第9話 修学旅行

 とうとう修学旅行がやってきた。去年も2年生に付き添ったし、その2年前は自分の担任している学年の修学旅行に行っているし、もう同じところへ3回も行っているので、旅行自体は楽しみでも何でもない。何しろ冬の沖縄である。マリンスポーツもするけれど、野郎ばかりの、見た目に何の華やかさもない催し。ひたすら安全に気を付けながら、それでも生徒たちの愉しんでいる様子をビデオに撮ったりしながらほっこりするイベントではある。

 が、今年はほっこりでもなければ、つまらない行事でもない。何しろ、颯太と一緒に泊りがけの旅行に出かけるのだから!その他何十人も同行するけれど。

 さて、いよいよ出発の時が来た。羽田空港に集合し、飛行機に乗り込む。全員が無事に飛行機に乗り込むか、保安検査でひっかかったりしないか、とにかく教師はハラハラドキドキで、浮ついた気持ちではやっていられない。が、ついつい颯太を目で探す。集合した颯太。ウキウキしているのか、いつも以上に可愛い。隣の生徒にちょっと話しかけたりして、笑ったりしている。クラスの全員が時間に遅れず集合して、一安心。保安検査で多少のいざこざはあったものの、予定の飛行機に全員乗り込むことが出来た。他のクラスでも大きな問題はなく、出発することが出来たようだ。

 機内では見回りもできないし、とにかく目的地まで乗って行くしかない。楽と言えば楽だ。俺は自分のクラスの席の後ろに座り、見張っていた。みんなの頭の先がちょこっと見える。中には飛行機が苦手な生徒もいて、気分悪そうに眼をつぶってじっとしている。そういう生徒は俺のすぐ近くに座らせている。それでも、

「うわぁ、こえー。」

とか言いながら、両隣の友達の方へ手を伸ばし、手を握ったりして、周りを笑わせている。


 那覇空港に到着。ビデオを回してクラスの生徒の様子を撮影する。

「やっぱ沖縄はあったけーな!」

「おお!沖縄だー!」

「来たぞ沖縄ー!」

生徒たちはテンションが高い。さすがに若い。いや、子供だ。颯太は・・・ほどほどにはしゃいでいるようだ。

 高校の修学旅行は班別行動が多い。なんと、4泊中2泊がそれぞれ民家にホームステイするのだ。つまり、颯太と同じ建物に泊まれるのは1泊目と4泊目だけ。そして、1泊目はあっという間に過ぎた。というか、次の日の班別行動の手配に忙しく、生徒たちと関わっている暇がなかった。食事の時にちょっとビデオを回しただけだった。颯太は、グレーのパーカーにGパンといういで立ちだった。普通の恰好をしていても、やはり可愛い。こっそりとスマホで写真を撮った。


 翌日、班別行動とはいえ、教師はじっとホテルで待っているわけではない。多くの生徒が訪れるポイントにいて見守る教師、あちこち見まわる教師、と役割分担をしてある。俺は見まわる方で、ビデオを回して生徒にインタビューをしたり、写真を撮ったりした。ひと所にいて待っていれば颯太も来てくれるかもしれないが、あちこち歩き回っていると永遠に会えない事がある。颯太の事ばかり撮ったらいけないな、などと考えていたのに、撮影するどころか全く会えない。いなくて心配になるくらいだった。お互い動いていれば会えない事もあろうが。

 そして、民家に泊まる事2泊。その次の日に生徒たちが続々と集まってきた時にはちょっと感動を覚えてしまった。可愛い生徒たちよ!お帰り!という気持ちが溢れる。

 4日目は、マリンスポーツ体験だった。カヌーに乗ったり、バナナボートに乗ったり、クラス単位で体験するのだ。うちのクラスはカヌーだった。二人ずつペアになって乗り込む。そして、けっこうな確率で転覆する。これも気を抜けない場面だ。

 が、水着だ、水着なのだ!うちの学校はプールがないので、生徒の水着姿を見るのはこの時だけ。いや、今まで何の興味も持っていなかったのだが、颯太の水着・・・と考えただけで鼻血が出そうだ。落ち着け、俺。深呼吸だ。考えても見ろ、自分も水着を着ているではないか。同じだ、同じ。だが、上半身の事を考えたら・・・胸が見え・・・はぅ、鼻血!

 上を向いて鼻血が出るのを阻止し、いや、鼻血が出た時には下を向いて鼻を押さえるんだった、という知識がよみがえり、下を向いたけれども実際には鼻血は出なかった。そうこうしているうちに水着に着替えた生徒たちが続々と集まってきた。とっさに目が颯太を探す。いた!颯太の水着姿!

