第11話 クラッシュ

 課の招集が解かれた後、僕は自分のマンションの一室に帰って頭を冷やすためにシャワーを浴びた。熱いシャワーと冷たいシャワーを交互に浴び、纏まりきらない考えを必死に整理した。

 シャワーを浴び終えると、僕は静かに部屋を出た。

 

 自動操縦のレンタカーで「ゴッサム」を抜け、そこから港区画に入る。レンタカーを乗り捨てて専用路を抜けると、そこはコロニー最大の港――「ポート・8」。


 宇宙港は無重力エリアで、少し体を浮かすだけで宇宙遊泳を味わうことができるけれど、大抵の人は重力のある空間と変わらず、地面に両足をつけて歩いている。

 宇宙港内部の極端に角のない湾曲した内部を進みながら、僕はロビーを抜けて格納エリア向かった。

 

 格納エリアとは、宇宙船が係留されている格納庫群を指し、それぞれの船の大きさによってエリアが別れている。大型の戦艦クラスから、大勢を乗せるためのクルーザークラス、そして個人所有の小型艇クラスまで――宇宙船は「キュービック・ハンガー」と呼ばれる係留方式で格納されており、ハンガーは宇宙に出る際に直接滑走路へと繋がっている。簡単に説明すると、観覧車のゴンドラの要領で格納庫自体が港の中を移動しているのである。


 僕は格納エリアのロビーで目当ての格納庫を呼び出し、そして格納庫の中に入った。

 格納庫の内部には、係留された小型の宇宙艇があった。

 課の所有する宇宙艇――「ラプター」。


 宇宙空間だけでなく重力圏でも航行可能な小型の輸送機であり、垂直離陸を可能とする可変翼をもった多目的宇宙艇。洗練とされた流線型の黒いボディに、団扇うちわのように丸い可変翼が両脇に備えられ、高いステルス性能に加えて各種武装も装備している。

 

 このラプターが、僕が「ポート・8」の格納庫を訪れた理由。

 この宇宙艇があれば、僕は火星まで向かうことができる。

 

 エルに説き伏せられ、理不尽を受け入れろと言われたけれど――僕はどうしてもこの理不尽を、宇宙の道理を受け入れることができずにいた。

 これが命令無視の単独行動であり、僕自身だけでなく課の存続をも危険に晒していることは分っていた。僕が下手を打てば、課の存在が公に露呈し、課の解体だけでなく、課に所属しているメンバーの糾弾も免れない。


 それでも、僕はただじっとしていることなんてできなかった。


「遅かったわね」


 操縦席のドアを開けると――助手席にはアリサが腰を下ろしていて、呆れたように僕を見て言った。


「アリサ、どうして?」

「バッカじゃないの? アンタの考えていることなんてお見通しよ。どれだけの付き合いだと思っているのよ?」

「そりゃ、長い付き合いだけど――」

「どーせ、自分の部屋のグダグダと考えた後、結局、何も決まらなくて、とにかく火星に行かなきゃって――助けに行かなきゃって思ったんでしょ?」

「それはそうだけど、でも、どうして?」

 

 僕は、胸の内をズバリ言い当てられてたじろいだ。アリサがこのラプターに乗っているなんて考えもしなかったからだ。

 僕はものすごく戸惑って、混乱していた。


「アンタねぇ――シロウ一人で、この状況をどうにかできるわけないしょう。私が支援しないで、誰がアンタを支援するのよ?」

 

 そう言ったアリサは、すでにタクティカル・スーツを身に纏い、その上から赤いレザージャケットを羽織っている。作戦参加時の完全装備だった。


「いいのか?」

 

 僕が言うと、アリサはぎろりと目を剝いた。


「正直、メチャクチャ怒ってるわよ。私に相談もなしに一人で火星に行こうとするなんて。一言ぐらい言いなさいよ。それに、この期に及んで――いいのか? ですって?」

 

 アリサが声を荒げて続ける。


「いいわけないでしょう? アンタは何やってるのよ? こんなの無駄よ。たんなる自己満足じゃない? せっかくの職場も、これでクビよ。クビだけで済めばいいけど――最悪犯罪者として牢獄送りよ」

「じゃあ、アリサだけでも残ってろよ」

「それができたら、そうしてるわよ――」

 

 叫ぶように言いながら、アリサが僕の頬を叩いた。

 頬の痛みはなかったけれど、僕の胸は強く痛んだ。


「私たち、たった二人だけの生き残りなのよ? 私とシロウ、いつだって二人で助けあってきたじゃない? だから今回も、私がアンタを助けるのよ。今までだってそうしてきたし――これからだってそうする。いつだってそうするのよ」

 

 アリサのその言葉を受けて、僕の胸は痛みではなく別のものを感じていた。

 あたたかな何かを。

 

 僕とアリサの二人で、今日まで生きてきた。僕たちの暮らしていた木星のコロニーが消えたあの日から、今日まで、必死に生き延びてきた。長い時間を、僕たちは助け合って生きてきた。

