4 では、試してみるか? その1


「明順。起きているか?」

「は、はいっ」


 起きていたものの、寝台でぼうっとしていた明珠は、少年龍翔の涼やかな高い声に飛び起きた。


「起きています! すみません、ぼうっとしていて……」


 あわてて寝台を下りて靴を履き、衝立ついたての向こうへ行くと、夜着姿の少年龍翔が立っていた。


「夕べは、眠れたか?」

 顔を見るなり、心配そうに尋ねた龍翔に、こくこくと頷く。


「大丈夫です! ご心配をおかけしてすみません!」


 順雪に会いたい気持ちはもちろんあるが、それは明珠のわがままだ。

 龍翔に心配や迷惑をかけて、従者失格だなどと思われたくない。


 きっぱりと答えると、愛らしい顔がわずかにしかめられた。が、口に出しては何も言わない。


「では、龍玉を頼む」

「は、はい」


 龍翔にもらった薄紅色の絹紐で首からぶら下げ、服の中にしまい込んでいる守り袋を、夜着の上から握りしめ、目を閉じる。


 緊張してはいけないと思うのに、意識すると、逆にますます緊張が高まってしまう。

 息を止めてしまわぬよう気をつけながら、ぎゅっ、と固くつむったまぶたに力をこめる。


 明珠に歩み寄った少年龍翔が、背伸びをする気配がした。

 柔らかな唇が、明珠のそれにふれる。


 かと思うと、すぐに龍翔が身を引く。

 いつもなら、夜まで青年の姿を保つために、もっと長いくちづけになるのだが。


「……今日は、ひとまずはこれでよい」


 青年龍翔の落ち着いた声に、驚いてまぶたを開ける。

「ええっ⁉ いいんですか? その……」


 きっと、先ほどのくちづけでは、二刻(約四時間)ほどしかもたない。夜までなど、絶対に無理だ。


「あの、何かあったんですか?」

 不安になって問うと、龍翔の視線がわずかに揺れた。


「その……」


「や、やっぱり、私がうまくできないせいですか……?」

 申し訳なさに、情けない気持ちになる。


「ど、どうしたら、うまくできるようになるんでしょう……?」

 明珠には、さっぱり方法が思い浮かばない。


「やっぱり、『鍛錬』をしてみた方がいいんでしょうか? いっそのこと、私が寝ている間に済ませていただいた方が……⁉」


「落ち着け! お前が眠っている間に手を出すなど、できるわけがないだろうが! もし――」


「そ、そうですよね。龍翔にそんなことをしていただくなんて……すみませんっ!」

 がばりと頭を下げると、龍翔のため息が降ってきた。


「……とにかく。先に着替えるといい。そうだな、朝食の後にでもまた《気》をもらおう。それでよいだろう?」

「は、はい……。龍翔様がそれでよろしければ……」


「うむ、それでよい。お前も、分けた方が楽だろう?」

「た、たぶん……」


 どちらも恥ずかしいことには変わりないが、一度に長くくちづけするよりも、短い方が楽なのはその通りだ。


 長いと、唇を通じて伝わってくる体温だの、明珠にふれる龍翔の指先の熱だの、どんどん暴れだす鼓動や、高まる恥ずかしさに、「わ――っ!」と叫んで逃げ出したくなってしまう。


「では、お互いに先に着替えをすませよう」

 うろたえる明珠の頭をあやすように撫で、龍翔は足早に隣室へと出て行った。


 ◇ ◇ ◇


「明順チャーン♪ ちょっといい?」


 朝食の後、荷物を整えていると、とんとんと内扉が叩かれた。聞こえてきたのは安理の声だ。


「はい。どうかしましたか?」


 朝食の後、いつもなら荷物を取りまとめてすぐに出発するのだが、今日はなぜか龍翔が季白と張宇を連れて部屋を出て行ってしまった。何か打合せすることでもあるのかもしれない。


 明珠が内扉を開けると、するりと安理が長身をすべりこませた。

 薄く内扉を開けたまま、安理が明珠に対峙する。


 朝、安理がわざわざ明珠に声をかけてくるなんて、珍しい。

 どうしたのだろうかと、整っている割に、なんとなく印象の薄さを感じさせる顔を見上げると。


「明順チャン、最近、悩みごとでもある?」


 軽い口調で問われ、びっくりする。


「ええっ⁉ どうして知っているんですか⁉」

 龍翔といい、周康といい、なぜこんなに指摘されるのだろう。


「私って、そんなに顔や態度に出ています……?」


 自分では出さないようにしているつもりなのだが。安理にまで聞かれるなんて。

 おずおずと見上げて問うと、安理がぷっ、と吹き出した。


「え? もしかして隠してるつもりだったの⁉ あれで⁉ もー、バレバレだよ、バレバレ! まっ、そこが明順チャンのかわいートコだけど♪」


「ふぇっ⁉ ……って、ひゃあっ!」


 つんつん、と安理に人差し指で頬をつつかれ、驚きが上書きされる。明珠は飛び上がって、思わず後ろに退いた。


「で? 何に悩んでるワケ?」

 にこにこと楽しそうに笑いながら、安理が尋ねる。


「そ、その……。実家の町がすぐ近くなので、里心がついてしまって……。あっ、もう大丈夫ですよ? 順雪が心配なのは確かですけれど、私のわがままだって、わかっていますし……」


