03 魔術師座長

 明らかに「この先に入るな」という意図でもって張られている縄を無視して、ふたりの町憲兵は小さな家ほどもありそうな大きな天幕を回った。その裏の乱雑さときたら、表の騒がしさの比ではなかった。

 表では、看板の準備をする者や、飾り付けをする者、そしてそれらを眺める客候補たちなどがわさわさとしていたが、その裏はてんやわんや。年明けの祭りのような大祭の前夜かと思うほど、人々は走り回り、何やら手順を書き付けたらしい紙切れを見ながらこちらへあちらへと指示を出し、ばたばたと動いている。

 動いている者ばかりでもない。出演する芸人トラントたちは、道化師バルーガと思しき者は派手な衣装を身につけてぶつぶつと、おそらくは台詞を確認しているようだ。踊り子は露出の多い衣装のままで化粧をし、演奏家は弦を張り直し、猿回しは猿に向かって真剣に何か話をしている。

 ラウセアは目がちかちかするのを感じた。

 それほど大きな一座という訳ではない。規模で言えば、もっと大きな一座だってアーレイドのような街には珍しくない。だがラウセアは、機会がなくてこの手のものを見に行ったことがなかった。ましてや、その裏など。

 若者が初めての空気に気圧されている間に、年上の男は奇妙なものに目を奪われることなくその場を見回し、しかし混沌の中で目当ての姿を見つけることは容易ではなくて、またその辺りの人間に尋ねた。

「座長?」

 彼らが町憲兵であることは制服から明らかである。問われた女は少し驚いたようだが、すっと振り返ると一点を指した。

「あそこだよ」

 町憲兵たちはその先に目をやった。

 彼らから七、八ラクトほど離れているだろうか。ひとり、芸人や裏方たちを眺めるようにして落ち着いている人物がいた。成程、あれであろう。

 トルーディは無言で歩を進め、やはりラウセアが女に礼を言った。

「お前が座長のジェルスか」

 近づけば、トルーディは無遠慮に問うた。男はこくりとうなずいた。

 それはラウセアの予想よりも若い男だった。何となく、五十を越しているであろうと思っていたのだが、どうやら四十を越えたかどうかというところだ。トルーディより少し上か、もしかすると同じくらいかもしれない。

 黒みのある金髪はやわらかいというか、こしがないという感じだ。顎のところに生やしている髭は、なかなか貫禄を感じさせた。頬はいるかのようで、どことなく病的な印象を与えた。

 普通であれば、いきなり現れた町憲兵に驚いて、やましいことがなくても少々の緊張をしてしまうものだが、ジェルスと言うらしい座長にそんな様子はなかった。彼は、まるで新しい芸人が雇ってくれと言ってきたとでも思うように、品定める目で彼らを見ていた。

 だが、ラウセアは彼の目つきには気づかなかった。

 と言うのも、彼は座長の着ているものが気になってしまったからだ。

 ――黒いローブ。それは、魔術師リートの証である。

 魔術師というのは、不気味な存在だ。不可思議な技を行い、善良な民人を惑わす。

 もっともその考えは偏見に近く、魔術師の多くは「不可思議な技」をみだりに使って人を騙したり、傷つけたりすることをしない。それは、剣を持つ者がいきなりそれを抜いて人に斬りかからないのと同じことだ。

 ただ、目に見える「剣」という武器と、目に見えない「魔法」という技では印象が大きく違った。

 それに加え、魔術師は絶対的に人数が少ない。これが、石を投げれば当たるくらいに存在すれば、人々も「町なかで剣を振るうイカレた戦士がたまにいる程度には、魔術師にもおかしなのがいるかもしれない」くらいに考えることができただろう。しかし、数少ない魔術師の内、稀にひとりが何か悪事を働けば「やはり、奴らは忌まわしい」という風潮になった。

