青年と人工知能⑤

 戻ってきたありすは不必要なほどの大荷物を背中の小さなリュックに入れていたが、僕もギミックもそれについてとやかく言うことはなかった。鼻息を荒げて深刻そうな顔をする彼女にただ頷いてやるのみだ。そうして彼女と共に外へと出る。

 彼女が踏み出した一歩は実にあっけないものであった。

 少なくとも、はたから見た僕にはそう見えた。

 だが、彼女にとってはそうではないはずだった。

 大空の覚えがなくなるほどの長い間、地下暮らしをしていたというのだ。その心境は彼女にしかわかるまい。ありすはキョロキョロと周囲を見回していたかと思うと、今度はじっと天を仰ぎみていた。その顔は無表情で、僕には何を思っているのか分からない。

 ただ夕暮れに染まる空を一緒に仰ぎ見て綺麗だな思うばかりであった。

 考えてみれば、空なんてジッと眺めることなどあまりない。普段からあたりまえにそこにあるそれは、思ったよりも狭苦しいものだった。小さなころ、それこそありすと同じ齢のころ、同じようにして眺めたそれはもっと大きくて吸い込まれそうに思った気がする。

 それは僕の背が伸びたせいなのか、周りを囲む高層ビルが空を覆い隠しているせいなのか。

 ふと僕は、ありすにそのときと同じ空を見せてやりたいと思った。いや、それとも僕がもう一度見たいと思ったのか。


「ではついてきたまえ」


 そう言ってギミックは僕たちを誘導する。彼はありすの肩にちょこりと可愛らしく座っている。正確にはアリスの肩に備えられた機器から投影されていた。

 近くの駅に入り、電車に乗る。右も左も分からないであろうありすを僕が補助しながら行く。彼女はジッと視線を動かさず、時折ギミックと僕に向くのみだ。

 それは緊張と不安によるものだからであろうが、落ち着いた子だなと感心する。僕が上京したときなど、キョロキョロと完全におのぼりさんだった。

 故郷にはない煌びやかで鮮やかな色々。それが町中の至る所に溢れていたのだ。見るだけで楽しく、視線をうつすなというほうが無理だった。

 そこで僕はようやっと気づいた。

 僕は脳内端末を操作し、その電源を落とす。

 急激に世界が変わった。

 白い。

 電車内を彩る広告などはすべて消え失せる。そこに残るのはスクリーンじみた白い壁。車窓から見える街の様子も同様であった。余白ばかり。きっとここには何かが収まるのであろうという空白ばかりが目立った。スカスカだ。この都市はとうの昔より、拡張現実を前提にして造られているのだ。

 過ぎ行く光景はさっきまで自分が見ていたものと同じとは思えないほどに地味でそして静かだった。


「あれは何ですか?」

「え」


 ありすが僕に問いかけてくる。彼女が示しているのは彼女と同年代の子供たちだった。車窓の外、高架下にある公園で自らの親たちが話し込んでいるのを尻目に遊びほうけている児童たち。彼らは何も持たず何もない場所で奇妙な動きをしている。


「ちょいと待て、電源入れる――手前の坊主頭は向かいの奴と拳銃を打ち合っているな、最近のおもちゃは結構派手だな俺のときにはあんな爆発するような演出なかったなぁ、あと奥の女子の一団はままごとかね、冷蔵庫やらシステムキッチンみたいなのがあるから」


 遠ざかっていく子供たちを見ながら僕は説明する。ありすはジッと見えなくなった彼らを見続けるように顔を動かさない。


「ふーん」

「やっぱり珍しい?」

「ううん、習ったとおりだからだいじょうぶです」


 小さな顔をフルフルと振る彼女は、少し気落ちしているように見える。やはり彼女だけに見えないというのは疎外感を感じるものだろうか。


「お兄さんにはともだちっている……んですか?」


 はっと気づいて敬語を付け足してくる彼女に僕は何も言わなかった。むしろ慣れてきてくれた証拠だろうと嬉しく思う。


「いるね」

「じゃあ、ああやってあそんでるんですか?」

「あんな風には遊ばないなあ」

「ともだちとあそばないの?」

「えっいやいや、そういう意味では」


 あんな風に子供らしく遊んではいないというつもりであったが、よくよく考えてみれば最近だれかと遊んだという記憶がない。友達というのもバイト仲間や大学の講義で一緒になる奴らのことであり、仕事や雑談はすれども遊んだといえる程に関わっていただろうか。