 明珠は安理を心配させないよう、あわてて否定する。


「あー、うん。なるほどね~。弟が心配だなんて、明順チャンらしいや」

 考え深げに呟いた安理が、不意に明珠の顔をのぞきこむ。


「で。悩みってのは、それだけ?」


「え……っ」

 明珠は絶句する。


 安理はいつもの笑顔だ。だが、明珠を見つめる眼差しには、心の奥底まで見通すような鋭さが宿っている。


「まだ、何か悩みごとがあるんじゃない?」


「そ、それは……」

 明珠は困って口ごもる。


 安理が見透かした通り、悩みならある。

 だが、それを言えるかというと……。


 明珠のためらいを読んだように、安理が軽い声音で言を継ぐ。


「あ、別に言いたくなかったら無理に聞いたりしないよ? 誰にだって、言いたくないことの一つや二つ、あるだろーしね~。でもまあ、自分一人の胸に閉じ込めておくのはつらいこともあるだろーし。誰かに話してみるだけでも、楽になるかもよ?」


「誰かに……」

 そんなこと、考えたこともなかった。


 母を亡くして以来、龍翔に仕えるまで、頼りになる相談相手など、明珠にはいなかったと言っていい。だが。


(で、でも、相談って、あんなこと……)


「まあ、これでも年の割にイロイロと経験してると思うし~? それに、龍翔サマじゃ、逆に相談しづらいコトだってあるでしょ?」


 押しつけがましくなく、けれども明珠を気遣ってくれる安理の声は、ふだんとはうって変わって優しい。


 龍翔の名に、朝食前のやりとりがよみがえる。

 あの剣幕を考えるに、龍翔に相談はしづらい。そもそも、恥ずかしすぎてうまく相談できる気がしない。


 鬼上司の季白は、端から論外だ。青筋を立てて叱責される光景しか浮かばない。


 明珠が一番相談しやすいのは張宇だが……。相談の内容が内容だけに、「……えっ?」と真っ赤な顔で固まられそうな気がする。

 張宇にそんな顔をされたら、明珠もいたたまれない。


「あの、その……」

 じわじわと頬が熱を持ってくるのがわかる。


「うん?」


 真摯しんしな声で明珠を促す安理の眼差しは、迷う心が傾いてしまうほど、穏やかで優しい。


 事が明珠一人だけの問題だったら、きっと相談なんてしなかった。

 けれど、明珠のせいで、敬愛する龍翔に迷惑をかけているというのなら……。


 恥ずかしさを意志の力で追いやり、明珠はおずおずと安理を見上げた。


「そ、その……。く、くくく……。え、ええっと、どうやったら《気》のやりとりを長くできるようになるんでしょうか……?」


「……へ?」


 告げた瞬間、安理が止まった。

 かと思うと。


「ぶぷ―――っ‼」


 盛大に安理が吹き出す。


「えっ、そこっ⁉ まだソコなんスか⁉」

 体を二つに折りたたむようにして爆笑しながら、安理が苦しそうに言う。


「オレはてっきり、朝からいちゃいちゃしてて、そっからどう関係を深めるか計りかねているんだと……っ‼ って、まだソコ⁉ それ以前の段階なのっ⁉ いやーっ、明順チャンてば、やっぱサイコ――っ!」


 ばしばしと肩を叩かれるが、明珠には安理がなぜこんなに爆笑しているのか、さっぱりわけがわからない。


 ただ、どうやら自分が間抜けな質問をしたらしいと察し、羞恥しゅうちにさらに頬が熱くなる。


「あのっ、すみませんっ。変なことを聞いちゃって……っ! そのっ、やっぱりなかったことに……っ!」


「えっ、ヤダよ! なかったことになんか! こんな面白いコト‼ うん、ごめんごめん。予想が外れすぎて、ちょーっと笑いが止まんなくなってた」


 まだぷるぷると肩を震わせながら、安理が軽い口調で詫びる。


「で、明順チャンは、龍翔サマと長くくちづけできなくて困ってる、と?」


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