互いの剣が相手の胸元に刺さった。どちらも傷を負ったが、これまでのダメージの蓄積量が違いすぎた。ジャンは一歩後退しただけなのに対し、玖子は体力を回復するためこれまで魔力によって作っていた双剣を維持できなくなってしまった。


「母さん!」

「まだ、まだ私はあきらめない……」

「その状態ではもう戦えないでしょう!」

「あなたのため、あなたのために…………」

「目の前の奴を殺しても結果は同じだぞ。ご苦労様だな」

「あなたこそ断腸の決断を取っていただき感謝しております……あたた……」


 完全に息の切れた玖子の目の前でジャンは胸元に手を当てて先程の傷を癒して行く。それと共に姿を消し、背中から羽を生やして行く。それと共に大量のジャンの死体が、全て魔物のそれに代わって行った。
















「わかるんだよ、一匹でも残していたらこいつはまだあきらめずにその肉体を奪おうとする。結局僕らの方法は肉体が死ぬと魂が道連れになってしまうと言う致命的な欠陥からは逃れられなかったんだ」

「僕の勝因はそれか」

「相変わらず自己評価が低いね」


 アフシールJr.はまぶたから流れ出る液体を押しとどめる事もなく、本物の勇者ジャンと向かい合っていた。

 謀叛人を倒すためとは言え、かき集めた魂から作った魔物軍を文字通り一匹残らず殺してしまった。倒すべき存在であったジャンの姿にして。

 ミントグリーンの髪の毛のコーファンはずっと、後方で魔物たちの姿をジャンに変えていた。最後には、自分も再びジャンの姿となり玖子と打ち合った。


「世の中に理想なんて物はないね。父さんや僕のやり方は魔物にも人間にも良い方法だと思ったけど、結局は人間頼みだった。それはまあいいとしても魔物の肉体を使い捨てにするのがまずかったね。こうしてもっともっと凶悪な魂をかき集めてさらに待つべきだったのかもしれない。もう全て繰り言だけどね」

「…………」


 新次郎はアフシールJr.のすがすがしい敗北宣言を聞きながら、母の下へ歩み寄った。もはや満身創痍、立っているのすら苦しそうな母。だがその目から憎悪と活力は未だに消えていなかった。


「人殺し…………」

「母さん」

「お前を、お前を殺す……私は全ての、世界のためにお前を殺さねば…………」

「もうやめよう!」

「何よ…………あんな悪夢を……見せておいて…………私はあきらめない!」


 突っ込まれた魂が汚ければ汚いほど力を増すのが魔物だった。玖子は新次郎をそしり続ける事により力を取り戻し、肉体に活力を与えた。

 逃げる。逃げてやる。力を蓄え、いずれ悪い子たちを正してやる。玖子はこの場での敗北を悟り、ついに逃げ出す事を決意した。新次郎から逃げるように後方に飛び、魔物たちの死体を踏みながら空へと舞い上がろうと翼を動かし、空へと逃げようとする。

 しかしその翼の動きが、突然止まった。それと共に玖子の瞳がトロンとし始め、体が前に倒れ込みそうになった。

(ついにその壁を破ったか、でかしたぞインキュバス)

 その玖子の背中を見たアフシールJr.は、最後の部下となったインキュバスがずっとこの戦いの間彼女の心に入り込もうとしていた事に感動していた。その事に気付いたのか気付かないのか新次郎は、無言で剣をサキュバスに向けて突き出した。かつて魔王を殺した剣はサキュバスの心の臓を貫き、それと共にゆっくりとサキュバスの肉体は口からわずかな断末魔を吐き出しながら倒れ込み、生命活動を停止した。










「いけねえ!」

「おい総司!」


 新次郎と玖子の戦いの終了を確認した総司は慌ててタンスを漁り、一本の紐を持ち出した。その紐を持って素足で外に出た総司は一人の女性に馬乗りになり、彼女を後ろ手に縛り上げた。


「おい魔王の息子とやら、やっぱりあんたも正しかったよ!」

「そうか。おいインキュバス」

「はい……」

「とりあえず頼む」


 途中からずっとサキュバスを止めるために魔力を使っていたインキュバスはふらついた足取りで再び力を込め、後ろ手に縛られた女性の肉体を眠らせた。そして萎えた足でゆっくりと一つの遺体へと近づき、ひざまずいて泣いた。生前のそれを思わせるにはあまりにも傷付き、歪んだ肉体と顔を見下ろしながらただ泣いていた。ジャンも妖精たちも、釣られるように泣いた。

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