第49話:ハロルドの安田商事横浜へ転勤
2011年3月22日、ハロルドと奥さんのジャネット加藤が、
サンディエゴを立ち、成田へ飛び立った。リチャードが、安田商事の
横浜支店・安田太郎支店長と打ち合わせて、ハロルドを東日本大震災の
支援課の課長として、窓口を担当してもらい、奥さんが弁護士事務所の
経理と法律に詳しいので、給料を払って、手伝ってもらうことにすると
言った。
この話を、神奈川新聞や、地元のテレビ、ラジオ放送局に大々的に伝えた。
そして、横浜港開港時代の生糸商売から、祖父の、安田商店が始まったと
言う、安田商事ルーツのエピソードも、会社の宣伝として使い、安田商会が
、地元でも有名になって、大きな宣伝効果を生んだ。
ちょうど、安田商事・横浜支店が、観光地のど真ん中にあり、地元の人や
、観光客が、安田商事入口に、東日本大震災・救援室と書いた看板をあげて、
1室を募金室にして、テーブルを設けて、募金できるようにし、募金カード
に氏名、年齢、所属、寄付金額を書けるようにした。
大口寄付の場合は、税控除のための領収書を発行するようにして、
大口寄付も受け付けた。数日間は、マスコミの報道関係者と、寄付をする人
で、ごった返していたが2-3日で、静かになった。土日など、会社が休日も
、担当者を数名おいて、寄付の対応ができるようにしていた。
その後、寄付の総額が30億円に達して、神奈川新聞に、この話題がのり
、東京の大きな放送局も駆けつけて、報道してくれたおかげで、その後も、
順調に寄付が集まった。
ハロルドとジャネット加藤は、会社から徒歩5-6分の2LDKの
賃貸マンションに入居して、会社に通った。その後、ハロルドは、父の
リチャードと同じ、投資の仕事をするように言われた。2014年4月に
なり、日本株の勉強を初めて、東日本大震災支援課長の仕事が、暇な時、
インターネットや、経済の本を読んで、日本株について熱心に勉強を続けた。
わからないときには、サンディエゴの父、リチャードにメールをしたり
、電話をして相談していた。リチャードは、株投資するときには、会社と、
自分でも投資した方が、身につくと言った。
そして、行き詰まったときは、温泉に行って、頭をリフレッシュするのが
一番良いと自分の経験談を教え、橫浜からだと、箱根や湯河原、熱海の温泉
が近いと言った。リチャードが、ハロルドに1億円投資するから、儲けの
半分を欲しいと言うと、わかったと答え、数日後、ハロルドの銀行に2億円分
の米ドルを送った。やがて、ハロルドの日本株の勉強を終えて、実際の
投資を始める決心をして、
2011年5月13日、キャタピラー株を1株105ドルで全株、
3465万ドルで売り、税引き後利益1992万ドル、残金4389万ドル
となり、3389万ドルを安田商会本社に送金した。リチャード自信も、
同じ株を同数売買して、残金が18541万ドルとなった。
2011年5月27日、9983・ファーストリティ株を11500円で
会社で2千株、2億3千万円買い、ハロルド個人で3百株3450万円
で買った。
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