 そんなことを考えていたら、ありすが心配そうにこちらを見ている。


「友達がほしいかい?」


 誤魔化すように僕は尋ねる。彼女は「うん」と素直にうなずいた。


「でもわたしはみんなとちがうから、きっとあそんでくれない」

「ああ……」


 気軽にそんなことはないと否定はできなかった。

 本当にこの子をみていると自らの幼少期が思い出されて困る。自分にも周囲と共通するものがなくて悩んだ時期があったはずだった。さて、あのときはどうやって切り抜けたものだったか。


「それじゃあ、あだ名を決めよう、そうしたら友達ができる」

「ええっ」


 ありすが驚いて目を丸くしている。


「実体験だ」


 確か、うじうじしている僕に「今日からお前はガっちゃんだ」と言ってくれた人がいた。誰かはもう覚えていないが、それぐらいからチラホラと周囲から声をかけられることが多くなったような気がするのだ。きっと語感がよかったのだろう。


「そうだな……『ありっちゃん』とか」

「かわいくないからいやです」

「ふむ、では『りす』とか可愛いぞ」

「じつざいする動物と、区別がつかない」


 ちとふざけ過ぎたのか、ありすは頬を少し膨らませている。さて本気で考えるとしても『ありす』という名前がすでに語感がいい気がする。少なくとも僕は無駄に呼びたくなる。これは無理やり考える必要もないかなと思えてきた。


「お兄さんは、どんなあだ名だったんですか?」

「久我って苗字をくずして『ガっちゃん』って呼ばれてたな」

「がっちゃん……」


 今のありすの語調で思い出したが何か割れる音がするたびに「がっちゃ~ん」とからかわれていたこと思い出す。しかしどうしてこう学校の窓ガラスとは定期的に割れていたのだろうか。


「わたしもそう呼んでいいですか?」

「え、まあ構わないけど」

「それでですね、わたしとおともだちになってくれませんか?」

「君はその積極性があれば友達に困ることなんてないよ」


 つい可笑しくてカカと笑ってしまった。


「ふざけないでください」

「ごめん、もちろん。むしろ俺みたいなのでよければ」

「……」


 笑みを向けると彼女はぷいっと顔をそむける。垣間見えたその顔はどこかむず痒そうに口元がひくついていた。

 そのときに電車内のアナウンスが聞こえる。もうすぐ次の停車駅につくのだ。僕はよしと気合を入れ直す。ありすにも注意するように促す。彼女は何のことか分かっていなかったようだが、数分後には否応なく理解するだろう。

 そして扉が開く。

 さて都内においてこれぐらいの混み具合など軽いものであると伝えてやったら、あんぐりと放心しているこの子はどんな顔をするだろうか、後で言ってやろう。

 この小さな友人を潰さないためにも僕はしっかりと電車内の一部に陣取るのであった。


 ●


 目的地にたどり着いた頃にはすっかりと暮れていた。確かにこの場所ならば左右にさえぎるような高い建物が少ないために空は広く見える。だが、都心部にも近いために、空なんて薄ぼんやりと発光しているのではないかと錯覚しそうなほど明るい。

 星なんて見えようもない。

 一切が見えないわけではもちろんないのだが、僕はこれを星空であると形容したくなかった。


「何だこれは、これでは夜景のほうが綺麗じゃないか」


 煌々と輝く東京の夜景はそれは見事なものではあったが今回の趣旨にはあわない。

 僕はギミックをひっぱり文句を言う。

 できるかどうかは分からなかったが彼は僕の指に合わせるようにありすの肩から空中に移動してきた。今、彼女の目にはギミックの姿は映っていないであろう。


「空中庭園なんて都会も都会の大都会のど真ん中じゃないか」

「まあ待て、待ちたまえ」


 興がのって彼のその可愛らしい体をブルブルと振りたくると目を回した風に答えてくる。

 現在、僕たちがいるのはギミックと昼間にであった場所である空中庭園であった。


「まず、これからむかえる範囲内に星が見える場所があると思うのかい?」

「そりゃ、まあ」


 無理であろう。

 郊外に向かえば多少はマシかもしれないが、あまり時間をかけるのはよろしくない。深夜帯に年端もゆかぬ少女を連れまわしていたら間違いなく職務質問される憂き目にあうだろうし、何より犯罪にまきこまれたら怖い。


