映画と小説 2019-2021

早藤 祐

第1話 「人生はシネマティック!」死に意味はない/では何が死に意味を与えるのか

映画「人生はシネマティック!」(2017)

 原題は「Their Finest」。第二次世界大戦勃発。ポーランドへのドイツの電撃侵攻。英仏がポーランドと結んでいた条約に基づく開戦と当初交戦が少なく不活発だった「奇妙な戦争」期間が終わり中立国ベルギーなどを蹂躙してアルデンヌの森からフランス北部へ電撃侵攻で均衡が破られた。そしてダンケルク撤退とフランスの脱落した後のロンドンで物語が始まる。絵描きの新妻カトリンがあるきっかけで映画の世界、脚本家へと足を踏み入れて同僚に教わりながらダンケルク撤退戦であったあるエピソードを元にした映画制作に関わっていく。


 原作はリサ・エヴァンス『Their Finest Hour and a Half』(未訳)。原作タイトルはシェイクスピア「ヘンリー五世」引用の上で映画の一般的な尺を意味する「1時間半」を足している。

「ヘンリー五世」聖クリスピンの演説は決戦を目前に王が将兵に「ここに集いた幸いなる少数、勝って後の世に語り草になり最良の時代だったと言わしめるのだ」と士気を鼓舞したもの。チャーチルもダンケルク撤退の成功を受けての演説の中でこのセリフを引用して「今この時こそ後の世に最良の時だったと言わしめよう」と訴えている。そしてカトリンたちの作る映画もまた俳優、スタッフの最良の時を切り取って生まれたものなのだ。


 この映画、何回か観ているのですが何が自分の心を捉えて離さないのかと考えると主人公のカトリンを通じて取材、脚本開発、ロケ撮影、スタジオ撮影、試写と上映まで映画作りを一通り描いていて、その中で恋愛や様々な障害が出てきて知恵と工夫で乗り越えて行こうとするだけなら仕事と恋の普通の物語に過ぎない。それが特別なものになったのは死を重要なテーマとしているから。

 劇中で様々な死がまるでランダムに生者を選んで死を与えて行く。爆撃、交通事故、倒壊事故など起きる。

 カトリンの先輩(事実上の師匠)の脚本家は死に意味はないという。だから人々は死に意味を与える物語である映画を望むのだという。この時、カトリンはまだ意味を理解していない。

 カトリンは終盤に運命のいたずらで生き残る。その事で耐えきれないような衝撃を受け挫けて映画の仕事からも離れた。

 その挫折から再び立ち上がるきっかけになったのは彼女の才能を認めた人の言葉であり、彼女が加わって出来た映画を見て「私たちの映画」と認めてくれた人の声だった。そして劇中映画の最後に監督の配慮なのかカトリンが愛する人と戯れているモブカットを入れてもらえていた事を知る。

 劇中、挫けていたカトリンに対してこの作品自体が「まだ君には映画があるじゃないか」と問いかけている。「君はまだタイプを叩ける」「君に期待して待ってくれている人たちがいる」「君はもう一人でも脚本家としてやって行ける」……彼女が愛した人はきっとそう彼女に願ったはずだと思わせるものがある。

 そして彼女は自身の足で再び歩き出す。彼女の手元に残された思い出のタイプライターが言葉を紡ぎ出して物語と人生は続く。


 筆者は本作が好きでこの作品に触発されて「私達の最良の時/私達は幸いなる少数」を書いた。大学生バンドが映画の世界に関わり、そしてそこで起きるある運命とその後を描いた。彼女たちが「死」に物語的な解釈を求め、そして音楽だけが時間を超えてつながることが出来る唯一の手段に変わってしまう。だからこそ演るんだよ、そんな物語になった。

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