第15話 伝煌

 あれから数日が経つ。

 曇天は太陽の浮き沈みとともに流れていった。


 遠くに小さく映る馬頭の鬼。川でその栗毛色の身体に水を浴びせる虫ケラを、木々の隙間から銃口が睨んでいる。


 ゆっくりと静かな呼吸は自然と、その銃身を支える身体を環境に馴染ませていた。

 精神が大気と一体になれば、絶対に外さない。

 その感覚がある間、彼女は類い稀なる才能を発揮するのだ。



 三本の砲煌が風を切って放たれる。


 一射目で両目を潰し、続く二・三射目が吸い込まれるように両の膝へと突き刺さる。



 大きな水飛沫がキラキラと陽光に照らされ輝いた。


 小さく見えたその巨体が水面に倒れたのだ。


 鬼からすれば、目の前が急に真っ暗になり、膝から下の感触がなくなった。そのように感じられる挙動である。




 馬面の鬼は恐怖をその顔に表し、ピンと両耳を立てている。


 川のせせらぎ、木々のざわめき、虫の鳴き声。


 鬼はその呼吸を落ち着かせ、川底に栗毛色の両腕を立てては、ゆっくりと上半身を水面から持ち上げた。


 バシャンとまた水飛沫が宙を舞う。


 両肘から下の感覚が途絶えた。

 その支えを失った身体はまた水面に落ちる。


 馬面の鬼はバタバタと、まるで陸に打ち上げられた魚のように、浅い川で跳ねていた。




「これで、下準備は完了ね」


 豊月は先ほどまでの集中を解き、鷹丸と晴姫に笑顔を向けた。


 あっという間に一体の鬼を無力化するその煌術に鷹丸と晴姫は言葉が出ない。


 鬼の強さと煌の許容量。それは相関の関係である。あのように一発の砲煌で、手足の一本を機能不全にできるということは、彼女の煌もそれだけ強いと言うことだ。


「あんなに正確な砲煌を初めて見ました……」


 そして、さらに恐るべきはその精密射撃だ。

 動く標的、砂粒のような目玉を一発で撃ち抜く技量はどれほどの修練を経て得る事ができるのか想像もつかない。


「格上には通用しない。咄嗟の状況では狙っている暇もない。こんなもの、ただの曲芸さ」


 自身を蔑むように豊月は鼻で笑った。




 三人が鬼の目前まで来る頃には、川は穏やかに流れていた。

 馬面の鬼は動く事なく、その水流に身を委ねている。


「晴姫様。準備は良いですね?」


「はい」


 晴姫は鬼の前に立ち、錫杖しゃくじょうを構えた。



 「煌を解放するのと同じように、伝える先へとその気配を導いてください」


 右手から、手に持つ錫杖に流す意識。伝える意識。


 錫杖の音が彼女に教えてくれている。山間の町を出てからずっと、それを聞いていた。

 自身の煌をどこまで伝えれば良いのかは手に取るように彼女にはわかる。


「鷹丸。見ろ。これが本当に伝煌か?」


 豊月と鷹丸はその姿に見惚れていた。



 眩い黄金が錫杖に覆い被さった。その光の強い輝きで、掴むその手すら隠れてしまっている。


 それはまるでいかずちのようであった。

 大気すらも穿うがつような荒々しい煌が、ただの錫杖を迅雷に変えてしまった。


 晴姫はそれを大きく振りかぶる。


 馬面の鬼は目を潰されているにもかかわらず、その脅威を感じ取っていた。

 途端に大きく蠢き、水飛沫を撒き散らす。

 必死の抵抗。水飛沫による目眩し。


 だが、晴姫には意味をなさない。



 シャンッ!!


 強く鳴った錫杖の音。

 そして次の瞬間。



 光は波動となり弾け飛んだ。


 音も振動もない閃光のみの爆発が森を抜ける。



 その光を追ってポチャンと、三人の耳に小さく届く。

 黒い石が川底へと沈んでいた。



「鷹丸様! 豊月様! 私、やりました!」


 快晴のような笑顔を二人に向ける。

 初めて、鬼を封じる事ができた。

 その感動と喜びがその声に表れている。


「私の一年が、もう追いつかれてしまいましたね!」


 鷹丸の言葉に、さらに晴姫は飛び跳ねるように笑った。




 三人は森を抜けた。


 目指す先は武蔵国との国境付近。

 そこに天狗が指定した一体目の鬼がいる。


 鷹丸は晴姫の手を握り歩いていた。

 そんな二人を豊月は後ろから眺めている。

 そして、彼女はふと思いふけるように視線を空へと移すのだ。


 羊雲がゆっくりと空を渡っている。

 ただ、それだけの景色。


 豊月は頭の中の何かを追い出そうと首を横に振ると、ゆっくりと息を吐いた。


 視線は前に。

 長い髪を掻き上げ、何事も無かったように、二人の会話に混ざるのだった。




 *


 日暮前に宿につけば、晴姫は豊月から煌術の指導を受け、また早朝になれば鷹丸から歩法や錫杖の振り方の指南を受ける。


 そんな生活の中で、彼女の心は満たされていた。

 誰かを守るための第一歩を踏み出せたからだ。


 そして、彼女に触発された鷹丸も豊月から熱心に煌術を学び始めた。


「強い武人は総じて煌が弱いものだ。それは仕方がない。だが、お前は自身に秘める煌と向き合いきれていないような、そんな印象を受ける。だから、小鬼しか封じる事ができないのだと思う」


 豊月は彼の目を見つめそう語る。


 その言葉に鷹丸はハッとさせられた。

 原因はきっと、内なる鬼への意識だ。

 確かに煌術の修行をしていた当時は、常に餓鬼に怯えていた。潜む力を恐れていた。


「だから私は、内に秘める煌の解放に半年も費やしたのですね……」


「きっとな。だからもう一度、自身の煌を意識するところから始めないか?」


 晴姫と出会ったあの日に勇気を貰えた。人間であると教えてもらえた。

 あの時の自分とは違う。その思いが鷹丸の意識を変えた。


 もっと強くなりたい。そう心から思っていた。



 だが、これ以上の時間を費やし、訓練をしてはいられない。

 こうしている間にも、鬼は人を喰らい強くなっているはず。


 故に、三人は歩く速度を落としたりはしなかった。



「天狗の話だと、ここら辺だな」


 そこは山林の中にぽっかりと空いた窪地であった。その縁を沿うように細い道が伸びている。

 近隣の町は鬼に心当たりがないと言った。

 そこに常駐する封師も同じだ。


 あの天狗が間違えるとは思えない。

 きっと何かあるはずとその封師達には何も言わず、ここまでやってきたのだ。



「前方から煌の気配です!」


 晴姫はその細い道の先を指差している。

 少し進んで見えてきたのは、もう一つの窪地であった。

 先ほどよりもさらに深いが、一回り狭いその空間。その中心を晴姫は指していた。


「豊月様! あれは……?」


 そこには女の子がひとり、倒れていた。水色の着物は土で汚れ、おかっぱの髪に砂が被っている。


「だいぶ弱っていそうだが……。これは明らかに……」


 鷹丸と豊月はその不可思議を察していた。


 これ見よがしに窪地の中心に倒れる子供。


 鬼が罠を張っている。

 生き餌を使い、人間がかかるのを待っている。


 知恵のある鬼が近くにいるはずだ。


 三人はすぐに一つの決断でまとまった。

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