人は心が愉快であれば②

 アルバイトが終わりその後、家に戻りなけなしの空き時間で仮眠をとると、僕はまたも家を出る。玄関を開けた空は薄ぼんやりと明るい。もう七月に入ったこともあり日が出るのが早くなっている。しかし時間帯としては外を出歩いている者は皆無だ。

 そんな無人の住宅街を歩いていく。

 歩道橋を越え、川を橋で渡る。二回も景色を俯瞰できるこの通路が僕は割と気にいっている。橋という場所は空を広く感じるから。

 そうして最寄り駅へと着き改札をくぐる。さすがに駅近辺からは人がそれなりに歩いていた。みんな眠たそうに地面を向いていた。僕もかれらの気持ちはよく分かる。人はなぜ気づいた時には地面をみているのだろうか、そこに何があるわけでもなく、けれどもどうしても見てしまっている。そのうち現金でも落ちていればいいのだが。

 電車へととびのり、しばらく揺れる。

 たどり着いた先は大学のキャンパスから一番近い駅だ。そこからしばらく歩いて大学の構内へと入る。だが僕の目的地はここではなく通り抜けた方が近いから通っただけにすぎない。

 構内をまっすぐつっきるとまた歩く。

 そうして家を出てから一時間、目的地へとついた。

 神社である。大規模とは言い難く、しかし決して小さく寂れていることはない。


「おはようございます」

「おーおはよう、久我君はあいかわらず元気だねえ、わたしゃ眠くて眠くて」

「そうは言いつつ俺より早いじゃないですか」

「いちおう本職だからねえ、君の若さがわたしゃまぶしいよ」


 境内にて白衣に緋袴をきた女性に声をかけるとそう返事がきた。彼女はこの神社の巫女である。名前は佐藤かおりという。どこにでもいそうな名前だ。しかしどこにでもいなさそうな程の長身である。僕と同じぐらい。比べたことはないがもしかしたら僕よりも高いかもしれない。僕も人よりも高い方であるのに。


「かおりさんおいくつでしたっけ?」

「あらやだ、女性に年なんてきくもんじゃないよ、まあ二十一ですけど」

「俺のいっこ上じゃあないですか、何を年寄りぶってるんですか」

「若かろうが眠いものは眠い」


 だらしなく大あくびをする彼女に僕は苦笑する。そして手伝いをすることにした。彼女は竹箒をもって境内の落葉をかき集めている。竹箒をとってくると同様に掃き始める。しばらく二人して無言で作業をこなした。


「なー久我君、手伝ってくれるのはいいんだけど君の方の仕事はいいのかい?」

「竹箒とるついでに社務所で確認したんですけど、まだ滝口さんきてないらしいです」

「あそっか、そういえば今日は午後からって言ってたな、んじゃ君はどうして来たのさ?」

「なんでも何か準備するのに力仕事が必要らしくてちょっと来てくれって頼まれたんですよ、ただまあ、あの人、ご存知の通り、時間にはルーズですから、ねえ?」

「いっぺんガツンと言ってやんなよ、それとも私の方から言っとこうか?」

「いやいや、いいですいいです」


 滝口さんというのはこの神社に雇われている用務員である。僕は彼の補助という形でアルバイトをしていた。そうはいっても常時働いているわけではなく、不定期に人手がいるときにだけ呼ばれるという何とも特殊な形態だった。こうしたアルバイトを僕は大学の研究室の先輩から受け継いだのだ。僕も卒業するころには後継者を探さなければならない。


「そういうのも含めてまあ気楽なほうですよこのバイトは」

「本当にー?」

「そうですよ、昨日なんてですね――」


 そうして僕は客から受けた仕打ちを語って聞かせた。僕が仕返しに何をしたのかまで全部。彼女は興味深そうに聞いた後、プリプリと怒り出した。


「何それ信じらんない、どこのどいつよそいつ、私が呪っといてあげるから住所と名前教えなさいよ」

「一応、個人情報なんで言えないんですよねこれが、残念です」

「そっかーせっかく呪いの道具一式、ちょうどよくあったのになー」


 そう言ってかおりは近くにおいてあったビニル袋を開いて僕に見せてきた。中にはいかにもといった五寸釘や藁人形が入っていた。こんな時代によくもまあ。


「なんすかこれ」

「ん、今朝そこのイチョウに打ちつけてあった。いやーさすがの私もひいちゃったからこうやって笑い話にしないとやってけないわ。あ、これみて呪いがうつっちゃっても私に責はないからね」

