夏目漱石の英詩③ Silence.(August 1903)

 僕は音のない世界からやって来た

 そこには太陽も月もなかった

 男も、女も、まして神様さえもいなかった

 僕は音のない世界で暮らしていた

 そこでは沈黙が支配していた


 そこで僕はママと一緒だった

 優しくて華奢きゃしゃなママだった

 喜びと望みとまぶしさの全てをくれたママがいた

 だけどママはもうどこにもいなかった


 遠い昔、そこで金色こんじきの流れを見た

 天国への扉が粉々に開いた

 大地は琥珀こはく色の光で氾濫はんらんした

 何もかもが甘く、柔らかく、美しかった

 だけどもう陽の光はどこにも射さなかった


 世界はいつもノイズだらけで

 世界の果てはあまりに遠くて

 どんなに徒労とろうを繰り返しても

 僕はまたここに戻ってしまう


 あんなに喜びに満ちた世界だったのに

 どうして戻れないんだろう

 あんなに掛け替えのない世界を

 どうして失くしてしまったんだろう


 僕はもう何も欲しくなかった

 どんな愛も色褪いろあせて見えた

 富も名誉も権力も何もいらないから

 どうかどうか、あの世界に戻して欲しかった 


 泣きながらどんなに願っても

 巡る星の上で待ち望んでも

 宙ぼんやりなまま曖昧なまま

 音のない世界はもうどこにも見えなかった

 沈黙の支配する世界は、もう永遠に消えてしまった


 

 注)"Kingdom of Silence" を「音のない世界」と訳しました。漱石がどういう世界を意図していたのかわかりにくいのですが、そこは皆様のご想像に任せたいと思います(丸投げ)。和訳では全体に悲観的な雰囲気が流れていますが、原文では "Oh my life ! " のルフランが、詩に一定の形式と一種の明るさを演出しており、この悲観的な雰囲気=漱石の世界観そのままではないであろう、ということを断っておきます。

 以下が、原文です。



 I hail from the Kingdom of Silence,

 Where I knew no sun, no moon,

 No man, no woman, nor God even.

 I lived in Silence and Silence reigned all.

 What a difference to me now ! Oh my life !


 Once I had a mother,

 A fond and tender mother had I,

 Who gave me joy and hope and everything bright,

 But she is gone now ! Oh my life !


 Once I was young : I saw a stream of gold,

 Bursting open the Gate of Heaven

 Flooding all the earth with amber light,

 All was mellow, warm and beautiful.

 Where is sunshine now ? Oh my life !


 I seek within and there are voices,

 I seek without and there are rushes,

 In vain I seek within and without ;

 Silence is not there ! Oh my life !


 Silence !

 Ask me why he is so dear ?

 Because Silence is bliss.

 Ask me why Silence is bliss ?

 Because he is perfect. Oh my life !


 Better than the best things we possess,

 Sweeter than love we call divine,

 Dearer than Fame, Power and Riches,

 I weep for him that is no more. Oh my life !


 I look back and I look forward,

 I stand on tiptoe on this planet

 Forever pendent, and tremble―

 A sigh for Silence that is gone,

 A tear for Silence that is to come. Oh my life !

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