第31話

 花火に密着されたまま連れて来られたのは、さっきまでいた浜辺から少し離れたところにある岩陰だ。

 波自体は穏やかだが、入り組んだ地形ということもあってか小気味良く水音が鳴っている。


「裸足なんだから、尖った岩とか気をつけなよ」

「はーい」


 今では、花火は哀斗の腕から離れていて……水しぶきが当たるか当たらないかのところでくるくると回る花火が危なっかしく、哀斗は見ているだけでハラハラしていた。

 ついさっきのリミリーとの撃ちあいをみている限り、運動神経が鈍そうな感じはしなかったが、それでも全体的にミニマムサイズなので心配だ。


「よっとっと」


 飽きたたのか、素直に注意を受け止めたのかはわからないが、波と戯れた花火は小ジャンプを繰り返しながら哀斗のもとへ。そして、


「受け止めてくださいっ」


 と、そのままの勢いで飛び込んできた。


「ちょっ⁉」


 柔らかくも激しい衝撃を受け、哀斗は体勢を崩しかけるも、なんとか持ちこたえて受け止めることに成功する。


「さっすが男の子、ですねっ」

「明音、いきなりこういうのは……っ⁉」


 受け止めることに成功……ということは、抱き合うような格好になるのは必然で。尚且つ、水着ということもあってお互いの素肌の間にあるのは水着2枚分の厚さだけ、という官能的な状況に陥っていた。


「どうしました? 耳のとこ、真っ赤ですよ?」


 言いながら、耳を触ろうと手が伸びてくる。一緒になってあどけなさのある幼い顔がぐぐっと迫る。潮風で若干ながら纏まったツインテールが、胸元をさわさわと滑りまわってくすぐったい。


「た、たんまっ! 近いからっ、ちょっと離れて!」

「えぇー。いいじゃないですか、な・か・よ・し、ですし」

「仲良しにしても度が過ぎてるからっ。これ限界突破しちゃってるから!」


 必死に肩を抑えて、顔の接近だけは食い止める。が、依然としてゼロ距離でぺったりとくっつく花火の全身が、哀斗を身体的且つ精神的に脅かす。

 いっそもう楽になりたい、と哀斗の心が折れ掛けるギリギリのところで、花火は身を引く。


「(まじで危なかった……理性が……。ロリっ子のすべすべボディやばかった……ほんとに……)」


 ほっと息をつき、胸を撫で下ろす哀斗に、花火は無邪気な笑顔を浮かべる。

「それじゃー、もっとなかよしになりましょうかっ」


 なかよし……? 友人関係を深めようとかそういうことかな? と哀斗は考えるが、続く花火の言葉は予想とは違うものだった。


「試しにお付き合いでもしてみます? あーくん」

「へ?」


 花火の脈絡の無い一言に、頭を重いきり殴られたような感覚を覚える。


「(さっきまで、楽しく? 遊んでいた? はずなのに? これはいったいどういうことだろろろろろろ……)」

「花火、あーくんのこと好きですよ? あーくんはどうですか?」

「どうって、それは、そのののの……っ!」


 追い立てるような質問責めに、脳の処理が追い付かない。


「(とりあえず冷静に、クールに考えて。まず、さっきまでは楽しかった。遊んでいた、ということにも納得……。だけど、少しスキンシップは過剰だったし、あれが遊びというなら、世の中の治安は乱れまくりで……って意味がわからんし、考えるとこがなんか違う!)」


 脳内でノリツッコミをしつつ……とりあえず、言い方は悪いが時間稼ぎだ、時間稼ぎ。まだ早る時ではないはずだ、と哀斗は動揺を必死に抑える。


「お、俺のどこが好きなの……?(さあ、何でもかかってきやがれってんだ。どんな誉め言葉を言われようと、自分に向けて悪口を言う、という根暗発言で相殺してみせるぞ……。童貞は告白に弱いんだ……それに、花火はヒロインじゃないんだし、きっと冗談に決まってる。あれ、ってことはあの好意的な行動はなんなんだ、もしかして純粋に俺のこと……)」


 頭がオーバーヒート寸前な哀斗だったが、一気に冷えた。


「……ぅ……ぁ……」

「は?」


 気づいた時には、ゆらり、と花火の身体が大きくぐらついていた。

 前のめりに倒れる花火を、地面に着く前になんとか抱えることに成功する。


「おい、どうしたんだっ⁉ 明音っ?」

「……」


 体を起こして、大声で語り掛けるが、返事はない。が、息はあるし、呼吸は落ち着いている。


「とりあえず、早く病院にっ……」


 女子の身体がどうだどか、そんなことはもうお構いなしで、すぐに背中へと担ぎ上げる。

リミリーや憧子の助けも借りた方が良いだろうと、さっきまでいた浜辺へと向かう。

夢中で走っていても、来るときは距離が短かったはずの道中がやけに長く感じた。


「っはあ……はぁっ……!」


 運動部に入っていない哀斗は、当然ながら体力は並以下で、到着した頃には全身から汗を流して、息も上がっていた。荒い呼吸を整える哀斗に、呼びかけるまでもなくリミリーと憧子は気づいて駆けてくる。


