第42話:東北への石油輸送作戦1

 東北の3月は、石油ストーブつけずに寝ると、寒くて、凍えて、場合に

よっては凍死してしまう程の寒さだ。そのため、被災地に、何とかして

送らなければ、という声が日に日に高まった。道路は寸断されて使えず、

船で行っても、港と使えない、飛行機でも空港が使えない、いろんな議論の末

、鉄道を使おうと言うことになり、政府からJR貨物に東北に、ガソリン、

軽油、灯油を送って欲しいと要請があり議論したのが、北海道から盛岡貨物

ターミナル駅の輸送が考えられたが、青函トンネルの様な長大トンネルでは

安全面への配慮から石油など可燃物の輸送ができない事で断念した。

次に上越線で新潟から青森経由で盛岡までが考えられ、2011年3月18日

、横浜市の根岸駅から岩手県の盛岡貨物ターミナル駅に向け、タンク貨車

18両の石油列車が発車した。最短ルートの東北本線は地震で多くの区間が

不通となっていたため、日本海沿岸を北上。青森から盛岡へと回り込むルート

で19日、第1便が盛岡に到着した。21日から1日2本に増強され、

北東北への輸送は一段落した。これで、北東北の輸送ルートは確保できた。


 次に南東北だ。ところが備蓄タンクのある福島・郡山へはすべての路線が

断たれていて絶望的だった。JR貨物の運転士仲間の話題はいつしか郡山行き

石油列車でもちきりになった。その時、JRの遠藤さんは、磐越西線ルートは、

あり得ると思った。2004年の中越地震の際、磐越西線で救援物資を被災地

に届けた経緯があり、遠藤さんも運転士の一人だった。


 ただ、石油列車となれば重量も重く、安全面も含めハードルは高いはず。

 急勾配、急カーブが続く磐越西線での大量石油輸送は非現実的に思えた。

 遠藤さんは国鉄時代、冬の磐越西線で客車を運転中、車輪の空転で動け

なくなった嫌な思い出もあった。一方、JR貨物本社では磐越西線での石油

輸送計画が固まりつつあった。


 根岸で石油を積んで新潟貨物ターミナル駅を経由し、磐越西線方面へ向かう

磐越西線は非電化区間があるため、新潟貨物ターミナル駅で電気機関車から

ディーゼル機関車DD51に切り替える。会津若松駅から東側が山岳エリアで

、急勾配と急カーブが待ち構える難所。DD51を2台連結し馬力を倍増

させるが、それでも牽引できるタンク貨車は通常の半分、10両が限界だ。


 「よし。大筋この方向で進めてくれ。運転士の確保は?」異常時対策を指揮

する安田晴彦さんが運用チームに聞く。「DD51と磐越西線、両方の経験が

ある人が望ましい。ただ、現役でDD51を運転している人は少ないので

再教育が必要だ。稲沢機関区・愛知県稲沢市で対応できる」「すぐに手配を」。

そんなやり取りが続いた。「磐越西線で石油を運ぶことが決まった」。

 運転士が集められた郡山総合鉄道部。運転課長が計画の概要を伝える。

 「機関車はDD51を使うそうだ。本社からは志を持って運行してほしい

とのことだ」。ざわめく会議室。運転士の選定が始まった。人選が難航。


 DD51の運行は、新潟から会津若松までを東新潟機関区の運転士が担い

、会津若松から郡山までを郡山総合鉄道部の運転士が担当することになった。

 東新潟機関区は規模も大きく、DD51の運転士はすぐに確保できたが、

 郡山側では人選が難航した。遠藤さんを含め郡山所属の4人が選ばれたが、

 講習会直前に1人が辞退を申し出た。インフラが途絶え、自宅の水や食料を

 運ばなければならないとの理由だった。

「欠員が出たんだ。悪いがナベさん、いってくれないか」。運転課長から

電話を受けたのは定年まで1年を残すベテラン運転士、渡辺勝義さん・

当時59歳だった。ここ数年は駅構内での貨車の入れ替え作業を専門に

していた。「俺にまで回ってくるとは…」DD51を運転したのはもう

10年以上前。力士のような馬力を思い出す。「もう一花咲かすか」。

渡辺さんは拳を握った。

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