 ああ、そうだった。マリンスポーツだから、上半身はTシャツを着ていて、その上からライフジャケットを着ているのだ。特別興奮するような事ではなかった。だが、俺は写真を撮った。もちろん颯太だけではなく、クラスの生徒たちをまんべんなく。

 カヌー体験が始まった。こわごわと乗り込み、濁流の中をいくつものカヌーが進む。インストラクターが教えてくれて、転覆すると助けてくれる事になっている。教師はただ見ているだけだ。なのでビデオを回す。颯太は、最初は顔がこわばっていたが、だんだんと笑顔が見え始め、結局転覆して、インストラクターさんに助けられていた。ああ、あの助ける役をやりたかった。

 水も滴るいい男たち。俺は一応水着を着ているものの、一切海には入らず、乾いた状態でみんなの前に立ち、集合をかけた。すると、何人かの生徒たちがいきなり俺のところに走ってきた。

「先生、カメラはここに置いた方がいいよ。」

と言われて、手からビデオカメラとスマホを取り上げられた。そして、颯太も含めた数人が俺の手を引いたり背中を押したりして、だーっと海の方へ。

 ザッパーン!

 船着き場のコンクリートから、二人に引っ張られ、二人から押されて、海に飛び込んだ。いや、落っこちた。生徒たちの笑顔に囲まれて、しかも、颯太もいて、俺はだいぶ嬉しかった。暑くもなかったし、濡れたくはなかったけれど、つまらなかったから。一気に楽しい気分になった。それでも、

「何すんだよー!」

とか言いながら、周りの生徒たちに思いっきり水をかけた。

「ギャー!」

笑い声と笑顔がはじける。俺は、陸へ上がれるところまで泳いで行った。

「先生、泳げるんだ?」

生徒たちに、驚いたようなどよめきが起こっている。

「当たり前だ。泳げないと教師になれないんだぞ。」

生徒たちの所へ戻りながら俺が言うと、

「それ、小学校の教師だけでしょ?」

もう高校生になると、いろいろ調べて知っているものだ。俺はただにやっと笑ってそいつを見た。その生徒の隣に颯太がいた。颯太が俺を見ている。最近、授業中もあまり見てくれないので、ちょっとドギマギ。

「あー、俺タオルがない!」

スマホとビデオカメラの元へ戻って気が付き、ついそう叫ぶと、俺の目の前にさっとタオルが差し出された。

「お?」

俺が振り返ると、なんとそこでタオルを手にしていたのは、颯太だった!

「使っていいよ。」

颯太はちらっと俺の目を見たが、すぐに目を反らし、そっぽを向いた。俺は言葉を失って、しかも動けなかった。颯太はもう一度俺の顔を見た。

「いいのか?」

俺が言うと、

「俺らがやった事だし。」

と言って、颯太は俺の体にぐいっとタオルを押し付けた。

「お前はちゃんと拭いたか?」

俺がタオルを手に取りながら言うと、

「もう乾いたよ。」

そう言って、颯太は去って行った。俺はそのタオルで顔と頭を拭いた。タオルに顔をうずめた時、いい香りがした。やばい、体に電撃が走った。急いで体全体を拭き、カメラと携帯を拾った。そして、もう一度集合をかけた。


 その夜、食事と入浴を済ませた後、最後の夜ということで、生徒たちはいつまでもホテル内をうろうろしていた。男子校だし、教師は特に何も言わない。ここは今貸し切りなので、他のお客さんはいない。度を越さなければ、騒ごうと移動しようと、寝ないでしゃべっていようと、かまわないのだ。

 教師も、生徒としゃべったり、一緒にロビーでトランプをやったりしていた。俺が入浴を済ませてロビーへ行き、空いているソファに座ると、早速クラスの生徒たちが5人くらい集まってきた。

「おう、お前たち、修学旅行は楽しかったか?」

俺がさっき買ってきた缶ジュースを開け、飲みながら話しかけると、俺も!と言ってみんなそれぞれ自販機で飲み物を買ってきた。教師も、さすがに仕事中なので酒は飲めないが、生徒と飲みながら話せるなんて、学校ではできない楽しみである。

