日本一小さな巨人 陸軍大将 児玉源太郎

胡志明(ホーチミン)

第1話 はじめに

明治末期に長州出身の児玉源太郎という「日本一の小さな巨人」がいた。


歴史好き、特に日本の近代史好きは彼のことを知る方は多いであろうが現代日本人、とりわけ太平洋戦争後に生まれた若い世代は学校の歴史の教科書でもあまり教えていないのであろうか、またはGHQの施した戦後教育の弊害である「自虐日本史」に慣らされているせいなのか彼の名前を知らない方が多いと感じる。


このことは児玉源太郎と同郷である山口県出身の若い方ですらそうであるのでその他の都道府県出身者の彼の認知度は推して知るべしであろう。


非常に残念なことである。


彼の活躍した舞台は戊辰・日清・日露戦争時の出来事であるが、わずか110年前の彼の成した偉業が正当な評価をもって現代の日本人に語り継がれなかったことは悪い意味での「奇跡」としか言いようが無いと感じる。


本書は児玉源太郎という人物が当時よちよち歩きであった日本国をロシアの南下政策の魔の手から逃れるために政財界に日露開戦の決断をさせ、難攻不落の旅順要塞を陥落させ、奉天大会戦においては名将クロパトキンに勝利して日本を窮地から救ったエリート軍人の側面と現代の台湾人をして親日家たらしめたエリート行政官としての彼の偉業についてもう一度スポットライトを当ててみたく思い筆を執った次第である。


極論をすれば歴史にIFは許されないことではあるが児玉源太郎がもし存在していない歴史があるとすれば我々日本人は今頃ロシア語を公用語としていたであろう。


そういう意味においては現代に生きる我々とは決して無縁の人物ではないと信じるものである。


ただ本書を書くために調べれば調べるほど児玉源太郎という人物は生涯、地位や名声を欲することなくまた財を成すことも極端に嫌った聖人君子に近い人物であることがわかった。


この極力スポットライトの下に出てこようとしない人物に焦点を当て現代の若い世代に知っていただく本書の趣旨がはたして彼の本望であるかどうかははなはだ疑わしい限りである。


現在周南市児玉公園にある彼の銅像に対峙した時に聞こえた「できればそっとしておいてくれないか」という源太郎の声が何度も聞こえてくる中の執筆となるであろう。



源太郎が名声を嫌ったエピソードである。


日露戦争が日本の勝利で終わり、ポーツマス条約が締結した後、東京・浅草の凌雲閣で開催された日露戦争写真展において児玉源太郎の写真がフランスの英雄ナポレオン・ボナパルトの再来と称されて「日露戦争・勝利の神様」と題して展示されていた。


その写真を食い入る様に見る軍服を着た人たちの集団にそっと「この写真の児玉という人間はそんなにじっと見つめるほどの偉い人ではありませんよ」と耳打ちした人物がいた。


写真を見ていた軍人たちがたいそうな剣幕で「何を言うか!貴様!」とその無礼を咎めたのである。


そして全員が振り返って見ると自分たちに耳打ちした人間が当の児玉源太郎本人だとわかって驚き、大いに恐縮したという。


児玉源太郎という人間は極論を言えば、まさに「弱小国日本を大国ロシアからの脅威から救うためだけに生まれたような男」でありまたその功に対しての評価や代償に関して他の軍人たちと異なり上記のエピソードのごとく生涯まったく無頓着であったと言えよう。


本書ではどこまで児玉源太郎の本質に迫れるかどうか、はなはだ自信は無いが彼の壮絶な人生を今一度反芻していただければ筆者としてこれほどうれしいことは無い。


あえてくだけた今風の言葉を借りると「超カッコいいヒーロー」の姿を痛感していただきたい。


かつて身長わずか150センチの「巨人」が絶体絶命の窮地に立たされた日本を救ったことを頭の片隅に留めていただければと願う次第である。

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