第35話 神託の勇者

 置いていかれた。今までずっと一緒だった二人に、置いていかれたのだ。そのことに、サターンは激しく動揺した。あの時差し出された手を、何も考えずとっていれば良かったのか。そう考えて、サターンはその思いつきを頭からかき消した。それはロベリアを、リリーを見捨てることに直結する。そんなことができるはずはなかった。それに。


「黙ってついて来て欲しかったのなら、どうして僕に広い世界を見せたの?」


 故郷の町で何も知らず生きていたあの頃のサターンなら、迷わず二人の手をとっただろう。二人の言う正義が正しいと疑うこともなく、踏み台にされる世界を見て心を痛めることだってきっとなかった。それではいけないと教えたのはルトロスとフェルシだ。


 命の価値は比べるものじゃない。自分が善意で何かをしても、相手にとってそれが良いとは限らない。相手の身になって考えろ。


 この旅で、色々なことを言われてきた。その瞬間には分からなくても、旅を続けるうちに少しづつ、サターンにも分かって来たことがたくさんある。でも、『魔王と勇者』として二人がやろうとしていることは、そんな二人の教えと明らかに矛盾していることがいくつもあった。


「ねえ、二人は僕にどうして欲しいの?」


 さっきまで二人のいた場所を見つめてサターンは呟く。ロベリアもリリーも同じ場所を見つめながら、それぞれ考え込んでいた。


 バタン!


 そのとき、礼拝堂の扉が乱暴に開け放たれる。そこにはルトロスに追い出された教皇の側近がいた。


「一体何があったのですか!?」


 慌てた様子の側近とは対照的に、その後ろからゆっくり礼拝堂に入って来た教皇は冷静に部屋を見回す。それだけで何かを理解したらしく、教皇は意気消沈した様子の三人に声をかけた。


「大体のことは把握した。来なさい、若者たちよ。今のお前たちには、老いぼれのお節介が必要じゃろう?」


 教皇は座り込むサターンを優しく抱きしめる。その温かさは、自分を育ててくれた二人の体温に似ていて。サターンは教皇の胸に身を委ねて静かに泣いた。



※※※



「ワシがもっと早く全てを見抜いていれば良かったのじゃ。君たちには申し訳ないことをしたのう」


 教皇は自室につくと執務用の椅子に腰掛けて、後悔の滲む声で告げた。


「教皇様は、何をご存知なの?」


 ロベリアが静かな声で問いかける。彼女は何かを覚悟しているようだった。そんなロベリアに、教皇は優しく笑いかける。


「そう怖い顔をするでない。せっかくの美人が台無しじゃ! ワシは美人を傷つけたりはせんよ。たとえあんたが魔王だとしても」


 その場にいた誰もが息を飲んだ。側近は教皇を守るように立ちはだかり、サターンは魔王の手を引いてかばう。


「これこれ、ぴりぴりしてはいかん。今は人間と魔族の諍いなどを起こしている場合ではないのじゃ」

「しかし、教皇様!」

「まずは彼らの話を聞こう。礼拝堂から勇者の剣は消えていた。一体何があったのかね?」


 そこで、ロベリアはあの部屋で起きたことの全てを語った。それを聞いた教皇は難しい顔をする。


「愚かな神を断罪する、とな……。この世界の正当な勇者ではないはずの男が勇者に成り代われたということ、この世界は使い回しの欠陥品、という言葉。それらから察するに、おそらくこの世界は彼らがいた世界の模倣品なのじゃろうな」

「もほうひん?」


 未だ目を腫らしたままのサターンが首を傾げた。


「なんといえばいいかのう……。この世界はオリジナルではなくコピーなのじゃ。往々にしてコピーとはオリジナルの劣化版になってしまう。この世界を欠陥品と彼らが言うのは、そういうことなんじゃないかのう」

「ルトロスたちを『魔王と勇者』として定義した世界のコピーだから、フェルシはこの世界の『勇者の条件』に適合していて、勇者の剣を抜くことができた、ということなのね」

「そういうことじゃ」


 そのとき、ずっと黙り込んでいたリリーが顔を上げる。


「なあ。俺、不思議に思ってたんだ。なんであいつらが俺を助けてくれたのか。なんで俺に剣の扱い方を教えてくれたのか。あいつらが優しくていい奴だからだと思ってたけど、二人の正体を知った今は何か理由があるんじゃないかと思ってる」


 リリーは長い前髪に隠れた瞳で教皇を見つめた。茶色の髪が彼の動きに合わせて揺れる。


「礼拝堂にいた教皇の側近は追い出されたのに、俺はあの場にいることを許された。そして、二人の過去も見せられた。なんの関係もない俺をわざわざここまで連れて来た。それは偶然か? あいつらは気づいてたんじゃないか? 俺の知らない、俺のことを」


 その言葉に教皇は鋭い視線をリリーに向けた。その眼差しで、リリーは教皇も何かに気づいていることを確信する。


「そうなのかもしれん。ワシには知り得ぬことじゃ。だが、お前さんが何なのかは教えてやれるぞ。その茶色の髪と瞳は意図的に隠されたものじゃな。君は、自分の本当の姿を知らんのじゃろう」

「知らない。母さんが、それは隠しなさいと言ったから。姉さんたちは、俺の本当の姿を見たら嫉妬してひどいことをしてくるからって」


 リリーは自分の長い髪を握りしめた。母のかけてくれた魔法を、忘れ形見のように思っていた。けれど。


「俺は、この魔法を解くのが怖かった。魔法を解いたら、母さんが死んだことを認めることと同じような気がした。本当のことと向き合うのが、怖かったから」

「今でもそう思っているのかい?」


 教皇の問いに、リリーは首を振る。そして彼は前髪をかきあげると、露わになった瞳で教皇をまっすぐ見た。


「いいや。向き合うよ。俺がなんだったのか、今知らなかったらきっと後悔する。母さんの魔法を、解いてくれ」


 その答えを聞いて、教皇は成長した孫を見る老人そのものの眼差しをリリーに向けた。そして、魔法を解くための呪文を唱える。すると真っ白い光が生まれて、リリーを包み込んだ。その様子を、サターンとロベリアは静かに見守っている。


 やがて光が弾け飛んだ。光の消えたその場所に立っていたのは、先ほどまでのリリーではなかった。


 リリーの顔を隠していた長い前髪は短くなり、茶色だった長い髪は全く違う色に変わっている。


「白い髪に、桃色の瞳……!」


 すっかり変わったリリーの姿を見て、思わず側近が呟いた。ロベリアとサターンも息を飲む。


 そこに立つリリーの姿は、間違いなく神託の勇者そのものだった。

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