「ホームステイが楽しかった!いろいろ話が聞けたし、こっちの話も出来たし。」

「俺はカヌーが楽しかったな。」

「先生の泳ぎが上手くて驚いた!」

などと言ってくる。

「何言ってんだよ、ちょっとクロールしただけじゃないか。」

俺が笑って言うと、

「でも、なんか泳ぎ方がかっこよかったよ!」

と言ってくれる。そこへ、また2、3人の生徒が通りかかり、加わった。なんと、その中には颯太もいた。全員座り切れないと思ったが、生徒たちはぎゅうぎゅう詰めて座った。颯太が最後に座ろうとして、俺の方を見た。生徒が俺との距離は詰めなかったので、割と俺の隣には空間があった。颯太はつかつかと歩いてきて、俺の左隣に割り込んできた。なんと!俺は頬がぽっと熱くなるのを感じた。

 颯太と俺、密着している!ここは、どさくさに紛れて腕を肩に回したりとか?いやいやいや、セクハラだとか言われたらヤバイって。でも、颯太が自分でこんなぎゅうぎゅうなところへ入り込んできたのだから、俺とくっつく事が嫌ではないのだからして。いや、俺が変なことしないと思っての行動だ。変な事したら、即刻嫌われるに決まっている。それだけは嫌だ。

「ああ颯太、タオルありがとな。家帰って、洗ってから返すから。」

俺は、ちょっとお尻をずらして、颯太との密着度合いを緩めた。

「うん。」

颯太が返事をした。

 しばらくみんなで話して、数人ずつ去って行った。颯太ともう一人の生徒が残った。さすがにもう密着はしていない。

「もう少しで消灯時間だな。お前らが守るかどうかは知らんけど。」

俺が腕時計を見て言うと、

「守らないよ。」

颯太がそう言ったので、見ると、じっと俺を見ていた。

 なんだ?なんなんだ?

「颯太、俺トイレ行きたいから、先に部屋帰るな。」

もう一人いた生徒が、そう言って去って行った。なんと、ここには俺と颯太の二人きり!ああ、もちろん別のソファには他に生徒や教師もいるけれど。そうだ、さっきの続き!

「消灯時間を守らないって、どういう事だ?寝ないで一晩中しゃべってるのか?」

俺が颯太に聞くと、

「先生は、どうしたい?」

颯太が聞いてくる。

あれ、なんだろう。ドキドキする。俺はどうしたいかって?俺は寝るよ、普通に。けれど、どうしたいかって聞かれたら、そりゃあ、ずっと颯太とこうして一緒にいたいし、出来ればもっと人のいないところで・・・って、そんな事言えるわけないだろうが!

 ―俺の部屋に来るか?―なんて、言えたらいいのに。何となく、今日の颯太はいつもと違う気がする。タオルを貸してくれたり、じっと俺を見つめてきたり。今も他に生徒がいなくなったのに、まだここにいてくれる。普段ならほとんど口をきいてくれず、二人きりになるとふいっと去って行くのに。俺はごくりと唾を飲み込んだ。

「颯太・・・。」

俺は名前を呼んだものの、次の言葉が出て来なかった。一緒にいたいよ、俺の部屋に来いよ、それしか頭に浮かんでこない。けれどもそんな事は言えるわけがない。

 そのうち、夜の10時になった。

「消灯時間になったぞー、自分の部屋に帰りなさーい。」

他の先生が、ロビーにいる生徒たちに声をかけ始めた。俺の事をじっと見ていた颯太は、ふうっと息を吐き、目を伏せた。そして、悲し気に、いや、恨めし気に俺を一瞥すると、

「俺、寝るわ。」

と言って立ち上がった。

「え?」

行ってしまう。ちょっと悲しくなりつつも、颯太を見送る準備をすると、急に颯太がテーブルに手をつき、ぐいっと顔を俺の顔に近づけた。

「お休み。」

睨むように俺を見て、一言そう言うと、もう振り返らずに行ってしまった。あれ、寝ないってさっき言わなかったか?寝るのか?

