夏と帰省と「ガっちゃん」

夏と帰省と『ガっちゃん』①

 日本の四季というものはとかく人の心を震わせる。

 そんな中で僕が最も愛したのは夏である。

 当たり前だが夏は暑い。炎天直下を歩くなど、想像しただけで苦行と判断できる。だが、本当に苦しいだけであっただろうか。

 夏が来れば思い出す。

 という出だしの童謡もあるが残念ながら僕は尾瀬などといった優雅な場所はでてこない。思い出すのは鉄板のようなアスファルト。そうめん。山脈のような入道雲。花火の焼ける火薬のにおい。そして子供の笑い声だった。

 セミの鳴き声に負けず劣らず、子供が笑う。憂うことなどないのであろう、煩うことなどないのであろう、無邪気な笑顔で青い空の下を駈けまわる。そんなイメージが僕の中にある。それを見たことがあるのか、それともかつての自身のことなのかは、わからない。

 ただ愉快な季節と言えば僕の中では夏だった。

 夏ほどに笑える季節もないであろう。

 だから僕は夏が好きだった。

 早朝の混みあう電車の中。昼間の誰とも目を合わせることのない雑踏の中。夜半の誰も見当たらない路地の街灯の下。

 僕は憂鬱であれば、夏を思い出すのだ。


 ●


 窓を全開にした角部屋の自室にて僕はトントンと包丁でリズムを刻んでいる。作っているのは冷やし中華だ。これもまた立派な夏の風物詩である。

 ゆでて冷やした中華麺の上にのせるのは、キュウリとキクラゲと錦糸卵とゆで卵。そしてハムやチャーシューは使わずに冷凍庫に大量保存してあるお徳用外国産豚肉を少量ゆでて冷やしてのせる。たれはゴマダレを振りかけて完成した。

 僕は皿を二つ両手で持ち、移動する。


「できたぞー」


 キッチンから部屋に入ったとたんに目についたのは、暑い中、窓辺で風にあたっているありすとギミックの姿であった。


「また暑いのに。風にあたるならそっちの窓にしておけ」

「いや、こっちがいい」


 僕は自室では極力冷暖房をつかわないので部屋を選ぶ際には、日当たり室温湿気という項目を重視する。その甲斐あってかこうやって窓を全開にすれば暑い夏をなんとか我慢できなくもないが、ありすのように日光直下でたたずむなどはさすがに無理があった。

 ありすは何が楽しいのかよくこうして日光の暑さを体感してはにこにこと笑っていることが多い。そのたびに汗が滝のように流れているので熱中症が心配される。僕は彼女に水分補給をさせると風通しの良い場所に座らせた。


「まっくろだな」

「んー」


 行儀悪く麺をすすりながら返事をしようとするありすは日焼けで肌が褐色だった。

 夏休みが始まってすでに二週間ほどたつが、その間、僕はありすとギミックと連れ立って外出することが多かった。おもにありすの興味のある事柄にそって行き先は決まる。

 ありすは遠方や特別な場所に行きたがりはしなかった。それどころか近場の公園など、身近でどこにでもある場所に行きたがる。彼女にとって地上はすでに未知の世界であるからだ。日光をしきりに浴びたがるのもおそらくは同じ理由であろう。だから僕は体調を崩さない限りは好きにさせようと思ったのだ。


「ところでなあ、ガっちゃん、私の分は?」

「ない」


 ギミックはいつの間にかに俺のことを『ガっちゃん』と呼ぶようになった。いつまでも『君』呼ばわりだと、それもそれで不愉快なので構わないが、なれなれしい。


「きょうはどうするの?」

「そうだな、どこかいきたい場所はあるか?」

「公園」

「またか、目的は?」

「絵をかきたい」


 この二週間、彼女は絵画というものにこっていた。元より地下にて教養の一つとして習っていたらしくとても上手いのだが、いまいちそれをする意義を見出せなかったらしい。だが、いまでは完全に目覚めてしまっていた。


「それじゃあ行きますか」

「そうだね。画伯、向かいますよ」

「うんっ」


 ギミックが呼びかけかけるとありすは元気良くうなずいた。


 ●


 炎天下。徒歩と電車を駆使して向かったのは大学近くにある公園だ。最初のころは近くの小さな公園で満足していたのだが、こちらの方がモチーフがたくさんあると画伯がおっしゃるのでこちらになった。大きい公園で池もある。

