第3話 二人

「あなた様は鬼なのですか……? それとも……」


 起き上がった青年に、恐る恐る娘は尋ねた。

 彼女の表情に不安や恐怖はなく、こちらを思いやる心配だけを見せている。だが、それでも聞かずにはいられない。そんな様相。


 青年はこの娘を安心させたい。そう思ってはいたのだが、中々答えられずにいた。


「私は……」


 青年は言いかけた言葉を飲み込んだ。

 人だと答えたかったが、そう言い切ることができないほどに、青年は人の死を背負い過ぎている。

 答えられずにいるその心情を察してか、彼女は口を開いた。


「私は目が見えません。そのせいかは分かりませんが、人と鬼の気配を区別する事ができます。今の貴方様は紛れもなくです」


 青年は、この強く放たれた言葉に揺らぐ気持ちを形容できないでいた。

 だが、その感情が現実と向き合う勇気を青年に与えたのだ。


「わかる範囲で構いません。私がどうなっていたのかを教えてはくれませんか?」


 自身に巣食うこの厄災を、討つ手立てがないのかと探す決心を青年はしたのだ。


 少女は記憶を捻り出すように語ってくれた。自身が経験した恐怖を掻い潜りながら事実を語る。


 牛鬼の攻撃によって青年が木に叩きつけられた後、禍々しい鬼の気配が青年から溢れ出てくるのを感じた。

 それが異変の表れだった。そして、その気配が大きく膨れ上がると耳をつん裂くような咆哮が響く。そこから先は人なのか、鬼なのかもわからない恐怖の音だけがあった。


「その悪鬼は私に触れることができませんでした。ただ恐怖におののき震えている私を襲うために、目の前の何かをただひたすらに壊そうとしていたのです。それが何かはわかりません。ただ、それが壊せないと知ると肉や骨、木や石を貪り食べる音が聞こえてきたのです。」


 その音が止むと次第に気配は薄れ、元の青年の気配だけが残ったのだと彼女は言う。


 青年は驚いた。それは彼女があの鬼を退けたという事だけではない。彼女がその力に無自覚な事も含めてであった。

 盲目である彼女は自身が纏っていた膨大な光を見る事ができないのだと、青年は理解した。


「その何かは、コウというものです。封師が鬼を封じるために用いる神秘の力とでも言うべきでしょうか」


「私には、その煌があるのですか?」


「あるなんてものではありません。煌を発するだけで鬼を寄せ付けないだなんて……」


 青年にとって、それは前代未聞だった。封師達は、誰しもに備わる煌を武とするために特殊な訓練を重ねる。

 鉄鉱を刀にする事を封師と例えるなら、この娘は鉄鉱の状態で鋭い切れ味があるようなものだ。


「それでも、私は人に襲われます……。お父様もお母様も守れませんでした……」


 娘は涙を見せた。鬼を退ける事ができても、盲目の自分はあまりにも無力と泣いている。


 両親の遺体は無惨にも、内なる鬼に食い荒らされている。

 娘はきっとそれも理解している。彼女の優しさと、悲惨さに青年の心は沈む。


「あなたを安全な場所に送り届けないと……」


 ポツリと意識から漏れ出すように青年は言った。この善良な娘を、悲しみに暮れている彼女を助けなければならない。自分は救われたのだから。そう青年は決意した。


「ありがとうございます……。でしたら、近くに鬼灯ホオズキ城がございます。私達はそこから故郷に戻るつもりでした……。お礼もできるかと……」


「お礼はいりません。もうすぐ日が沈みますから、明日にでもその鬼灯城に向かいましょう。それにまずはご両親を埋葬して差し上げないと……」


「なんて優しいお方なのでしょう。何から何まで本当に……。あの! お名前を! お姿を見る事は叶いませんが、お名前は一生忘れません!」


 青年は鷹丸タカマルと名乗った。


 青年も娘に名前を聞き返す。

 娘は晴姫ハルヒメと名乗った。



 *


 牛鬼うしおには、他のものには目もくれず、ただひたすらに走っていた。

 既に日は沈み、真っ暗な森。木々にぶつかってもなお遁走し続けている。


「ナンデ ナンデェ!?」


 殺したはずの人間から、禍々しい気配が溢れ出したのだ。即座に身体は逃げろと叫び、それからずっと、その警告は止まらない。


 死はまだ近い。もっと遠くへ。どこまで行けば良い。どこまで行けばこの恐怖は消えて無くなる。


 そんな思考に苛まれ、牛鬼は気がつけば森を抜けていた。


「ア……。ァア!?」


 眼前の光景にその瞳は揺れ、自然と口が開く。鬼は自身の犯した失態に立ち尽くしてしまった。

 そこは、ずっと近づこうとすらしなかった場所。牛鬼にとってのもう一つの恐怖の象徴であった。



 月夜に照らされた城が夜空に聳え立っている。丘を利用した城郭都市であり、高い木製の壁がそれを囲っている。


 ハッとして牛鬼は足元を見た。

 そこには鬼灯が咲いている。


 いや、足元だけではない。壁までの見える範囲全てを侵食するようにその花が咲き誇っている。


 その城はまるで、鬼灯の海に浮かぶ孤島。

 牛鬼はその波打ち際に立っていた。


 牛鬼はそっと後退りをする。自身の身体が、この鬼灯を踏んではならないと警告を出していたからだ。だが、それが杞憂であることをすぐに理解する。


 月の真下を占拠する天守閣から、何かがこちらを睨んでいる。そんな、確かな気配を牛鬼は感じていた。あの天守閣そのものが一つの目なのではと錯覚するほど大きな気配。


 だが、幸いにも距離がある。逃げるのには十分だ。



「良い夜だね」


 不意に背後からかけられた優男の声。牛鬼は急いで振り返った。


 いつのまにかそこには、純白の公家衣装に身を包んだ細身の男が立っている。真っ白な足袋たびに真っ白な手袋、顔や頭の一切も白い頭巾に覆われている。その白い布が身体とでも言いたげに、肌の露出は一切ない。


「言葉、わかるでしょ? 良い夜だね」


 牛鬼は絶句していた。さっきまで天守閣にあった気配が消え、それが目の前にあるからだ。


「知ってるよ。君、これまで一切ここには近づいてこなかったよね? 何かあったの?」


 牛鬼は絶句したままだった。言葉を出そうにも、なぜか詰まって出てこない。

 背後では鬼灯の海が風に揺れ、さざめいている。


 白の男はそんな様子を眺めている。


「良い風に、良い月。鬼灯も美しい」


 穏やかに話す白の男だが、悪戯にずっと殺気を放ち続けている。まるで、牛鬼が恐怖している事を楽しんでいるかのように……。


 すると急に、白の男は一歩前に踏み出した。牛鬼は完全に不意をつかれ、咄嗟に一歩後退りをしてしまう。


 そこで気づくのだ。自身の足の下で潰れる鬼灯に。


 確かに、身体は踏んではいけないと警告していたはずなのに。


「チガ……。チガウゥ!!」




 気がつけば、牛鬼の身体には無数の穴が空いていた。月明かりや夜風がその穴から抜けていく。


「やっと喋ったよ」


 牛鬼だったものは崩れ落ちた。

 流れる血は鬼灯を、さらに紅く染め上げる。


 男はゆっくりと振り向いた。白い頭巾の奥にある目はじっと森を見つめている。


 そしてすぐに、その姿を消した。

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