 もしもアリサに何かあったら、僕はどんなことをしても彼女の力になろうとするだろう。

 それがたとえ間違ったことだろうと。

 犯罪だろうと。

 

 今までだってそうしてきたし、これからだってそうする。

 彼女の言う通りだ。


「言っておくけど、私はこんなことやりたくなんてないんだからね? アンタがバカだから、仕方なく付き合うだけなんだから」

 

 指を突きつけて念を押すアリサに、僕は「分った」と頷いた。


「ありがとう」

「帰ってきたら、一か月昼食おごりだからね」

「ああ」

 

 そうして火星に向かおうとした、その時――


「おいおい、アリサ――やりたくもないことを、いちいちやるなよ。お前がシロウを説得してくれると思って、俺は期待してたんだぜ?」

 

 格納庫の隅から声が聞こえ、視線を向けると、そこには豹のような身のこなしの男が――

 フー・ランフェイが立っていた。


「フー、どうして――何時からそこに?」

 

 僕が驚いて言うと、フーは肩を竦めて面倒くさそうに口を開いた。


「エルに、お前を見張るように命令されたんだよ。良かったなジャパニーズ、俺のおかげで懐が寒くならなくて済むぜ?」

 

 フーは軽口を言いながら、ゆっくりと僕に近づいた。


 音もしない歩方と、落ちる木の葉のように軽やかな身のこなしを見ただけで、フーがすでに戦闘態勢に入っているのが分った。交渉の余地が一切ないことも含めて。即座に格納庫の現在の状況を確認すると、発進シークエンスに入るまでにはまだ大分時間があった。


「おいおい、下手な気は起こすなよ? 俺は別にお前とやり合いたいわけじゃない」

「分ったよ」

 

 僕は両手を広げて宇宙艇から離れ、アリサもそれに続いた。

 僕たちはフーと向かい合った。


「よしよし、素直でよろしい」

 

 フーは僕たちの行動を見て満足げに頷いた。


 僕とフーの距離が近づき――そこで僕は行動に移った。

 僕は地面を思いきり蹴り、無重力の勢いのままフーに向かって左の回し蹴りをお見舞いした。フーの尖った顎に向かって一直線に。一撃で気を失わせることを目的として。


「――ッ」

 

 しかし、フーは予め僕の動きを読んでいたかのように、腕を上げて僕の蹴りを防ぐと、防御に使った手を即座に返して足を掴み、思いきり自分の方へと引き寄せた。


「まぁ、こうなるだろうな――」

 

 そして、引き寄せた反対の掌を僕の鳩尾みぞおちに叩き込んで、僕を後方へと吹き飛ばした。僕は回転する体を上手く制御して停止した。

 フーの強烈な一撃で上手く呼吸ができず、一瞬気を失いそうになった。


「はぁ。シロウ、最後の忠告だ――」

 

 フーは溜息を吐いて続ける。


「無駄なことは止めて、さっさと投降しろ」

「嫌だって言ったら?」

「まぁ、やり合うだけだな。だけど、未だに戦闘員扱いじゃなく作戦補佐扱いのお前が、俺に勝てる訳ないだろ? 俺は、こっちが本業だぜ? 生まれてこの方――汚れ仕事だけをこなしてきた」

「黙ってろクソチャイニーズ野郎。今日こそ、お前の凹凸のない顔を凸凹にしてやるよ」

 

 僕が気を吐くと、フーは口の端を吊り上げた。


「いいぜ。分った。相手してやる。だけど腕の一本――骨の二、三本は覚悟しろよ?」

 

 言いながら、フーは拳法家独特の構えを取った。

 広げた右掌を前に付きだし、利き手である左手は腰よりもわずかに高い位置に置かれている。発頸はっけいと呼ばれる不思議な技で、外傷よりも体内に直接ダメージを与えることに特化した技の構えだった。


「アリサ、お前は手を出すなよ? 女を殴るなんて後味の悪いことはさせてくれるな」

「分ってるわよ。私だって乗り切って訳じゃないんだから、アンタがシロウを止めてくれるなら、それに越したことはないわ」

「よし。これで心置きなくやれるな。こいよ、ジャパニーズ――」

 

 フーが付きだした右手をくいと曲げて手招きをした。

 その挑発には乗らず、僕は拳を構えたままフーの隙をうかがった。

 

 正直な所、近接戦闘で僕がフーに勝てる可能性は微塵にもない。

 先ほどフーが言った通り、僕は正規の戦闘員と言う単位ではカウントされておらず、現場では戦闘員の補佐を行う準戦闘員扱い。そして、全ての戦闘訓練の結果で、僕はフーを下回る。

 圧倒的な実力差が、僕達の間にはある。

 

 うちの課のコンセプトは――各方面のスペシャリストのみによって構成された少数精鋭の実行部隊。その実力は、それぞれが持つ技量スキルを象徴する「ライセンス」という形で評価される。

 

