第37話
「おーおー、随分と遅かったじゃねえか、哀斗」
息を切らし、肩で息をする哀斗を、もはや指定席となった鹿跳神社、その賽銭箱の上であぐらを掻くアスモウラが出迎えた。相変わらずの暑苦しさのあるマフラーを巻いた見てくれだ。紅の髪が月明かりに照らされて妖しく光っている。
いんや~、ここ数日はお前のためを思って、星も我慢してたんだぜ、とわけのわからないことを言う彼女の脇には酒瓶とおちょこがあった。賽銭箱の淵、ギリギリの所に立ててある。
来ると思ってたぜ、とアスモウラはまるで哀斗の行動を見通しているようだった。それなら、と哀斗は早々に本題を切り出した。
「アスモウラ……姉ちゃんと契約したの?」
「姉ちゃんー?」
「零細哀果。俺の姉だよ」
れいさいあいか、れいさいあいか、と何度か名前を唱えてから、アスモウラは紅の髪をわざとらしく傾けている。
「あー! 思い出したぜ! おっお前まさか、零細哀果の弟だったのかー! なんてな」
「……やっぱり、全部知ってたんだね」
「知ってたって何がだ? 哀斗の悲しい悲しい一人芝居についてか?」
身振り手振りを入れながら、愉しそうに話すアスモウラ――花火や憧子との一件が起こることを想定していたことは間違いなさそうだった。
「今はその話はいい」
「ひゅー、しっかり立ち直ってら」
それだけじゃない。その先のリミリーの甲斐あって立ち直れたというところまでも、想定済み、哀斗にはそう見えた。
はらわたが煮えくり返るような内心を抑える。
「姉ちゃんが願った願いはなに?」
「言わないとダメか?」
アスモウラは、やはり哀果と契約をしていた。確定的だった。
「……いい加減、ふざけるのはやめてほしい」
「はい、はいーっと。でも、あっさり教えるのも面白くねえな。一つ、クイズを出してやろう」
無言で視線を送るものの、アスモウラはしたり顔で言う。
「楽しい出来事、悲しい出来事、嬉しい出来事、悲しい出来事、そんでもって希望。さて、次に来るのはなんだと思う?」
口にする間も無く、アスモウラは満面の笑みで続けた。
「正解は、絶望だぜ」
「……やってみなよ」
「おう、とくと聞け」
嘘だなんだといちゃもんを付けられるのも面倒だし、フラグを挙げて論破してやっからしっかり受け止めるんだぜ? と、アスモウラは不気味に嗤う。
「まず一つ、哀果に最近された暴力行為があったろ? あれ、なんでか分かるか?」
「……契約のせい?」
「3割正解ってとこだな。発端事態はそれだ、だけど哀果との契約は言うに10年に及ぶからな、オレの悪魔の魔力にでも当てられて精神が病んだってこった」
んでまあ、とアスモウラはそのまま。
「次に、哀斗が美少女といちゃいちゃしていた時に起きていた、強制的なシスコン発言についてだ」
哀斗は頷き、話を促す。
「あれは、哀果がお前の願いに干渉してしまう程に、嫉妬していたからだ。愛されてるな、哀斗は。まあ、必死に堪えた上だと思うけどよ」
「……だからなに」
ちっちっち、とアスモウラが指を振る。
「すぐに答えを訊くのはゆとり世代の悪い癖だぜ。ま、しょうがないから道ぐらいはつくってやっけどよ。えーと、んじゃまあ、問い。これから導き出される哀果とオレが交わした契約、願いはなんだと思う?」
「俺の願いを邪魔したかった、とか?」
「契約したのは10年前。お前、その時何があったか言ってみろ」
「10年前は確か記憶を失った年……」
つまり、両親からの虐待が終わった境目の年でもある。
右手が自然と顎に伸び、更に思考は加速する。
「アスモウラの話と、その時の哀果の心境を考える限り願いは……」
導き出した答えと全く同じ言葉を、アスモウラは言った。
「哀斗が幸せでありますように、だ」
哀斗がその考えに至った理由。それは、これまでの哀果の言動にあった。過剰なまでの哀斗へのスキンシップ。姉弟で仲が良いね、では済まされない程の熱烈な好意。あれが全て、それまで虐待を受けてきた哀斗への気遣いによって生まれたものだというのは察してはいた。しかし、哀斗自身がそれを哀果に伝えてしまうと、きっと気まずい関係になってしまう、だからこそ哀斗はそれを黙認していたし、むしろ良しとまでしていた。
それがまさか、こんな形で爆発していたとは思いもよらなかったが……。
