06 そんなのある訳ない

 サトスの提示してきた小刀は、クレス少年の手にぴったりと合った。リンは、いまぴったりとくるのなら、すぐに合わなくなるんじゃないかと言ったが、そうしたらまた買いにこいと金物屋の主人は――「商売の基本」としては当然のことに――言って笑った。

「いいのか? いまに小さく感じるかもしれないのに」

「服じゃないんだから、使えなくなるってことはないよ。それに手なんか、身長みたいに伸びやしないだろ」

 クレスはそう応じた。もしかしたら近い将来、リンの言った通りだったと思うことになるかもしれない。でも少年は、一日でも早く自分の小刀が欲しくなっていた。昨日まではそんなことを考えたこともなかったのに、欲というのは簡単に染み付くものである。

 金物屋の印が押された小さな紙袋を手にしながら、少年は急に大人になった気分だった。

 自分の道具。

 認められた証のよう。

 嬉しくて仕方がなかったが、リンが例によって冷静な視線で彼を見つめているのに気づくと、こほんと咳払いをした。

「何だよ」

「気をつけろと言っても、お前は嫌がるんだろう」

「バルキーのことを言ってるのか?」

 またその話題を蒸し返すのは、少し嫌だった。

「心配してくれてるんなら、嬉しいよ。でも、不要な心配だもの」

「そうだといい」

 リンも同じことを繰り返すつもりはないようだった。

「じゃあ、飯にしよう。今日は俺が店を選ぶよ」

「昨日もお前が選んだ。そう言ったろう」

 その代わり、彼女はまた奇妙なことを言い出した。

「でも、リンが決めた屋台だったろう」

「いいや。言ったように、私は食事に関しては外れゴロンドを引き当てるのが得意なんだ。でもお前ならあれに決める。そうと判ったから、あの炒め飯タナザにしたんだ」

「いや、だから」

 クレスは顔をしかめた。

「確かに、俺もあれにしたかもしれないけどさ。特に意見を言った訳でもないじゃんか。リンに判ったはずがないだろう」

「お前がどういう人物であるのか、私には判らなかった。財布を落としたかなんて尋ねて、逆に絡んでくるような人間じゃないかどうか」

 不意に変わったように思える話題に、クレスは目をしばたたいた。

「俺はそんなこと、しなかったじゃないか」

「だから、判らなかったと言っている。お前も最初は、私を変な奴だと思っただろう。ああ」

 リンは片眉を上げた。

「昨夜の最後の時点でも、そう思っていたようだったが」

「いまだって思ってるよ」

 クレスは特に否定することなく、正直に言った。

 女性なのに格好や口調が女性らしくないとか、そういったことを別にしても、リンはどうにも変わった奴だ。ヴァンタンだってそう言ったから、これはクレスだけの感想ではないはずである。

「お前にどう思われようと、私は何もおかしなことなんか言っていない」

 リンはそう主張した。

「〈失せ物探しの鏡〉然り、〈判定の匂い粉〉然り」

「におい……?」

 今度は何を言い出したのだろう。クレスは眉をひそめてリンの青い目を見た。そこには、何か冗談を言っているとも、面白いことを言っているとも、奇妙なことを言って気を引こうとしているとも、どんな色も浮かんでいない。

 敢えてどうにか言うとすれば、本気、だろうか。

「鼻の内側に、その粉を付着させる。すると、厄介を招く相手からは酷い悪臭がする」

「……は」

 やっぱり、またおかしなことを言い出した。

「ただ、問題もある。厄介かどうかというのは主観的な判断に基づくところも多いものだが、あの品は客観的にしか教えてこない。例えば、友人に災難が降りかかった場合。友人であれば手助けたいと思うだろうが、粉は友人に酷い臭いを感じさせるんだ」

「えっと」

「判らないか?」

「判るよ。説明自体はさ。でも、そんなの」

 ある訳がない、とクレスは前日と同じようなまた返答をした。

「信じないならそれでもいい」

 やはりリンも、同じような言葉を返してくる。

「ただ私は、お前から特に悪臭を感じなかった。となれば、逆に難癖をつけられて町憲兵を呼ばれ、意味のない尋問なんかを受ける可能性はない。そう思って声をかけた」

「……はあ」

 もう何とでも言えばいい。そんな気になり始めていた。

「でもそれが、屋台を選ぶこととどう関係するんだ」

「副作用があるんだ。近くにいる人間がよい印象を抱くものからは、芳香がする」

「芳香」

そうアレイス。実は、食物が対象の場合はちょっと困る。食べるのに美味そうな匂いならいいんだが、花の香りがしてもな」

 あのタナザはかなり香ってた、とリンは少し眉をひそめ、クレスは笑うところなのかどうか判断しかねた。

「判るか?」

「説明は、判ったようだけど」

「『そんなのある訳ない』」

 リンはクレスの台詞を先取り、皮肉めいた笑いを見せた。

「見かけによらず、頑固者だな」

「見かけって、何だよ。そりゃ俺はちょっとばかり貧相だけどさ」

「確かに貧相だな」

 そこで「そんなことはない」などと無意味な否定はせず、リンは簡単に同意すると少年の腕を掴んだ。

「私と変わらないくらいじゃないか」

「それは、いくら何でも、言い過ぎだ」

 少しむっとして少年はリンの腕を掴み返す。

「あんたの方が細い――」

 言って、黙った。

「何だ」

「何でもない」

 ぱっと手を離して首を振った。細い。すごく。

(びっくりした)

(女の腕って、こんなに細いんだ)

 彼女がもう少しふくよかであれば印象も異なっただろう。だがリンは細身で、クレスが年齢相応の力を持っていれば、簡単に骨を折ることだってできてしまいそうだった。

「気にするな。ちゃんと飯を食ってれば、いまにきちんと身体ができる」

 リンの方では、クレスが女の細腕と自分と大して変わらないと思って落ち込んだとでも考えたらしい。珍しく、慰めのようなことを言ってきた。

「肉なんかどうだ。あんまり、食ってないんじゃないのか」

「〈赤い柱〉亭では魚を使うことが多いよ。肉はあんまり、賄いまで回ってこないし」

「――なら」

 もしかしたらリンの脳裏には「やっぱりバルキーはお前に食べさせてないんじゃないのか」などという考えが浮かんでいたのかもしれなかったが、少なくともそれを口にはしなかった。

コットの串焼きでも食おう。美味そうなところを見つけてくれ」

 これはやっぱり「リンが決めている」と言うんじゃないかな、とクレスは思った。

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