第8話

「明日の放課後。図書室に行けば、美少女とお近づきになれるぜ」


 『主人公になりたい』という願いを汲んだ、アスモウラに提示されたイベント。真偽を確かめるべく、哀斗は図書室に来ていた。

 背丈以上の高さまである本棚が立ち並び、図書室の中は物々しい。本に染み込んだインクの匂いや様々な家庭の生活臭が混じりあい、室内は独特の臭いが充満している。

 図書室特有の臭いの好みは大きく分かれるが、哀斗は嫌いではなかった。

 夏場ということもあって窓からの明るい光が照っている。

 予定よりも早く来れたからか、生徒がちらほら見える。これから本の貸し出しや、返却を済ませて部活動へ向かう人も多いだろう。


「時間あったし、今日でちょうど良かった」


 昨晩のうちに哀果とのインタビューを終わらせておきたかった哀斗だったが、原稿を作らせてほしいとの申し出があった。そのため、田中先生の所へ出向く用事は延期。明確な期限を設けられていなかったのだし焦る必要もない。

 しかし――。


「人が多すぎてどの子がアスモウラが言ってた子なのかわかんないな。……といっても本当に居るのかどうかもあやしいところだけど」


 小声で呟き、一角にある誰も座っていない長テーブルを選ぶ。

 鞄を机上に置いてから、何も本を持たずに席に着くのも不自然か、と思い立って本棚へと向かう。

 ラノベを読みたい気持ちが山々だったが、相手がどんな子かわからない以上、下手にオタク色の強い本を手にしているのはまずいかもしれない。ということで、ドラマ化もされている人気っぽいミステリー小説にすることにした。


「うん、これなら無難そうだ」


 図書室をあまり利用しないために時間が掛かってしまったな、と急いた気持ちで席に戻ると、鞄を置いた真向かいの椅子に女子が座っていた。

 仄かに青みの入った艶のある髪の長さはベリーショート。横顔からだけでも美人であることがわかる彼女は、手元の本へと目を落としている。真剣な顔つきからクールなイメージを憶える。


「(年上……?)」


 比鹿島高校は男女共に、制服のうちにネクタイも含まれており、その色によって学年が一目で分かるようになっている。

 赤→青→緑の順番で学年が上がるようになっており、彼女は緑色のネクタイを身に付けていた。3年生だ。

 他にも誰もいないテーブルがある中で、そのテーブルをチョイスし、更には荷物のある席の真向かいを選んだということは、何かしらの理由があってと考えても問題無いだろう。

 そう、アスモウラの言っていた件だ。

 立ち尽くしているわけにもいかないので、机上の鞄を床に立ててから腰を落ち着ける。

 本を開いてこっそりと伺い見ると、視線が重なった。

 哀斗と同様に本の上から覗くという全く同じスタイルでいた彼女は、黄色いシンプルなヘアピンのせいか両目がぱっちりと見える。

 傷の噂のせいで学内で人と話す機会の少ない哀斗は、今日一のコンタクトに目を逸らしかけるが、思いとどまった……先を越されたからだ。

 目が合った瞬間、哀斗が目を逸らすよりも先に、ベリーショートの女子はさっきまでのクールな表情はどこへやらといった具合にふらふらと視線をさまよわせ始めた。

 意を決したように目を合わしてきて、もう限界だーというようにまた逸らして……それの繰り返し。

 先んじて弱気な態度を取られ、こちらの弱気はどこえやら。

 このまま、あたふたしている姿を見るのもアリかなと邪な考えも浮かんだが、自分がそうされた時のことを想像し、こちらから声を掛けてみることにした。


「何か御用ですか?」


 すると、微かに身を震わせてからきょろきょろ。自分に話しかけてきたと理解すると、


「は、はい」


 おっかなびっくりな震える声が返ってきた。


「えっと、俺2年なので、敬語使わないでも大丈夫ですよ?」


 身に付けた青いネクタイを持って見せるも、ふるふると首を振る。


「失礼のないようにと……。あっ、でも不愉快でしたら今すぐにでも辞めて謝罪しますので」

「ぜんっぜん気にしてないですから! 大丈夫ですから!」


 本を脇に置いて、躊躇なく頭を下げようとしてきた上級生を止めるべく身振り手振りで気にしていないことをアピール。


「あ、申し遅れました。私、涼詩路憧子(すずしろとうこ)といいます。零細哀果さんの弟の哀斗くんですよね?」


 思い出したようにマイペースに自己紹介をされる。

 哀果は哀斗よりも2つ年上、つまりは憧子と1つ違いということになる。同じ比鹿島高校の生徒である以上、面識があってもなんら不思議ではない。

 弟であることを知られているのは不思議な点ではあるが……。


「姉ちゃんを知ってるんですか?」

「はい。とても有名な方でしたので。お勉強もできて、スポーツもできて、なんでもできる凄い方だなと話に出るたびによく思っていましたから」


 成績優秀であるため、教員の中で評価が高いのは察しがついていたが、生徒の中でも一目置かれる存在だったらしい。

 家での哀果の姿からは想像できない。


「大層なやつじゃないですよ」

「そんなことないです。とても立派だと思います。私にはどれもできないことなので……。よく図書室の窓から部活動に励む姿を見ていました。私の憧れの先輩です」


 哀斗の謙遜なぞ意に介さず、憧子は窓の外を懐かしむように見つめ、現役の陸上部に哀果の姿を重ねていた。


「……ま、まあ俺にとっても自慢な姉ではありますけど」

「ふふっ。可愛らしい表情が哀果さんにそっくりです」

「うぐっ……。それに俺、姉ちゃんのこと大好きなので」


 腑抜けた表情をしていたのだろうか、不覚。

 ――ちょっと待て、今なんて言った?