 適当な木陰の下に座り込み、画用紙と色鉛筆を手にとった。一人で呆けるのにも飽きたので彼女に倣うようになったのだ。ありすは画用紙と宝塚に買ってもらったというクレヨンを、ギミックは目の前にウインドウ画面をたちあげてデジタル画を、それぞれ準備する。


「今日のテーマは何がいいかね」ギミックが言う。

「画伯?」

「それじゃあ今日は夏でいきましょう」


 ありすの一言で決まる。僕たちはそれから黙々と手を動かし始めた。

 その間、ゆったりとした時間が流れる。

 ジージーとうるさい蝉の声、犬の散歩で前を通り過ぎていく人々、見聞きしただけでも暑いのだが、時折に池の方から吹き抜けていく風が涼を感じさせてくれる。

 途中で僕の端末にメッセージが入る。高木から『今どこにいる?』とのことで、僕は居場所を伝えると、大倉と二人で僕たちのもとへとやってきた。


「おー暑い中、よくやるなぁ」

「ありすちゃんは何を描いてるんだい?」


 高木がぼやくように呟き、大倉がありすの画用紙を覗き込んでいる。

 夏休みが始まった当初、年端のいかない少女相手になにをすればいいのか分からなかった僕はこの二人に応援を頼んだことがある。なのでありすとギミックは彼らと初対面ではなかった。そのときはギミックの提案で『缶蹴り』という見聞きしたこともない遊びに興じたが、脳内端末のない頃のいっそ古典的な遊戯は、中々に白熱した。ありすとの身体的なハンデはあったが、ギミックの妨害ありでは彼女が一番強かった。


「こんなの」

「ほー」

「んで久我はどんなの……お前、もっとありすちゃんに教えてもらったら?」

「うるせえよ」

「私のは見なくてもいいのかい?」

「いやギミックのそれ写真じゃないの?」


 高木と大倉はしばらくやいのやいのと僕たちとやりとりをすると、本題として僕に問いかけてきた。


「んでさ、前言ってた旅行の件なんだけど」

「ああ、準備できてるよ」

「巫女さんはどうなった?」

「大倉……ああ、声かけてオーケーだって」


 そうして細々としたやり取りをすると、用は済んだのか二人はその場を後にした。あとに残った僕たちはそのまま絵画を再開する。そして絵が完成すると僕たちは互いに作品を披露した。

 僕とギミックは同じ構図の絵だった。池とその奥にひろがる木々、その前の通路を歩く人々。二人とも風景画を同じ場所から描いていたので仕方ない。

 違いと言えば僕の方が夏というテーマにもとづいて陽射しを強調したり蝉の姿を描いてみたりした。実際にないものを想像して描くのは困難だったので脳内端末で視界に演出物を表示してそれを描いていたのは内緒だ。ギミックの方は極めて写実的で、とある一瞬をありのまま切りとったものであった。そこには想像したものは一切ないことが理解できる。ちなみに技量差は比べるべくもない。


「んじゃ画伯は?」

「うーんとね、こんなの」


 ありすは笑顔で画用紙を披露した。

 素人目でも上手だと理解できる素晴らしい絵だった。

 ただ、僕とギミックと被写体がまったく違う。

 池の先にある一本の木。その下には三つの画用紙と画材が散らばり、そしてその木の前の野原で四つの人影と一匹のマスコットが空き缶を囲んで、躍動的に描かれている。

 それはおそらく池の向こうから、こちらの様子を描いたものだった。

 人影は僕らと高木たちで、絵画を中断して缶蹴りに興じているのだろうと容易に想像できる。そんな様子を彼女はすべて想像して描いたのだ。


「題名は『缶蹴り』です」


 脳内端末が普及して、見えないものを見るようになった現代。それを持っていないはずの彼女の方が、より想像力豊かに実際にはない光景を造りだしたのだ。

 僕はこの子の目にはいったい何が写っているのだろうかと、不思議に思った。

 ちなみに画伯。テーマである夏はどこにいったんでしょうか?

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