3-2

 マリアとは、偶然エレベーターで一緒になった。ナンシーが喫茶コーナーに誘うと、黙ってうなずいた。投与が始まってから一ヶ月近く過ぎており、病室を訪れるマリアの姿を毎日のようにみかけていた。

「一度聞いてみたかったんだけど、お兄さん、昔はどんな感じの人だったの」

 十二歳の少女はストローでレモネードを啜った。ナンシーの問いが聞こえなかったかのように、口を開かない。

「頭を怪我する前は、どんな性格だった?」

 辛抱強く問いを重ねると、ようやくマリアは顔を上げた。大きな黒い瞳は人形のようで、感情の色がない。なにか薄ら寒いものをナンシーは感じた。

「どうして?」

「知りたいの、なんとなく。悪い?」

 嘘だった。検査でも、薬の効果を知ることはできる。だが、性格が事故以前の状態に回復したか確認するには、親しい人間から印象を聞きだす必要があった。

 再びマリアは黙りこんだ。斜め下の、なにもない宙をみつめている。答えたくないわけではなく、昔を思いだしているのだろう。

「大人しかった」

「あまり話さなかったの?」

「うん」

「一緒に遊んだりしたことは?」

 再び考えこむマリアが、鼻の頭をみつめるような目つきになる。マシューとしぐさが似ているのに気づき、ナンシーは危うく吹きだしそうになった。

「わかんない」

「わかんないって?」

「マットは、変わってなんかない」

「なんのこと?」

 マリアは、兄をマットという愛称で呼んでいた。

「先生は、なにをしてるの」

「あなたのお兄さんを治療しているの」

「それがわかんない。マットは病気なの?」

 クラスメイトを二人、殺したのよ。ナンシーは喉元に込みあげた言葉を呑みこんだ。改めて、目の前の少女をみつめる。濡れたような美しい黒髪だった。ティーンになろうとしている身体は丸みがあるが、肩や首まわりに骨が目立つ。無理なダイエットをしているような、不健康な印象があった。

 ネットで読んだ記事のことを思いだした。マシューが怒りを爆発させたのは、妹に関することがきっかけだったらしい。スタン・ゴドフリーがマリアの陰気さや口数の少なさについて侮蔑的な言葉を放ち、マシューは謝罪を要求して飛びかかった。カフェテリアにいた者がやりとりを耳にしていたという。しかし、裁判では高校生同士の人間関係の歪みばかり注目され、家庭環境についても父親との対立のほうが問題とされた。

 脳の障害のことは、正しく理解しているかはともかく、マリアにも説明されているはずだった。この少女は、本質的な問いを投げかけている。ナンシーはそう直感した。

「そうね、お兄さんはお兄さんだものね」

「マットは」言いかけ、唇を閉ざし、再び口を開く。

「いつもいてくれた」

 軽く顔をうつむけて吐きだされた言葉は、まるで独り言のようだった。

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