第2話 骨の記憶

お題:記憶・詩 、千文字以内九五〇文字以上


もう十五年前のことになるが、祖母を火葬したときに感じたことを記しておきたいと思います。あれは確か八月の盆を過ぎた頃でした。職場で汗だくになりながら同僚と祖母の葬式の日取りを話していた記憶があります。


親族一同が骨だけになってでてきた祖母の周囲に集まっていき、従兄弟のまだちいさな子どもが泣く声と誰かの「ひいばあちゃんはもう苦しくなくなったんよ」、と言う声を聴きながらぼくは黙って祖母だったものをみつめていました。そうして祖母の骨を箸で拾って骨壷に納めているとき、なんで箸なんだろうか、手で拾ってはいけないのかな、とふとそんなことが頭をよぎったのです。火葬場の職員からは、遺族から遺族へ箸を渡していく三途の河への箸渡し(橋渡し)だという説明を受けた気がしましたが、よくは覚えていないし、どうでもよいことでした。ぼくはただ手で触れたいと思ったのです。


九十三年生き続け、女手ひとつで四人の子どもを育て、孫二人の面倒を見ていた人が骨だけになり、ぼくはそれに対してどこかよそよそしさを感じていました。母方の祖父は土葬で、骨になった親類を見たのは初めてだったからかもしれません。


恐る恐る拾い上げた骨のカケラは軽くて骨粗鬆症もあってか、ひどく脆くみえました。目の荒いスポンジみたいにすかすかの骨の断面、まるでそこに魂か何かが詰まっていたのではないか、魂が抜け落ちたのではないか、とは思いませんでした。ただ頭の中にある感触が浮かびました。幼い頃、祖母と二人で出かけると父や母に内緒でファンタのグレープジュースを買ってくれました。アレルギーがあるからと、普段はほとんど飲ませては貰えないものでしたがあの冷たい瓶の感触が手に蘇えりました。あれは今日みたいな暑い日で瓶にたくさん水滴がういていました。そんな記憶のなかでも手のひらにのせた骨のカケラを撫でても冷たくはないのでした。それから骨壷にからん、と骨を落としました。とても軽い音がして九十三年の人生はやがて、骨壷に蓋をされて密封されたのでした。


けれど、あの夏のファンタの想い出は確かにありそれが世間でいう魂というものだと思います。だから墓の前で手を合わせるとき、ぼくはぼくの中の祖母の魂に向けて手を合わせているのです。この記憶と幼児期に行われるお食い初め、という箸を使った儀式の想い出を聴いたことが一膳の箸のオードという詩を書くきっかけになったのでした。

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