「そういう次第であるから。まあこうするしかないわけだよ」

「何かするつもりなのか」


 そういって問うと、ギミックはその可愛らしい大きな口を半月型に開いて笑った。


「こうするんだよ」


 言って彼は宙にフヨフヨと浮いたまま指を鳴らす。パチリとした音が僕の耳にではなく、端末を通して脳へと届く。

 すると辺りが暗く沈んだ。


「なければつくればいい、自明の理だね」


 僕はというと口をあんぐりと開けて呆けていた。

 最初は庭園内の照明が消えたのかと思った。だがそれだけではなく、先程まで煌びやかに輝いていた夜景が姿を消していたのだ。屋上から見える都心の光が広範囲に消え去っていた。

 僕とギミックは庭園の端のほうへと近づいていく。


「これは大惨事なのでは?」

「それについては大丈夫さ、きちんと取捨選択している」


 ギミックは一つの建物を指し示す。病院だ。そこには窓から漏れる光がチラホラと見うけられる。


「だからどうしたと?」

「必要な場所には残してある。明日のニュースでどんな報道がされようとも人的被害はゼロだ。暗くてこける人物さえいやしないよ」

「それは流石に言い過ぎではない?」

「いや絶対だね」

「どこからくる自信だよそれは」


 言って僕は眼下に見る街の様子をうかがった。確かに信号など、人的被害に直結するようなモノの光は残っている。


「それに大昔ならともかく、今は全員が脳内端末を持ってる時代だ、どうにかするよ」

「うわ、悪びれねえ」

「私としてはどこの誰が、照明がなくて小便をまき散らしていようと構わないのでね」

「まるで見たかのように言うな」

「いるさ実際、今のところ十余名」


 それは冗談なのか何なのかギミックははっきりと言う。それと同じくして下界からザワザワと混乱する音が目立ってきた。そこで僕としては何より一番大事なことを彼に言ってのける。


「ところで俺は何もしらないし、何も関係がないからな」

「真っ先に自己保身を考える君も大概だね。まあ、心配しないでも私が思わせぶりに指を鳴らしたら、偶然にも大規模に停電が起きただけさ」


 笑って「証拠なんて何もありやしない」というギミックはとても頼りがいがあり、それならばと僕も深く考えるのをやめることにする。人間、抱えきれる問題にも限度というものがある。人に知られることがあるのならば声高に非難されるかもしれないが、知ったことではない。


「そんなことよりも、どうだろうね気にいってくれただろうか?」


 ギミックが振り返ってありすのほうを向いた。彼女は庭園の中央に残っており、何も言わず、微動だにせず、ジッと空を見上げていた。

 彼女の見る空は確かに満天の星空であった。

 天の川こそ見れるほどではないが、幸いのこと月もなく、都会の真ん中でみたとは思えない景色であることは確かだ。僕も思わず「おお」と呟いてしまう。

 ゆっくりとありすの方へと近づいていく。途中、彼女が「わあああああー」と大声をあげた。僕は何事かと目を丸くさせた。短時間ではあるが、おとなしくて賢い、という彼女に対してついたイメージと離れていたからだ。隣のいるギミックも面を食らったのか、互いに顔を見合わせてしまう。

 ありすはそんな僕達には構わず、ピョンピョンと飛び跳ねていた。それは溢れ出る感動を彼女なりに表現しているようであった。


「ギミック! がっちゃん! 凄い!」


 頭上を指さして飛び跳ねる彼女はこちらに喜色満面の様子で叫ぶ。しまいにはそのままクルクルピョンピョンと回り始めてしまった。


「そうかそうか、それは良かった」


 ギミックは自身も嬉しそうに言う。僕としてはまだ、この唐突な彼女の変化を受け入れきれなった。

 しかし、唐突なわけでもないかと考え直す。

 彼女の年齢を考えるならこの反応こそが自然で、そして健全であるのだ。出会ったときのように大人しく、保護のない自立した暮らしをしているということの方が異常なのだ。僕としてはそのことに深入りする気はないと決めているものの、彼女が喜んでいる様は素直によかったと思えた。そうして僕も嬉しくなってくる。


「そうだな、それは良かった」


 彼女が子供らしく喜ぶことができる。それは何よりも良いことだと言えるだろう。

 その後、僕たちはいっときの間、星空を堪能した。

 都会で見た、きわめて珍しいその景色は、今まで見てきた光景の中で一番珍妙で、そして綺麗だった。

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