13.欠けているからこそ幸せで埋められるんだってさ

 ユーリは、傍観するべく木の上へと身を軽く飛び上がった魔石教団を追う。


 音を立てずに忍び寄ろうと努めていたのだが、ほんの少しの違和感に気づいたのか信者のその男は彼を見逃すことなく鋭く目を光らせてきた。


「こちらへ来てはいけません。試験の最中なのですから」


 試験、とは何のことかと尋ねる暇もなく男は地面に手を向けて何かを唱える。すると毛が逆立つかのような膨大な魔力が高まり、柱状に撃ち出された野太い光がユーリの近くの地を抉った。


 まるで、いつでも殺せる準備が出来ていることを見せつけるかのように。


「それでも……!」


 ユーリはそれを見届ける間もなく、木の上へと身を翻らせた。あれが自身を葬り去るのに十分な威力を持っていることは、ユーリにも分かりきっていた。

 しかし彼がこれを試験と呼ぶならば、それを受けて合格すればいいだけ。状況を察するに問題はどうやって排除するべきかだろう。そして今それができるのはどうやらユーリだけのようだった。


「愚かな。自分から死にに来ることなどないのですよ」


「それはどうかな」


 ユーリは彼に聞こえるようにそう言うと、その場から飛び降りた。排除すべき対象は、ケルベロスなのだ。


「ガアアアッ!」


「なっ!」


 剣を突き立ててケルベロスの背に着地すると、魔獣が声を上げて悶える。魔石教団の彼もその行動には驚いたようだ。

 ユーリがまともに試験とやらを受ければ、あわよくば見逃してくれるだろうか、そんな一縷の望みにかけた。


 すると重力を乗せたユーリが渾身の一撃をお見舞いしたにも関わらず、ケルベロスが必死の抵抗を見せた。残りの首が、彼に襲いかかってきたのだ。


「ユーリ! 一旦退け!」


 ニルスが剣で噛み付いたままのユーリに叫ぶ。その言葉とともに彼のケルベロスを締める腕に力が込もり、ケルベロスが苦しそうにのたうち回っている。


 それを見たユーリは咄嗟に兄の持て余した力の使い方を閃く。


「兄さん、もう一つの首も押さえて!」


 ニルスは、一度ユーリの顔を見ると黙ってもう片方の腕でケルベロスの首を締め上げた。すると魔獣の動きは更に遅くなった。


「ケルベロスを力技で押さえ込んだ……?」


「今っ……!」


 驚く魔石教団員を尻目にユーリは剣を大きく振り上げ、動きの鈍ったケルベロスの首目掛けて振り下ろした。


「ァァオォ……」


 ケルベロスの声にならない悲鳴が木々の中で木霊する。どうやら頭の一つでも失うと生命活動を停止するようで、魔獣はニルスの腕の中で力をなくした。


 続いて聞こえてきたのは、拍手だった。


「まさかこれほどとは。よろしい、文句なしの合格としましょう。これからも精進してくださいね」


 魔石教団の男はそう言って森林の中へ姿を眩ませてしまった。結局、彼の目的はわからずじまいであった。



「父さん、母さん……!」


 この場所からでも村に火の手が上がっているのを難なく視認できる。ユーリが思わず戻ろうとするところを、ニルスが阻んだ。


「俺達は町へ行こう」


「なぜ? あいつの言っていたことを兄さんは信じるの?」


「そうじゃない。父さんが何のために俺達だけを逃したと思う?」


 ユーリが答えられずにいるとその兄は町の方向へ歩を進めながら言った。


「自分より子供達の命のほうが大事だったからだよ」


 だから、ニルス達に危害が及ばぬよう逃がし、万が一がないよう村に残って食い止めるつもりだったのだろう。

 案の定、ユーリ達を狙って魔石教団の一人が襲ってきてしまったが。


 ユーリはその兄の言葉が理解できなかった。分かろうとはしていたが深く考えれば頭が痛くなってくる。


「俺達が戻ったところで父さんは喜ばない」


 ユーリが村から渋々出てきたのは、自身が分かっているつもりになろうとしたからだった。だが、彼はもう考えることに限界を迎えていた。


「そういう、自分より大切とか、喜ばないとか何なんだよ! 今行けば助けられるだろ⁉」


 激昂するユーリに、ニルスは足を止めてこちらへ向き直った。


「お前は……」


 しかしながら彼は何かを言いかけるも、酷く悲しげな表情でその口を閉じた。

 そのようなユーリを、今まで見たことがなかった。彼は今までも人の心が分からないような人間だっただろうか。

 長年の虐げられてきた生活の影響による精神の亀裂か、あるいは他の要因があるのか。


「何だよ……僕は行くよ!」


 ユーリは兄の手を振り払って踵を返した。その時、後頭部に強い衝撃を受けて意識が突然に途絶える。視界が途切れる直前、最後に「すまない……」とだけその耳に聞こえてきた。




