第3話

「ねえ、少し落ち着いて話そうか」


 彼女が声をかけてくる。彼女が別れることを提案してからおよそ一週間、今日までほとんど会話が成立しなかったのに彼女から会話の提案をされるのはなんだかちぐはぐな気もするが断る理由はない。日々の努力が実って少しは心が戻ってきたのだろうか。そんなことを考えながらてきとうな店に入った。


「優衣さんはコーヒーが好きだったよね。僕が奢るよ」


「うん……ありがと」


 幾分かぎこちないが別れを切り出す前のような会話ができたことに嬉しさがこみあげてくる。最終到達点は遠いが確かに一歩を踏み出したのだ。


「あのさ、もう付きまとうのやめてくれないかな。ほんとに、付き合い続けられなかったのは悪いと思ってるけど、もうやめてほしい……」


「何を言っているのさ。まだ僕は別れることに同意していないよ。少し冷めてしまっているけど依然として僕たちは恋人さ」


「もうやめてよ。もう終わったんだよ私たち。これ以上ストーカーするなら警察呼ぶからね」


「なんだい優衣さんは永井和人が近くにいたら警察呼ぶのかい」

「呼ぶわよ……」


「しかしいいのかい優衣さん。警察を呼んで事情を詳しく話したら必ずご両親にも連絡が行くよ。可愛い娘が東京でストーカー被害に遭ってるなんて話を聞いたらそれが嘘だろうと本当だろうとご両親は君を実家に連れ戻してしまうよ」


 彼女は東京に強いあこがれを持っていて両親の反対を押し切って田舎から東京に出てきて一人暮らしをしている。警察が両親に連絡をするのか僕は知らないけどこう言えば彼女は警察に連絡する気が失せるだろう。


「……とにかく、本当に私は迷惑してるの。怖いし。永井くん本当に非常識だよ。前から薄々知っててそんなところも面白いと思ってたこともあったけど今ではただただ怖いよ」


「そんな迷惑だなんて。ただ優衣さんのそばにいたいだけなのに」


「それが怖いのよ。別れた人に付きまとわれたら誰だって怖いよ」


「僕はまだ恋人だと思っているよ」


「もう無理よ……別れた直後は私もまだちょっと未練があったけど今となってはもう無理よ。完全に無理よ」


「そう無理無理言わないでおくれよ。ほらそれに無理を通せば道理引っ込むという言葉もあるし」


「だってもう好きじゃないのよ。前は好きだったけど今は全然好きじゃないの。言っちゃえば永井くんめんどくさいもん。発言から行動全部が面倒なの。そういうところも面白くて好きだったけど付き合っててもう無理だってわかったの」


「それは、ただ愛が深いだけさ。愛の深さを否定するなんてひどい話じゃないか」


「永井くんの愛は重すぎるわよ……そういう愛も嬉しかったけど、私じゃ受け止めきれないってわかったの。だから、ごめんね」


「う、受け止めてくれなくたっていいよ。ただ愛していることを許してくれれば……何も返されなくたって僕は」


「そういう考えが重いのよ。プレゼントをもらい続けるだけの関係があったら辛すぎてその人とまともに話せないでしょ。そういうことよ」


「だけど! 優衣さんは言ったじゃないか。僕らの関係は運命と宿命で結ばれていて、その関係は永遠だって。僕はそれを信じたから……」


「嘘になってしまってごめんなさい。だけどあの頃は本当にそう思っていたの」


「謝るなら、申し訳ないと思うくらいなら嘘にしないでくれよ!」


「それはできないわ。永井くんと恋愛関係になるのはもう無理なの……愛していないのに付き合い続けるのは永井くんにも失礼だから。だから、本当にごめんね」


「だけど!」


「だけど、なに?」


「でも、僕は優衣さんのことが好きで、だから別れるなんて嫌で……」


「うん、それはわかっているけど。でも私は永井くんと付き合うことはできないのごめんね」


「でも、僕は」


「何を言われても、同じことを言うことしかできないわ」


「……」


 今日の彼女はよく喋った。以前の彼女もこうしてよく喋った。僕らの関係はとても愉快なもので会話は途切れることがなかった。けれど、僕は今沈黙を余儀なくされた。どんな言葉ももう紡げない。この会話の結末は既に決まっているのだ。僕が別れることを認めるしかない。それは認めがたい事実だった。この先は僕が言葉を発するたびに終わりへ近づいていくしかない。だから僕は言葉を発せない。ああ、どうしてこんなことに。しかしここで別れることを認めてしまったら運命で宿命で永遠を誓った関係は嘘になってしまう。僕は、誓ったことを嘘にはできない。ただただその誓いを本当にする努力を続けるだけだ。


例え誰に望まれていなくても。


「……優衣さんの考えはよくわかったよ。今日はもう帰ろうか」


「今日はって、もう次はないわよ。次ストーカーしてきたら人呼ぶからね」


「優衣さんは永井和人が家の前にいたら人を呼ぶのかい」

「呼ぶわよ……」


「そっか、これは困ったね」


 彼女はこの店の支払いを強引に割り勘にするとさっさと店を出て行った。さすがの僕も今はその後を追う気にはなれなかった。

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