「そ、そうなんですか……」


 心の中で言ったわけではない、間違いなく声に出して言った、目の前の憧子の顔がその証拠だ。


「あくまでも姉としてですから! ノリで言ってみただけなので! 気にしないでください! 今の無しで!」


 哀斗は捲し立てるように声を荒げる。

 初対面で実の姉への愛を語る弟、キモい以外の何者でもない。

 苦し紛れの言い訳は雑……こんなことならもっとコミュ力をつけておくべきだった……。


「ところで、哀斗くんはミステリー小説がお好きなんですか?」

「(あれ、なんかあっさり引いた……?)」


 さっきまでの雑談なんて無かったかのように、涼しい顔で手に持った本に目配せをしてきた。

 違和感を感じつつも、話が変わるのは好都合なので当然話題に乗っかる。


「よ、よくテレビなんかで見かけるので、読んでみようかと思ったんですよ。特にジャンルに拘りはないんですけどね」

「私と同じですね。雑食なので」


 雑食――それなら今は何を読んでいるのだろう。

 憧子の読んでいた本はよくよく見てみるとかなり大きい。文庫本の二回りは広く分厚い。まるで何かの専門書のよう……というか、専門書そのものだった。


「『0から始めるプログラミング~基礎から応用までまるごと一冊~』……趣味がプログラミングだったり?」

「いいえ。趣味は読書ですよ。私、図書委員ですので」

「なるほど」


 本が好き。図書委員。にしても、雑食が過ぎるだろう……。


「本ならなんでも好きなんですね」

「否定はしませんが、いつもはストーリー性のあるものばかり読むんですよ。ただ今は、自分の不甲斐なさが恥ずかしいばかりで……。パソコンが満足に使えないんですよね……」


 途方にくれたように、憧子は悲しげな眼だ。

 そこまで悲観的になることもなかろうに……と、哀斗はちょっぴり感情移入。


「パ、パソコンが苦手な人も世の中にはたくさんいると思いますよ、たぶん……(年配の人くらいしかみたことないけど……)」

「そ、そうなんですね! ありがとうございます。だけど、私はなんとしてもパソコンをマスターしないといけないんです」


 確固たる目的を持っているのです、とでも言いたげな憧子。


「目的はそこなんですね。本のチョイスがだいぶ間違ってる気もしますけど……。というか、どうしてそこまで?」

「弟さんである哀斗さんはご存知かと思いますが、哀果さんの作品がやってみたいんです。『インセスト・トゥルー』を」


 哀果の創った名作と話題沸騰中のPCゲーム『インセスト・トゥルー』。この学校の生徒、更には哀果を観ていた憧子が知っているのもなんら不思議はない。


「姉ちゃんの作品を……」


 『インセスト・トゥルー』以外だったら、手放しで喜べたかもしれない。

 テーマが姉弟愛の作品に好意的な反応を示すのは日々、哀果に際どいアタックを受けている哀斗にとって難しい。


「とても話題になっているのでどうしてもやりたいなと思いまして……。物語好きな私にとって見過ごせないです」


 『物語好き』哀果からもよく聞いた言葉だ。一度でも自分の知らない、体験したことも見たこともない世界の凄さを知覚てしまったら抜け出せないのは必至だ、と。

 きっと、彼女もその一人。

 現に、目は爛々と輝いて活き活きとしている。


「じゃ、じゃあ俺が教えましょうか? パソコンの使い方……。といっても簡単な操作くらいですけど」

「……」


 首元をさすりながら細目で憧子の顔を窺って気づく、そうだ、俺は――。


「初対面で何言ってんだって感じですよね。すみません、今の無しで。か、帰ります」


 忘れていた。調子に乗りすぎていたのだ。

 おびただしく広がる背中の傷のせいで流れた悪評。哀果のことを知る憧子ならば、知っていて当然だ。

 昔は別にアブナイ奴じゃない、喧嘩っぱやくもないと言って回り、誤解を解くべく息巻いていた時期もあった。

だけど、その度に拒絶的な視線を向けられるのだ。

 なんだコイツ、お前とは関わりたくない、そういうキャラじゃないだろと。

 ――憧子の目。

 自分の思っていた人間じゃない、お前には似合わない。そう言っている目だ。

 そそくさと手に持っていた本を詰め込む。貸出の手続きはしてないが、明日謝ればいい。


「ま、待ってください! お、教えてくれるんですよね」

「いや、俺はやっぱり……」

「似合わないなって思ったんです……」


 そうだ、俺には似合わない。そんなキャラは求められていないのだ。

 何が願いだ。何が主人公になりたいだ。

 現実はこんなものだ、馬鹿を知れ――。


「思っていたよりも優しいんですね」


「……え」


 違った。

 この目は違った。

 似合わないだけじゃ終わってない。

 そぐわないことを、ネガティブに捉えている目じゃなかった。

 


 『主人公になりたい』という願いの影響故か、憧子の人柄故なのかはわからない。

 だけどもう、どっちでもいい――ただ純粋に嬉しいと感じたから。



 この願いは本物だ――――。

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