 体を揺する少し大きな振動にユーリは目を覚ます。気がつけば簡素な造りの箱の中、何処かへ運ばれていた。


「馬車……?」


「あっ、ユーリ兄ちゃん!」


 声の方向を見るとリナが目を覚ました彼に嬉しそうな顔を向けている。その声にニルスも彼を見る。


「起きたか?」


「……うん」


 目的としていたエレロの町までは距離もあったため、商人の操る馬車に乗せてもらい、町はすぐそこまで迫っていた。


 偶然、エレロへ向かう馬車が通りかかったのには奇跡を感じた。歩いても辿り着かないこともなかったが、到着しても腰を落ち着けられるか分からない以上、便乗しない手立てはなかった。



 そして到着したエレロは、以前と比べて変わりなく活気づいていた。


「わー! ここがニルス兄ちゃんが前に来た場所なんだね!」


 リナが走り出して街を眺めながら感嘆する。その様子はもはや両親が亡くなったという報せを受け入れていないようにも見えた。


 しかし確かに、彼女の心には異常なまでにその言葉が張り付いていた。そんな彼女を無理にでも健気なように奮い立たせているのは最後に聞いた母の言葉だった。


 母はこうして自分が良い子に過ごしてさえいれば帰ってくるのだと、そう思い込むことにしたのだ。


「リナ、あまり離れたらだめだ」


 ニルスはリナを呼び止める。ここには他とは違う、差別的な動きがあったはずなのだ。そう、以前まではあったはずだった。

 しかし周りを見るに、道の中央を女性が歩いても蔑まれることはなかった。たとえ、視線の中に恨めしげなものがあったとしても、それを大衆の前で行動に移すことはなかった。



「あら、リゼットちゃんとこの! それは遠いところからご苦労だったね」


 両親に真っ先に訪ねろと言われた家屋から、快活な女性が出てきて応じる。母との古くからの友人とのことだったが、いかにも彼女と気の合いそうな人物に、ニルスは内心懐かしみを覚える。

 その女性に促され、席へ座るやいなやニルスが事の顛末を告げると彼女は同情するように涙を流した。


「それは大変だったね……」


 そして静かながらもひとしきり涙を流すと、ニルス達に真剣な面持ちで話を始める。


「あんたたちの両親にはとても世話になったよ。感謝しきれないほどね」


「それで、これを渡せと言われて……」


 ニルスは次いで手紙を取り出して渡す。それはスティードがしたためたもので、住居の件が記されていた。


「うん。内容は大体分かってるよ。そういうことなら王都に建てた家を使うといいさ。ま、元々はあんたらのお父さんの物だし、返すと言ったほうが正しいかねぇ」


 女性は納得した様子で手紙を閉じ、苦笑を浮かべた。

 以前、ニルスを探しにこの町へ両親が訪れた時、彼らは女性の虐げられるこの町から出ようと考えているこの見知った仲の女性に王都での居住先を確保するべく、資金を援助していた。


 今回、ニルス達を避難させるにあたって必要だったのはその受け入れ先である。

 元々は知人に一時的に預かってもらう予定だったが、何度かその話を手紙で交わすと、丁度持て余していた一軒家がエレロの町に残っているから代わりに住まないかと返事が来た。

 しかしそれはすぐに取り止めると続けて送られてくる。


 近日中に女性を差別する文化は見られなくなっていたエレロへ引き返し、まだ新しいと言い切れる王都の住居を渡す提案をしてきたのだ。

 当然スティード達もその方が良いと応じた。ここへ来たのはほんの挨拶のためだったのだ。


 しかしエレロの町の体制が動いたのは統治する者の交替があったことによる。そしてそれまでは取り決めのなかった女性への扱いについて、明確に定められた。


 それにより定めの上では女性は平等で暮らしを続けることができるようになった。

 その中に、女性ながらも鍛冶師を務め、幼い頃から積み上げられた確かな努力と技術でその町の内外に影響を与えたアシュレイという人物も功労者と存在していたが、ニルスは町中で彼女を見かけることはなく、ついに町で会うことはなかった。

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