「なんつーもん見せてくれるんですか」


 僕はかおりの物言いに若干うすら寒い思いをしながらも苦笑した。確かに実際にこんなものを見てしまったら笑い話にでもしないと気分が悪いだけである。僕も厄払いとして誰かに話してやらねばならない。


「なーにを騒いどるんだ朝から、口じゃなく手を動かせ手を」


 しばらくかおりと丑の刻参りについて話し込んでいたら、渋く低い声音が横から聞こえてきた。


「おはようございます佐藤さん」

「あ、父さん、どうするこんなのあったんだけど」


 かおりと同様に白衣と、紫色の袴をきた厳つい顔の男が立っていた。細身で痩せているがもし喧嘩したとしても絶対負ける自信があるといえる程に気迫がある。中年のインテリヤクザのようだ。

 彼はこの神社の神職で名を佐藤順平という、かおりの父である。


「ん、ああ、燃やすゴミに入れとけ釘は燃えない方な」

「え、いいんですか?」

「何が?」


 こんなもの見ても動じない順平に感心しながらも僕は疑問を口にした。


「いや、供養とかおたき上げとか」

「あれは玉串をきちんと納めたものにしてやるもんだ、それにいいんじゃないか最後には燃えるだろ」

「それで私たちに厄が降りかかったらどうすんのさ父さん」

「大丈夫だって丑の刻参りだろ、怖えのは人形や釘よりもやってる本人の方だよ、何回か見たことあるけどありゃ尋常じゃねえなあ」


 そういって「ちっ古傷が痛みやがる」などと横腹をさする順平。僕はというと冗談だとわかっている。いるのだが、彼の雰囲気からして本当にそこに刺し傷でもありそうで全然笑えなかった。


「何それ、こわっ。しかもおもんない」


 かおりが僕の気持ちを二言で表してくれた。


「まいっか、わかったー捨ててくるー」


 そう言ってかおりはビニル袋をもって去っていく。僕は順平とそれを見送りながら話をつづけた。


「なあところで久我よ、お前こっちの方はいるんだっけか」

「何ですか急に」


 小指をたてて真顔を聞いてくる順平に一体何の話だと首を傾げる。男同士の下卑た話かと一瞬思ったがそれにしては雰囲気が少しまじめすぎる。


「いやよ、少しやつれてるように見えてなぁ、お前は最近の若者にしちゃあ殊勝に働いてる方だとは思ってるんだよ、体を壊さずにほどほどにしとくのも大事だぞ」


 そう言って苦笑する順平は僕を労わってくれているようだ。


「そうですかね、体力的にはまだ大丈夫だと思うんですけど」


 一度、本当に倒れるまで労働したことがあったので自分の限界やキャパシティは把握しているつもりである。ちなみにそのときに比べれば今はだいぶ労働量を減らしている。


「まあ彼女でもつくって慰めてもらえや、お前も男だし若いからそれでふんばれるだろ。それともそういう店につれてってやろうか?」

「ああ~……興味はあるんですけど金かかるからいいです」

「馬鹿野郎、それぐらい俺がもってやるよ」

「マジっすか!」


 僕はその言葉に食いつく。それは願ったりな話である。


「――あ、でもちょっと待てよ……まあそのうちに期待して待ってろ」


 そこで順平は急に勢いをなくした。

 そこは仕方ない。彼はこれでも奥さんに家計を握られているのだ。きっと僕をお店につれていくためには予算はおりないであろう。僕は期待しないで待つことにした。


「よろしくお願いします」

「ああ。ところで何だが――」


 そういって順平が話を切り替えようとしたとき、「ぶえっくし」と大声が聞こえてきた。見れば先の方でかおりがくしゃみをしていた。それも弁慶の最期もかくやというほどの仁王立ちでだ。


「お前、あいつをもらってくれる気はあったりするか?」

「いえお気持ちだけで結構です」


 美人なんだけどなあ。

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