第5話 青い時ー1

「ねえねえ、君が管理課のトキちゃん?」


 管理課の部屋が並ぶ二階の廊下を歩いていると、行く先に仁王立ちしている女の子がいた。短めの丈の赤い袴を着て、室内だというのに頭には笠をかぶっている。

 トキよりも背が小さく、にっこりとトキに笑いかける様子から、可愛い子というのが第一印象だった。


「はい、あたしがトキです」

「やっぱりそうだー! ずっと会いたかったんだ。同期の子に!」


 彼女はトキと握手をすると、ぶんぶんと勢いよく上下させた。突然のことにトキはされるがままだった。


「同期、ですか? あたしが本部の中で一番新人だって聞いたんですけど」

 揺られながらトキは彼女に問いかけた。すると、彼女はぱっと手を離し、にっこりと笑った。


「あたしは十年くらい前に本部に来たんだ」

「じゃあ先輩では……?」

「たった十年だよ。付喪神にとってはすぐでしょ? ほぼ同期、ね! 年数も近そうだし」

「なるほど。そうですね」

 トキが頷いたにも関わらず、彼女はぷくーっと頬を膨らませた。


「同期なんだから、敬語だめ!」

「え、でも……」

「あたしは、警備課のあおい。葵ちゃんって呼んで」


「管理課のトキです。よろしくお願いします。葵さん」

「だーめ。あ・お・い・ちゃ・ん!」

「……あ、葵ちゃん」


 少し顔を赤くしながらも、笑顔の圧力に押し負けてトキは葵を呼んだ。葵はぱあっと顔をほころばせた。


「嬉しいー。トキちゃん!」

 葵の表情を見て、トキ自身も嬉しくなってきた。年数的にも、本部の歴でも、年上しかいない管理課とは違う同級生のような感覚は、初めてでなんだかくすぐったい。


「えっと、あたしは懐中時計なの。葵ちゃんは?」

「かさだよ!」

「笠……?」


 トキの視線は葵の頭の上に釘づけである。その視線に気づいた葵は、違う違うと言って顔の前で手を振って笑った。


「こっちの傘だよ」


 くるりと背中を向けて、刀のように斜めに背負った傘を見せた。大半が深い赤色、臙脂色で、柄に近い部分が黒い。開くとぐるりと外側に黒い帯があるようなデザインなのだろうと推測出来た。


「傘! そっちかー」

 普段はしない砕けた口調にトキは自分で自分の口を押えた。


「うんうん、それでいいんだよ。トキちゃん可愛いー」

「うん。ありがとう」

 トキはふにゃりと笑い、まだ慣れないがこうやって話すのも楽しいと思っていた。


「あの、警備課ってどんな感じなの?」

「気になる?」

「うん、気になる」


 まるで危ないことに首を突っ込んでいるかのような言い方をわざとして楽しんでいる葵に合わせて、トキは興味津々に真顔を作って答えた。


「ふふっ」

「ふふふ」


 危ないことごっこはこれ以上持たず、トキと葵は顔を見合わせて同時に吹き出した。葵が下を指さして普通の口調で言った。


「じゃあ、一階行こっか。警備課の階」

 階段を降りる途中で女郎花とすれ違い、あらーもう仲良くなったのねー同期だものねーと近所の奥さまみたいなことを言われた。やっぱりくすぐったいが、嬉しいものだった。


 一階に降りると、二階の管理課のように私室や会議室があるが、いくつか初めて見る部屋もあった。


「警備課が一階にあるのは、何かあったときにすぐ出動できるようになんだって。それに本部そのものの警備の役割もあるんだ」

「本部の警備?」


「本部に曲者が侵入しないように。もししてしまったら即対応できるように、いつでも待機してるんだ」

「すごい……」


 トキは初めて聞く警備課の詳しい話に、目を輝かせた。得意気に話す葵の様子から、警備課が好きなことは伝わってきたし、トキは共感を覚えていた。


「二人の足を引っ張りたくないから、鍛錬を欠かさずやってるんだ」

「確か、警備課は三人一組なんだよね」

「そうそう。その中であたしは一番新人だから」

 葵は一つの部屋に目を止めて、トキの手を引いた。


「どうしたの、葵ちゃん?」

「ここ、見てみない? びっくりすると思うよ」


 そう言って葵が指さしたのは『鍛錬室』と書かれた部屋だった。緋色に色づく扉を開けて中に入ると、その光景にトキは口をあんぐりさせた。


「なにこれ……すごい」

「でしょー」


 鍛錬室は会議室などの通常の部屋の三倍ほどあり、様々な設備が置かれていた。ランニングや筋トレなどが出来る一般的なものから、アーチェリーの縮小版のような遠戦や、マネキンまたは対人での近接戦の訓練が出来る格闘技のリングに似た設備まである。他にもトキにはどう使うか検討も付かないものがたくさん鎮座している。


