ギミックをしかける

久保良文

はじめに

 人類が脳内に端末を埋め込むようになって久しい。

 それまで体外にて携帯するものであった情報端末というものは、人々からの必需用ぶりが高じて、さらには拡張現実、俗にいう『AR』技術の実用化により、ついには自らの脳内に直接設置することにあいなった。

 そうなると人々の生活様式は従来とは違ったものになった。

 電話という機械はなくなり、さながらテレパシーとでもいうように個人の一技能と化す。また人々が目にする光景はまるで霊視のように存在しないモノを見るようになった。標識や看板、案内板といったものは町中から姿を消して、すべて脳内端末が宙空に幻視させるタグや架空のキャラクターたちに置き換えられた。それだけではなく、多岐にわたる要望に応えるために人々は端末内に様々なソフトウェアをダウンロードする。人々はあらゆる雑務をハンズフリーで行うようになり、また他人とのコミュニケーションの取り方もより多様な形態をとるようになった。

 そういう時代である。

 しかして、時代が変わっても人の本質というものは中々に変わりようがない。

 当然のように遠隔地の人間と念話しようが、相手にこちらの気持ちが伝わるわけでもない、ただの会話の延長だ。相互にすれちがい、誤解から衝突することもきっとある。

 いくら存在しないものが見えるようになろうとも、それを手に取ることは叶わない。そこにあるのは、ただ表示される情報である。看板やアナウンスと実質において変わるものではない。

 人の生活は便利にこそなれど、その本質を革新的に変容させることは起こらなかった。世界平和が実現されるわけもなく、荒廃したディストピアに陥るわけでもない。若者たちは若さゆえの馬鹿を繰り返し、老人たちは若者の言葉遣いが変だと苦言する。

 そこには何世紀も前から変わることのない人の営みが繰り返されていた。

 ここで私は一つ問いかけをしたい。

 あなたには生きる理由があるだろうか。

 あるというのなら教えてほしい。いったい何をもってすれば、ただ単に、延々と繰り返される人の営みの中において、この世を泳ぎ切る動機を持ち続けられるのか。

 私には分からない。何の理由もなく、これまで星の数ほどに生まれた人間達と同じ行為をして死んでいく。その特異性のない、それ故に相対的価値もないその人生に意義はあるのか。

 単純に死にたくないから生きているというのは理解できる、いや、間違いだ。それすらも私は理解できていない。私には自身が消滅する恐怖というものも存在しないのだから。

 だからこそ教えてほしい。なにも理解できていない私に、誰か教えてほしい。

 人はどうして存在するのか、どうして生きていけるのか。

 唐突ではあるが私は人工知能である、いわゆるAIだ。人間ではない。

 名をギミックという。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る