 エルのように捜査の指揮を執り、優秀なリーダーシップを発揮する「オフィサー」。マロウは、豊富な戦闘経験と戦術眼を備えた「コマンダー」と、そして化け物レベルの狙撃能力をもつ「スナイパー」の「ダブル・ライセンス」。工兵としての能力を十全に活かす「クラフター」のボッツ。高度なハッキングスキルを持つ「ハッカー」のアリサ。

 それぞれが、スペシャリストとしての「ライセンス」を持つに相応しい経歴やスキルを備えている。

 

 そして、フーは潜入や暗殺を生業とする「スイーパー」のライセンスを持ち、対人戦闘や近接格闘で僕が敵う訳もない相手だった。


「どうした、さっさと来いよ――」

 

 フーは言いながらゆっくりと円を描くように歩を進め、そして少しずつ円を狭めるように僕に近づいてきた。

 得意の刃物を使う様子はなかった。

 僕も武器を使うつもりはない。


 暗黙の了解として――互いに武器の使用はせず、タクティカル・スーツの補助も無しという条件が出来上がっていた。スーツの補助があれば、攻撃を受けた際にスーツを硬化させてダメージをスーツ表面に逃がすことができる。それだけじゃなく、銃弾の貫通をも防ぎ、高所からの落下のダメージを軽減することもできる。

 しかし、僕がスーツの補助を使えば、フーは即座に武器の使用を決断するだろう。


 どの道、分が悪いことには変わりがなかった。


「行くぜ?」

 

 そう言った瞬間――フーは僕の視界から消え、気が付いた時には身を屈めた状態で僕の懐に入っていた。そのまま、屈伸の要領で体を持ち上げると、僕の顎に掌底で一撃を見舞い、続いて体の浮いた僕を地面に叩きつけるようにかかと落しを放った。


「――がはっ」

 

 勢いよく地面に叩きつけられた僕に、フーは止めとばかりに鳩尾に掌底を打ち込んだ。


「ごふっ」

 

 僕は意識が切断されるような痛みともに、血を吐き出した。

 まさに、一瞬の出来事だった。


「さぁ、これで気がすんだだろ? 黙って寝てろ」

 

 僕は必至に意識を保ちながら、僕を見下ろすフーを睨みつけた。

 視界は歪んで滲み、フーの姿が二重三重にブレていた。


「おいおい、何をムキになってやがる? あの求職者に惚れた訳じゃあるまいし、いい加減頭を冷やせよ」

「僕のミスせいで、彼女は人身売買のターゲットになったんだぞ。黙って見過ごせるわけないだろ」

「シロウ、あれはお前のミスじゃない。お前が仕事を回したエージェントのせいでもない。ただ、そうなるようにシステムが出来上がっていたんだ。どうしようもいことだった。だから、お前が気に病む必要もない」

「そうかもしれない。システムなんていうクソったれのせいかもしれない。でも、今ならまだ間に合うかもしれないんだ。頼むフー、僕に仕事をさせてくれ」

「ダメだな。悪いが、このまま連れて帰るぜ」

 

 フーが首を横に振り、僕にもう一撃を与えようとした時――


『――仕方ないわね。シロウ、一瞬だけ時間を稼ぐわ』

 

 iリンクを通じてアリサから通信が入り、僕は即座にその意味を理解した。


「くそっ、アリサか?」

 

 フーの体が突然ふらつき、僕に打ち下ろそうとした掌底も力の入りきらない半端な攻撃へと化した。

 その瞬間を逃さず、僕は突き降ろされた左腕を両手で受け止め、その腕を引くとともに体を持ち上げてフーの首元に飛び付いた。両足をフーの首に絡め、左腕と共に締め上げる。三角締めの要領でフーを地面に転がすと、そのまま馬乗りになってフーの眉間に銃口を突きつけた。


「おいおい、さすがにこれは反則だぜ?」

 

 視界と思考を取り戻したフーが、自分の状況を確認してやれやれといった感じで口を開く。


「アリサ、お前はやっぱりシロウに対して過保護過ぎるんじゃないか? これは男同士の勝負だぜ」

「私は手を出してないわよ? ただアンタの脳みそを揺らしてやっただけよ。手を使わずにね」

「違いない」

 

 フーはにやりと笑ってみせた。

 

 iリンクを使ったハッキング――通称「クラッシュ」。

 大容量のデータを送りつけることで相手の思考をパンクさせ、まるで脳を揺らされたような状態に陥らせる。僕たちのようにコンタクト型のiリンクを使用している場合、視界に大量の画像データが流し込まれるため、視界が塗りつぶされ眩暈がしたような状態になる。

 

 フーはまだ頭がくらくらするのか、視点の定まらない目で僕を見た。


「シロウ、まぁ、お前の勝ちってことにしてやる」

「すまない、フー」

 

 僕は突きつけた銃を下ろして、フーをどうしようかと思案した。


「さっさと縛り上げて格納庫の隅にでも放置しておきましょう」

 

 アリサが物騒な提案をして、フーがぎょっとした。


「おいおい、俺にだけ手厳しすぎるだろ。なぁ、シロウ――俺もつれてけよ」

 

 その以外すぎる提案に、今度は僕とアリサがぎょっとした。

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