「葵ちゃんもここで鍛錬してるの?」

「そう。あたしの彩は〈悪意から守る〉なんだ。だから防御の役割をすることが多いんだけど、攻撃の手段も必要だと思って。傘を閉じた状態で剣道みたいなことをしてるんだ」


 葵は背中に手を回し、傘を引き抜いた。そして体の前で構えると、剣道の素振りのように真っ直ぐに振り下ろした。風を切る音がして横で見ていたトキは一瞬後ずさった。


「あ、ごめんごめん」

「ううん。すごい! かっこいい!」

「えへへーそうー? 日々の鍛錬の成果かなー」


「鍛錬は毎日してるの?」

「出来るときはするようにしてる。この部屋とか、天気が良かったら外に行ったりとか」

「そうなんだー」

 トキはそわそわと窓の外の様子を見た。今日は雲も少なく晴れていい天気である。


「今日はもうやったの?」

「まだだよ。今日は天気いいし公園行こうかなって」

「公園でするの!? あたしも行きたい、やってみたい!」


 トキは好奇心を顔いっぱいに浮かべて葵に言った。葵は最初驚いていたが、すぐににっこりと笑って親指を突き立てた。


「じゃあ、一緒に行こっか! トキちゃんの警備課体験って感じかな!」

「うん! 楽しみ」





 二人は本部から少し歩いたところにある公園にやってきた。ここは敷地がかなり広く、一周ランニングするだけでも結構な運動になる。設置されている遊具は、多い・大きい・長いの三拍子である。


 広い園内にある遊具の種類が多いのはもちろん、五人が横並びで滑ることが出来るすべり台や端に座るのに勇気がいるほど長いシーソーなど、様々な遊具がある。


「おおおー」

 聞き取りで近くまで来たことはあったが、中に入ったのは初めてで、トキはまたしても口をあんぐりとさせた。


「トキちゃん、こっちこっちー」

 葵が手招きする方には、うんていがあった。これも他の遊具に負けずに。


「な、長い……」

 うんていは途中で枝分かれしていて、分かれた方はアスレチックスへと繋がっている。もう一方はただただ真っ直ぐ続いて、終わってた。


「ここをね、一つずつ進んだり、二つ飛ばしにしたりして往復するんだ」

「な、なるほど。頑張る……!」


 葵はかぶっている笠を一旦置いて、慣れた様子でひょいひょいとうんていを進んでいく。予想はしていたが、やはり迷いなく長い直線の方へ向かっていく。しかもあれを往復だと言う。


「すごい……。よし、あたしも」

 トキは一つ目のうんていを握りしめて、ぷらんとぶら下がった。一つずつしっかりと掴んで進んでいたのだが、時間をかけ過ぎたようで、腕がぷるぷるしてきてしまった。


「ううー」

「トキちゃん無理しないでねー」

 すでに枝分かれの位置を過ぎた葵が首だけ振り返って声をかけた。


 トキはアスレチックスのところまで行きたい、と頑張っていたのだが、腕のぷるぷるには勝てなかった。手はうんていを離れ、地面に着地する。はずが、バランスを崩し、尻餅をついて転んでしまった。


「痛っ」

 転んだ拍子に腕をすりむいてしまったようで、痛みと共に血が滲んでくる。


「トキちゃん大丈夫!? あ、うわっ」

 後ろでトキが落ちる音を聞いて、葵は反射的に体ごと振り返り、それによりバランスを崩して落ちてしまった。


「いててて」

「葵ちゃん!」

「大丈夫大丈夫」


 葵はすぐに立ち上がって駆け寄ってくる。トキの腕を見て慌てながらも水道の方に誘導した。

 トキは冷たい水が痛かったが我慢して傷を洗った。


「ごめんね、トキちゃん」

「葵ちゃんのせいじゃないよ」

「帰って修理課に行こ」


 二人は本部への道を急いだ。ズキズキと痛む傷は、トキの腕で主張してきた。

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