「ということは、つまり。俺の願いの代償として、寿命を払ってくれているのも……」
「もちろん、お前の姉。哀果だぜ」
「それじゃあ姉ちゃんの寿命は……」
アスモウラと契約したのが10年も前。それからずっと弟の幸せのため寿命を削り続けていたという……考えてみただけでも、相当量の余生を消費している。その上、一ヶ月前からは哀斗自身の願いも重なり、その寿命の消費速度は速い。一刻も早く、哀果の願いを終わらせなければならない。
「ん? どうした背向けて、話の途中だぜ?」
「急がないと」
「……姉ちゃんのところに行って、願いを止める」
「は? どうやってだよ?」
「今すぐ、姉ちゃんに俺は幸せだよって宣言しに行くんだよ。ヒロインじゃないのに心が通じ合ったリミリーを連れて行けば、きっと納得してくれるはずだ!」
きっと、哀斗がふさぎこんでいたあの時期に哀果に伝えようとも、認めてはくれなかっただろう。しかし、今はそうじゃない。
「いや、だからどうやってだよ」
アスモウラは事が簡単に片付くことが気に食わないのか、同じ質問を繰り返す。
この時も、一秒一秒が刻まれる度に哀果の寿命が無くなっていると思うと、アスモウラに付き合っている余裕は無い。見切りをつけて走りだそうとするが……。
「くくっ……くく……」
どうしても、アスモウラが未だ愉しそうにしているのが気に掛かった。
「何を笑ってるの」
「いや、だってよ……。どうしてそれで上手くいくと思ってるのか、不思議でならなくてよ。浅はかというか、なんというか……くく」
「別に、嘘を本当のように言うわけじゃないんだ。正直な気持ちを伝える。どう考えても成功するはずだよ」
「ああ、そうだな、成功するぜ……。哀果が『起きれれば』の話だけどな」
可笑しくてたまらないのか、胡坐のままのアスモウラは膝を何度か叩く。
「哀果はなあ……哀斗と自分の契約。実質の二重契約のせいで、今昏睡状態なんだろ? くく。身体が悪魔と繋がってることの負荷に耐えられてねえんだ、くく。意識の無え相手にどうやって『俺は幸せです』なんて伝えるんどろうなぁ」
「……っ⁉」
目を瞑る意識の無い人間に向けて、どう声を聞かせ、どう願いは叶ったと納得させるというのか。完全に失念していた。……冷静じゃ、無かった。
それでも哀斗は、何かまだ策はあるはずだ、と考える。
「そ、それじゃあ、俺とまた契約してほしいっ! 願いは姉ちゃんの回復だっ!」
「それは無理だぜ」
「どうしてだよっ⁉」
「だってもう既に契約してるじゃねえか」
「姉ちゃんも二重契約っ――」
「哀果はあくまで、対価を負担しているだけだ。確かにオレとのパスはそのせいで二つ開いちまっている。だけどな、契約者的には哀斗になってるし、哀果は哀果でお前の幸せを願うっつー契約をしてんだよ。無理やりできなくもないが、そんなことをすれば哀斗も昏睡状態になるだけだぜ? 姉弟仲良く永眠してえってか?」
「……そん、な」
もはや、八方ふさがりだった、出口の無いトンネルに閉じ込められたような感覚。
――刹那。視界が塗りつぶされる。
目の前が真っ暗になった、とはよく言うけど本当になるものなんだな、と思った。
「けっ、過保護な女だ」
つまらなそうに吐き捨てるアスモウラの影は、ほとんど霞んでいて、次第に小さくなっていく。
「目が……頭が、重い……っ」
頭の上から重たい泥がのしかかるような感覚。気づかなうちに膝を付いていた。もういっそこのまま寝てしまおうか……。
しかし、力を抜いた身体が地面に伏せることはなかった。
重力の赴くまま傾いた上体が、温かな感触に支えられる形で止まる。
どこかで、フラッシュバックしたような光景だ。どうして、こんなにも突然、一瞬の内に現れるのか。
視界を真っ黒に染め上げていたはずの靄は、一筋の金が見えた途端、霧散した。
「ほえ? 哀斗じゃないの」
耳にすっと馴染む気持ちを晴らす明るい声。碧眼の眼でリミリーが見下ろしていた。
「どうしてリミリーがここに……?」
リミリーに抱き留められながら哀斗は困惑する。
「んー、わかんない。なんかノリで、みたいな? っていうか、それより男の子なんだから、自分で立ちなさいよ。ほら」
「んおっ⁉」
唐突な浮遊感の後、鈍い音と共に視界が振動した。すんごく痛かった。
「いきなり放すのはひどくない?」