「はっ、花火っ⁉」

「ちょっと、どうしたのよ? そんなに急いでって……ハナ⁉」


 花火の頭に手を当てるリミリーと、あたふたと周囲を回る憧子に状況を説明する。


「向こうの岩陰で、話をしている最中に突然倒れたんだ。だから、原因は全くわからない」

「憧子先輩、朝のハナって体調悪かったりしてた?」

「いいえ、特には。私と同じで道すがらに電車酔いしたぐらいです」

「そう、よね……」

「持病とかは持っていたりしますか?」

「それも、特にはありません。今まで大きな病気なんて一度もしていませんし、健康で……。と、とりあえず私、スマホ取ってきますっ!」


 救急車を呼ぶため、水着のまま別荘へと走り出そうと憧子が背を向けかけた瞬間、


「ぅ……うーん……」


 花火が小さく呻きながら、微かに瞼を震わせた。

 それにいち早く気づいた哀斗は、揺すりながら背中越しに声を掛ける。追って、リミリーと憧子も賢明に名前を呼びかける。

 ……すると、その甲斐あってか花火はゆっくりと目を開ける。


「花火……っ!」


花火は不思議そうに周りを見渡す。


「おねえちゃん……ここ、どこ?」

「いつもの別荘よ、旅行に来たんじゃない」

「りょこう……?」


 意識が回復して間もないからか、状況の判断が付いていない様子だ。

 花火は、ピントを合わせるようにゆっくりと何度か瞬きをしてから、


「ひっ、な、なにこれっ⁉」


 男の哀斗に水着越しとはいえ、ぴったりとおぶられている状況が今更に恥ずかしくなったのか、暴れ出した。


「ちょっ、落ち着いて明音」


 哀斗は宥めながら花火を下ろす。


「ハナ、ほんとに大丈夫?」

「リミリー先輩……特に変わりはないです……ただ、なんでこんなところに居るのか……」

「きっと、今は混乱してるだけだよ。大事をとって、別荘に戻って休んだ方が良い」


 まだ遊び始めて間もないけど、花火の体調が心配だ、と別荘へと歩みを進めようとした途端。


「いっつ……」


 足裏に広がる痛みに、つい立ち止まる。


「ちょっと、哀斗っ⁉」

「哀斗くん血がっ! すごい量ですよ?」


 無我夢中で裸足のまま岩の多だらけの道やらを砂浜までおかまいなしに走ったからだろう。途中で固い物でも思いきり踏んだのか、皮膚が破けて出血している。花火をおぶってきた道を振り返ると、ところどころ赤く滲んだ地面が見えた。

 砂が傷口を刺激しているからか、気づいてからどんどん痛みが増す。


「化膿する前に消毒した方がいいわっ! 憧子先輩、綺麗なタオルの準備お願い! アタシは近くに自販機がないか探してくるから!」

「待ってくださいっ、裸足で行っては……!」


 憧子は、波が来ないよう少し離れたところに置いておいたビーチサンダルを二足取り、一つをリミリーに、もう一つを自分で履いた。

 ありがとっ、とリミリーは憧子から受けとったビーチサンダルを引っかけて走っていく。


「私もタオルを取ってきますので。花火も哀斗くんも少しの間ここで待っていてください」


 そうして、憧子も慌てながら駆けて行き、浜辺には花火と哀斗の二人だけが取り残される。

 足に激痛は響いているものの、今は明音を気遣うべきだ、と哀斗はできるだけ平静を保つ。


「明音、大丈夫? 気分悪かったり、頭が痛かったりとか……」

「い、いえ。だ、大丈夫です」


 そう言われても、心配が拭えない哀斗は、花火へと手を伸ばすが、それは阻まれた。花火自身の手によって。

 手と手がぶつかり合い、乾いた音が浜辺に響く。


「ごっ、ごめんなさいっ……」

「こっちこそ、ごめん。ちょっと気安すぎた」

「えっと、あいとくんさん? は、その……喧嘩とかをよくするんですか?」


 背中の傷のことを言っているのだろうか。そういえば、見せたのは初めてだった。


「いや、これはそういうんじゃないよ」


 事情について詳しく話すのも今となっては構わないが、ただお互いに気まずい雰囲気になるだけだろう。花火の体調が万全でない以上、暗い話は避けた方が賢明だ。


「えと、その大丈夫ですか、足」

「あ、ああ。平気だよ、それよりも、明音がとりあえずなんともなく意識が戻ってよかったよ」


 話していて、なんだか……。花火の言葉の抑揚とか雰囲気がいつもと違う。


「それは、よかったです。あの、ずっと気になってたんですが……」


 気まずそうに、花火が続ける。


「その……あいとくんさんは、どうしてそこまで私に気を掛けるんです?」

 愛らしく小首を傾げる花火……見た目はいつもと変わらない。

「なあ、明音」

「はい、なんです?」

「あいとくんさんって、なに」


 言うと、きょろきょろと花火の視線が動いた。

追従して、青いツインテールもさ迷う。そうして……しばらくしてから、困ったように口を開いた。


「気を悪くしてほしくないんですけど……。花火とお兄さんって、初対面ですよね……?」

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