 もう一度、今のシーンを振り返る。どわっ!遅ればせながら赤面。顔と顔が、すぐ近くに!あわわ。なぜだ、どうしてだ、どうして颯太はあんな事をした?俺をからかった?どうして?それに、なぜあんな顔をしていた?恨めし気な、睨むような顔を?怒ってたってことか?どうして怒らせたのだろう。俺に、何を言わせたかったのだろう。

 俺は一人、修学旅行の最後の夜を、一睡もせずにただ布団の上に横たわって過ごした。何度も何度も、近づいてきた颯太の顔を思い出しながら。


 最終日。さすがに疲れたか、生徒たちは少々テンション低め。ビデオを回してインタビューして回ったが、行きと比べて笑顔半分。寝不足なのだろう。

 颯太は・・・。他の生徒と同様、テンション低め。笑ってもいない。見ていると、ふっと目が遭った。うわっ。俺は目を反らす。そして、もう一度見ると、もう颯太は俺を見ていなかった。

 今日はみんなで美ら海水族館へ向かった。ホテルから向かうバスは、みんな眠り姫。いや、眠り王子か?一番前に座っていた俺は、振り返ってこっそりビデオを回す。そして、当然颯太を探す。席は自由なのでビデオを回しながらゆっくり探した。

 俺は息をのんだ。颯太は起きていた。ある程度アップにして順に映していたら、颯太の顔が画面に映った途端、颯太がこっちを見たのだ。俺と目が合ったわけではないのに、ドギマギしてしまう。けれどもブレないように画面から目を離さず、一度録画を止めた。そして、画面から目を上げ、直に颯太を見た。どうした?眠くないのか?何を考えている?だいぶ席は離れているけれど、他の生徒はみな眠っているので、颯太と二人、しばらく見つめ合った。俺に何かを伝えたいのだと思った。俺が声を出したら、きっと生徒たちの多くは目を覚ましてしまうだろう。だから、無言で、ただ颯太を見つめた。

 バスが止まった。美ら海水族館に到着したのだ。生徒たちは次々に目を覚まし、伸びをしている生徒もちらほら。全員をバスから下ろし、水族館へ誘導した。

 

 大きな水槽の前で、生徒たちは思い思いに声を上げ、指をさし、写真を撮っている。俺は後ろから生徒たちを眺めていた。美ら海水族館も何度も来ているので、俺は主に生徒たちを見ている。同じ生徒と沖縄へ来ることは二度とないのだから、生徒たちを目に焼き付ける。

 すると、一人の生徒がこちらへ歩いてきて、俺の隣に立った。薄暗いので、近づくまで分からなかったが、それが颯太だった。

「颯太、どうした?」

俺は努めて優しく問いかけた。昨日からずっと、俺に言いたいことがあるのだろう?

「先生、俺さ。」

颯太はそう言って、また口をつぐむ。

「ん?どうした?」

俺が少し屈んで顔を覗き込むようにすると、なんと、

「俺、先生の事好きかも。」

と、言った。颯太が。颯太が!

 なんとー!俺は飛び跳ねたいほど舞い上がったのに、体は逆に固まった。颯太が、俺の事を好き?俺はどうしたらいいんだ?ああ、神様仏様ガンジー様、オオマイガ!

 はっ、待て。好きってどんな好きだろう。ただ、人間として好きという事で、恋愛モードの好きではないのではないか。だとしたら、変に動揺して取り乱したりしたら、大変な事になるではないか。生徒の「あの先生好き」とか「あの先生嫌い」とか、そういう会話はよくあるわけだし、颯太は今まで俺の事が好きではなかったけれど、やっぱり好きな先生かも、って思って、報告してくれただけかもしれない。教師として威厳を保たなければならない。そうだよ、他の生徒たちと離れているからと言って、こんな大勢人がいる空間で愛の告白なんてあるわけないではないか。だから、これは普通の好きであって、あまり舞い上がるべきではないのだ。ここは、なんと言うべきか?どんな態度をとるべきか?

「なんだ、今までは好きじゃなかったのかよー。」

俺は笑ってそう言い、颯太の頭をポンポンした。本当はがしっと抱きしめたいところだけれど。トホホ。

 颯太は、俺にポンポンされて、ちょっとうつむいた。薄暗くて、表情が良く分からない。そして、颯太は俺の方を見ずに向こうへ行こうとした。

「ああ、颯太。」

俺は慌てて声をかけた。颯太が振り返る。

「サンキュ。」

俺がそう言うと、颯太はちょっとニコッとして、そして他の生徒たちの方へ小走りに去って行った。

 今更ながらドキドキする。そして、すっごく嬉しい。教師じゃなかったら、たとえどんな意味で好きだと言われたのだとしても、俺も好きだ、と攻めて行くのに。いや、行きたい、行きたいけれど・・・やっぱり無理かも。情けない俺。


 修学旅行は無事に終了した。終わってしまった。これからは、颯太たちは受験生だ。そして、その受験生を受け持つ担任になる俺。浮ついた恋愛気分ではいられない。しっかりしろ、俺。颯太が卒業するまでは、俺は教師、担任の先生なのだから。

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