だって重いじゃない、と言うリミリーに哀斗は恨みがましい視線を送る。
「ところで、こんなところで何してたわけ?」
「何って……」
起き上がり、土埃を落としながら、本殿に向き直る、が。
「あれ……居ない」
さっきまで、賽銭箱の上で不貞を働いていたはずの悪魔アスモウラが見当たらない。
「どうしたの?」
一般人であるリミリーの乱入で、厄介になる前にと立ち去ったのだろうか。
目尻を抑える哀斗だったが、ふんわりと両頬を包み込まれる。リミリーの両の手のひらだった。
「哀斗、鏡見た方が良いわよ。ひっどい顔してる、この数時間で何が会ったのよ」
リミリーがヒロインでないこと。『主人公になりたい』という願いとは関係なく、哀斗のことを思ってくれていること。その事実が判明したのは、そういえば夕方だ。もう随分と時間が経ったような気がする。
「……姉ちゃんが倒れたんだ」
かなりまずい状況なの? と問いかけようとするリミリーだったが、哀斗の陰鬱そうな顔から感じ取り、口を紡ぐ。
「たった一人の家族なんだ。俺、どうすれば……」
今にも壊れてしまいそうな哀斗の顔を目の当たりにしたリミリーは、いてもたってもいられなくなって、哀斗を抱きしめる。
「大丈夫。アタシがいるから……アタシがついててあげるから……」
哀斗は膝立ち姿ということもあって、哀斗がリミリーからの抱擁を受ける姿は身長差のまるで姉と弟のようだ。
リミリーの豊満な胸に哀斗の顔は埋まり、その鼻孔を安心感のある香りが覆う。
気づけば、哀斗はじんと胸の中が暑くなっているのを感じた。実の姉が倒れている状況下であっても、両想いの相手からの行為にあらがうことはできないし、むしろそれが助長していると言ってもなんら祖語は無い。
リミリーになら、全てを話して頼っても良いんじゃないか、そう思えた。
自分一人では何の手立ても思いつかないどうしようもない状況。もしかすると、時間をかければ浮かぶかもしれないが、希望的観測に掛けられる程の時間も、心の余裕ももう哀斗には残っていなかった。今、この瞬間も哀果の寿命は失われつつあるのだから……。
意を決して哀斗は口を開く。
「……事の発端は十年前の事らしい」
「10年前……ということは、哀斗が記憶を失ってしまった時ってことよね」
「そう。ちょうど、両親からの虐待から解放されて、その記憶を弱さからそれまでの記憶も含めて、一緒くたにして封じてしまったタイミングと同時期のことらしい」
哀斗の昔のことを知る、幼馴染らしいリミリーは昔のことを思い出そうとしているのか思案顔をしてから、
「あれだけの大事故があったものね」
「……大事故?」
思わず復唱したのは、哀斗にその記憶が無かったからだった。
これまで、記憶の無い10年間の記憶について、哀果から聞かされたことは一度も無かったし、哀斗から聞くことは無かった。哀斗が両親から虐待を受けていたこと、それが大きな壁となっていて、その話題に触れるだけで哀果が酷く暗い顔をするだろうと思ったからだ。
哀斗は話を逸らそうかと逡巡するも、やめた。折り重なった哀斗と哀果の願い、それに大きく影響することなんじゃないか、そう思えてならなかったからだ。
異性を前にしていることも忘れ、互いの吐息すら感じる距離めで顔を近づけて促した。
「ええ、哀斗の傷にも大きく影響することよ」
「背中の……?」
リミリーは頷いて、話を続けようとするも、哀斗によって阻まれる。
「両親から受けた虐待の痕じゃないの?」
哀果から聞かされていた空白期間の情報。それが、全てだった。
「違うわよ? アンタの傷は、交通事故の影響よ」
そんなわけが、と否定しようと哀斗は口を開こうとするが、それは敵わなかった。
「うっ……」
猛烈な頭痛に襲われたからだ。
頭の中に、もうもうと燃える真っ赤な炎が広がった。みるみるうちに森全体に広がっていく――そんな光景。
「い……っつ……!」
哀斗と同じく、苦痛でリミリーの顔が歪んだ。同様の頭痛が襲ったのだ。
お互いに発生した記憶の矛盾点。
それが原点となり、記憶に掛けられたメッキが剥がされていく――。
膨大な記憶が大波となって、二人の脳を飲み込んだ。
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