 どこか胡散臭い。忌まわしく、不吉。何を考えているのか判らない。

 その辺りが、人々の「魔術師」への印象である。

 彼らは魔術師協会リート・ディルと呼ばれる組織に所属していて、そこでは何が行われているものか、さっぱりであった。町憲兵隊ですら、その内部には踏み込めないと言う。

 と言っても、盗賊ガーラたちの組合ディルと違って犯罪組織だというのではないから、町憲兵隊が突入しなければならないような事態にはならない。

 ただ、有事の際、協会は町憲兵隊に協力をしない。具体的には、魔術師が咎人だということになった場合だ。

 町憲兵隊としては何であろうと自分たちの手で捕らえたいものだが、協会はそれをかっさらう。と言っても「仲間」をかばうためではなく、魔術師の捕縛、及び裁きを魔術師でない人間がやるのは難しいからだ。手妻を弄されれば、昨日のラウセア以上に簡単に、犯人を逃してしまうだろう。

 学問を修めたラウセアは、そのようなことを考えるだけで、迷信に傾倒して意味のない恐怖を抱くことはしない。魔術師は魔術の技を持つだけで、それ以外は魔力を持たない人間と何も変わらない、と理解している。

 それでも、頭で理解するのと感覚は別の話で、黒ローブなどを見れば少しどきりとしてしまうところはあった。やはり珍しいせいだ。

 ただ、魔術師だからと言って黒ローブを身にまとっているとは限らない。それは町憲兵と違って、別に彼らの制服ではないからだ。だから、魔術師に偏見を抱く人間がそうと知らずに魔術師と談笑をしている可能性はある。

 しかし、逆はまずなかった。

 魔術師ではないのに黒いローブを身につけて、魔術師であると誤解されたい者などいない。

 つまり、黒いローブをわざわざ身にまとって人前に立っているジェルスは本当に魔術師であると考えられる。

「許可証は。当然、取ったんだろうな」

 トルーディは座長のローブの色を全く気にしないかのように、続けて問うた。

 街角や酒場で吟遊詩人フィエテが歌い、聞いた人々が小銭を投げるのとは訳が違う。公共の広場を陣取って催し物をするのには、アーレイドの住民でも許可が要る。旅の者であればなおさらだ。

「無論」

 ジェルスはうなずいた。

「これだ」

 男は黒ローブのなかから折りたたまれた紙片を取り出す。トルーディは受け取って、確認をした。

「日付は、昨日か。昨日、着いたという話だが、素早いな」

「街に着いて最初にやることは、それだ。そうでなければ」

 ジェルスはじっとトルーディを見た。

「話の判らぬ町憲兵に、不要に絡まれることになるからな」

「演し物は何だ」

 その皮肉に全く気づかぬふり、或いは完璧な無視を決め込んで、町憲兵は許可証を座長に返した。

「それを言う訳にはいかない」

「何だと?」

「我々は、人々に驚きを与えるために存在する。先に内容を伝えてしまっては、驚きは半減だ」

「――は」

 トルーディは鼻で笑った。

「俺はお前の客じゃない。ラルを落としてなぞやらん。ごまかしをするようなら、こちらもやり方を変えるが」

「演目を知りたければ、表に戻って口上を聞いてこい、町憲兵。興味を持ったら、何、先の言葉は聞かなかったことにする。券を購入して、今日の一幕を楽しみにすればいい」

 魔術師座長は何でもないように言った。

「この野郎」

 トルーディはジェルスに詰め寄った。ラウセアは、先輩が座長を殴りでもするのではないかと思って、その袖をひっつかむ。

「乱暴は、駄目です」

「阿呆。しねえよ」

 と言ってトルーディは非力なラウセアの手を簡単に振り払った。

「いいか、ジェルス。お前がやらかした話ぁ、こちとら、もう聞いてんだ。似た騒ぎが起きでもすりゃ、俺は真っ先にお前を捕縛にくるからな」

 背後でラウセアは目を見開いた。そんな話は、聞かされていない。

 だがいつものことでもある。トルーディは、ラウセアに相談などしない。

「――何を言っているのか判らんが、ひとつだけ判ったこともある」

 ジェルスは顔色ひとつ、変えなかった。

「王城都市と言っても、町憲兵など田舎のゴミどもと変わらんということだな」

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