第25話 約束
「ニカさん……ここにいて、いいの?」
あっけにとられたまま歩き出した俺がようやく口にした問いにニカさんは優しく笑い頷くと前を向いたまま答える。
「いまのトリスなら大丈夫です。彼女は成すべきを成し遂げるでしょう。問題ありませんわ」
「そうかもしれないけど、ニカさんは――」
「それに、これはトリスとの約束でもあります」
約束を結んだ相手に想い馳せるようにニカさんは振り返り、来た道と俺の顔を見つめそれから歩みを再開した。どういうことだ?
「トリスは人の上に立っています。すべきこと、したいこと、その板挟みになることもあります。それでも前に進み続ける姿を私はトリスに望んだ」
どれほど前の出来事かは分からないけど、いまと変わらないやり取りをする二人の姿が頭に浮かんだ。きっとこの小さな背中はトリスと一緒に長い道のりを刻んできたのだろう。
「だから本当にどうしようもないときは、私がトリスのしたいことをする。彼女の願いを叶える」
それが私達の約束。そう結ぶとニカさんは苦笑した。
「しかしながら……今回はそのしたいことが私の望みと重なっていまして、いささか不平等なのです」
困りましたわねと悪戯っ子のように笑う彼女の煌めきが涙で滲んでしまったのは、多分一生の不覚だ。俺はつっかえつっかえ礼を言うので精一杯だった。
「ただのエゴですよ。私と、あの子の。でも……どういたしまして」
§ §
「それにしても……二人は凄いな」
「なんですの?」
「お互いのことが分かっているし……信頼し合っている」
いくらか落ち着いてきた俺はこんな状況なのに感心しきりだった。そんな俺を見てニカさんは目を丸くする。
「あらあら? 貴方達だって大したものだと私、本気で感心してますのよ?」
「そんな、俺なんて……」
思わぬ答えに俯いてしまう。俺達が……いや、俺が彼女に感心されるなんておかしいよ。首を傾げるニカさんに答える代わりに『俺はさ……』と自分のことを語りだしていた。
「俺ってヤツはニセモノどころじゃない……デタラメなんだ」
「…………」
この世界に転生した。だけど、それまではどうしようもない人生だった。
「眺めているだけ、羨むだけで何もしない。努力不足の一言で片付く人生……」
「…………」
それが転生前に女神から下された俺の人生の総評だ。三行も必要ない、一言でまとまるなんてヒドイもんだけど、たしかにその通りだ。
「そう言われたから、躍起になった」
おかげでいまの俺がある。けど、それもあいつと出会ってからだ。
「だけど結局、自分じゃなにも出来ちゃいないままだ」
それならいまここにいることも、誰かに想いを寄せていることもメチャクチャじゃないか。これが……こんな俺がデタラメじゃなくてなんだっていうんだろう。
ニカさんは真っ直ぐに俺を見つめてる。その瞳は同情の色にも否定の色にも染まらず、ただ真摯に俺の答えを待つだけだった。
「それでも……俺はあいつの手を離せない。離しちゃいけない」
あいつが俺の手を取ってくれたことはホンモノだからだ。あいつの思惑だとか事情は関係ない。デタラメな俺の始まりがあいつであることは間違いないんだから。
「だから……俺は」
「そこまでです。きつね憑き」
ニカさんの足が止まる。気づけば目的地はすぐそこだった。
「その続きを聞かせるべき相手は私ではありません」
そう言い彼女は剣を手に取った。
§ §
「動きませんわね」
「ああ」
敵から少し離れた地点には報告にあった巨大な黒い繭がある。見た限り
「あの繭からどうやってヨウコを引っ張り出すのです?」
「まずは外側を壊して中に入る。そうすればヨウコに声が届くはず。それから……説得する」
「壊せるのですか? 今更な話ですが」
「あれはヨウコの『鉄拳』と同じで固いけど脆いんだ。ニカさんが斬れば、簡単に入口を作れるはずだ」
「説得以外の方法は?」
そう言ってニカさんは剣を振り暗に力ずくでの解決を提案してくるが、それは難しいだろう。
「内部は活動状態の魔虫で溢れてると思う。魔虫は火に弱いけど、ヨウコの居場所が分からないから使えない」
魔虫の毒と蝕みのことを考えるとその中に突っ込めるのは俺しかいない。おまけにそばにいる
「それにしても、もどかしいですわ……!」
「ニカさん、それは……」
仕方がないじゃないかと口を開きかけると彼女は俺をビシリと指さした。
「貴方達のことです、きつね憑き!」
「え?」
「互いに大事に想っているのに、二人とも肝心なことを相手に黙っています」
それならたしかに解決方法は説得しかありませんと彼女は肩をすくめた。
「傷つけることが怖いのですか? それとも、拒まれることに怯えているだけ?」
「それは……多分、どっちもだ」
「貴方が彼女に望むことが正しいのか。それは私には分かりかねます。それでも、間違っているとは限りませんし、黙っていることの方がそもそも大間違いです」
近づいてくる黒い繭を睨みつけていた瞳でニカさんは俺を見据えた。
「我儘の一つくらい押し付けなさいな。互いに命を懸けた相棒なんでしょう?」
ニカさんの足が止まった。繭はもう目の前だ。
「だけど、それは……」
いいのだろうか? 許されるのだろうか? こんなデタラメな俺に。
そんなことを考え俯きかけた俺に銀閃のニカが吠えた。
「もう! きつね憑き! 貴方、お名前は⁉」
「えっ? え?」
「本当の名前、二つ名でない方の名前を教えなさい!」
「克人、小林……克人です」
この世界では馴染みのなさそうな名前を何度か舌で転がしてから彼女は深く頷き、すっと身を寄せその手を俺の肩に乗せた。見上げてくる瞳は強い光を宿していた。思わず逃げそうになる俺をたどたどしい『カツト』の呼び声が繋ぎとめる。
「カツト……貴方は自分で思っているよりも値打ちのある人間です。それはこの私、べロニカ・グレンが保証いたします。自分を信じてあげなさい」
そう言って彼女はそのまま首に腕を巻き付けキスしてきた。
あまりに自然に触れてきたその感触と心地よい暖かさに頭が真っ白になっている間に彼女は離れ、見慣れた悪戯顔で笑った。
「ななな! なにやってんだ⁉ あんた! こんなときに!」
色んなものがひっくり返りグルグル回る頭のままで叫ぶ俺を見てニカさんは笑みを深めた。
「ふふっ、ようやくいつもの調子が出てきましたわね。さっ! あのお馬鹿さんを手早く連れ帰ってください。いまので貸しがまた増えたのですから」
彼女が手にした剣を二度三度閃かせる。すると繭の外層が割れたガラスのように剥がれ落ち砕けた。
「いまのも貸し⁉」
「あら? 私のキスではご不満ですか? 祝福のつもりでしたのに」
ケラケラと笑い、頭からつま先を撫でるように手を泳がせてみせた彼女はとても可愛らしく蠱惑的だ。ああもう! 敵わないな! 嬉しいやら悔しいやらの感情のまま地団駄踏んで『最高だよ! サイコー!』と叫ぶことしか俺には出来ない。
ニカさんはひとしきり笑うと手にしていた剣の鞘を握り俺に突き出してきた。
「カツト、約束なさい。ヨウコを連れ帰ってくる、と」
「……うん、約束する!」
剣を抜くとともに約束を結んだ。
その言葉に満足げに頷くとニカさんは恭しい一礼で俺を送り出してくれた。
さあ、行こう。ヨウコを連れ帰る。迷いだけはない。
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