第3話 笑顔が咲いた理由 ー3(了)
翌日トキと灯は、女郎花の力も借りつつなんとか彼女に喫茶店に来てもらい、話す機会を作ってもらった。
「前回は不快な思いをさせて申し訳なかった。これ以上何かを聞こうとはしない。あまり俺たちのことを信用出来ないかもしれないが、本部には他のやつらもいる。力になれることがあると思う。もし困ったことがあれば、俺たちじゃなくていいから、相談に来てくれ」
「……そう」
「本当に、申し訳なかった」
灯は彼女へもう一度頭を下げて謝罪した。隣のトキにも同じようにと促した。が、トキは動かない。
「おい、トキ」
「あなたは――」
灯の声には答えず、トキは彼女の目をまっすぐに見つめて、こう続けた。
「過去に捨てられたことがありますね」
「なっ」
彼女の顔に一気に驚愕と怒りが押し寄せた。
「トキ、お前っ」
灯の制止も聞こえないかのように、トキは彼女に語りかける。
「辛かったですよね、分かります」
「ふざけないで、あんたに分かるわけないじゃない!!」
「分かります」
「いい加減にしてよ! このっ」
彼女は怒りのままにテーブルを挟んで座るトキに手を振り上げる。テーブルの上のコーヒーの水面が大きく揺れた。灯が身を乗り出して止めようとする。が、彼女の手はトキの次の言葉で凍りついた。
「あたしも、捨てられたんです」
「な、今なんて……」
「あたしも、過去に捨てられたことがあるんです」
自嘲するように微笑むトキを見て、彼女は力が抜け、すとんと椅子に収まった。トキはコーヒーカップの縁を見つめながら話し出した。
「あたしは、ある職人によって作られた懐中時計です。最初の持ち主は女の子でした。もう顔も覚えていませんが。一年も経たないうちに捨てられたんです。音がうるさい、こんなのいらないって」
「……」
「その後、灯さんに拾ってもらって、使ってもらえました。もう使われることもなく消えていくんだと思ったので、嬉しかったです」
自分のことを話し出したトキを止めることはしないが、灯は複雑な表情で腕を組んだまま動かない。
「あたし、うるさい上によく針が止まるんです。そうなると意識も飛んでしまって。そうなった時は、また捨てられるんだろうなって思いました。もう目覚めることもないかなって。それでもいいと思ってました。でも」
一度言葉を切って、トキは隣の灯をちらりと見て、そしてまっすぐ前を向いた。
「しばらくして、灯さんが『トキ』って呼んでくれて、目を覚ましたあたしに笑いかけてくれました。それからずっと開化するまであたしを使ってくれました。あたしに名前をくれて、居場所をくれたんです」
彼女は唇を噛みしめて、それでもトキの視線から目を逸らさなかった。その痛みも喜びも知っている。トキは小さく頷き、彼女に語りかけた。
「あなたは今リビングに飾られていることを嬉しそうに話してくれました。辛かったことではなく、あなたがそうして笑えるようになったことを聞かせてもらえませんか」
「……」
彼女は視線をトキから窓の外へと移し、ゆっくりと深呼吸をした。何度もそうしてから、ぽつぽつと話し出した。
「私はさ、プレゼントとして作られた帽子だった。でも贈られた子の好みじゃなかったみたいで、姉たちの帽子の方を羨ましがってた。だからあまり使われなくて。でもひまわり畑に行くってときに久しぶりに使ってもらえて外に行った」
遠い目をするその先には、あのひまわり畑があるのだろうとトキは思いながら聞いた。
「その日は風が強くて、私は飛ばされて。でも、その子は探しに来なくて、声だけ聞こえてきた。『別にあの帽子好きじゃないし、なくしたって言えばもっといいの買ってもらえるからいい』って」
「そんな……」
「私はそのまま放っておかれた。ひまわりの花がいくつか枯れてきたころ、小さい女の子が私を見つけた。『おかーさん可愛い帽子』って指さして」
女の子のことを口にすると柔らかい表情になったが、またすぐ暗いものになってしまった。
「そのまま交番に届けられたけど、そこは暗いし、狭いし、いいところじゃなかった。しばらくしたら廃棄されるっていうのは会話聞いててなんとなく分かった」
目を伏せた彼女の顔には影がかかっている。
「その処分の期限のときになって、もう終わりかと思った。……でもあの女の子が来て、迎えに来たよって言ってくれた。私はあの子、陽子のものになった」
「素敵な出会い、ですね」
「その後は陽子が気に入って使ってくれて、汚れたらお母さんが綺麗に直してくれた。何度も直して、陽子の子どもにも使われて。だんだん脆くなってもう役目も終わりかと思ったらリボンとひまわりの花でオブジェになった」
そこまで話して、彼女はぽつりと、たった今気づいたように呟いた。
「ああ、そうか。私は陽子に拾われて、ここに在れて、幸せなんだ」
彼女は重たい荷物を下ろしたように、すがすがしく笑った。その顔を見れて、トキは心の底からほっとしていた。
「話してくれて、ありがとうございます」
「そんな、頭上げて。……その怒らないで欲しいんだけど、あんたにも捨てられた過去があるって聞いて、安心した。仲間だって思った。ごめんなさい」
彼女はトキに頭を上げさせて、逆に自分が謝罪と共に頭を下げた。トキはふるふると首を振った。
「あたしもそうです。仲間だって、思いました。きっと皆そうなんだと思います」
トキと彼女はどちらからともなく手に触れ、固く握りしめた。
「私、あの家の人に会ってみることにする。ありがとうって言いたい」
「付喪神であることを明かすのは駄目だぞ」
話の流れから若干蚊帳の外になっていた灯が口を挟む。
「そんなこと分かってる。陽子たちのこと家族みたいに思ってる。でも、本当の家族になれるわけじゃない。せめてお礼が言いたい。出来るなら、近くにいたい」
切なる彼女の願いを聞き、トキはあることを思いついた。人差し指をピンと立てて得意気に提案した。
「じゃあ、ご近所さんになるのはどうですか?」
「え?」
「近くに住んで、ご近所さんになるんです。近くにいれますし、お話もきっとたくさん出来ます」
「でも、そんなこと」
「あの辺りのアパートに空きがあったはずだ。本当にそれを望むなら、管理課が手助けしよう」
灯の頼もしい言葉に彼女は大きく頷いた。もうその目に影はなく、未来を見て輝いていた。
*
本部に戻って、灯はトキを会議室の椅子に座らせた。
「どうして言った」
「……」
結果的に上手くいったとはいえ、トキは上司である灯の指示を無視したことになる。
「トキ」
「知っているのに、知らないふりをするのは、ずるいと思います」
トキは、胸の前で両手を力いっぱい握りしめて灯に真正面から立ち向かった。
「ちゃんと、本人から聞くべきです。暴徒化の危険があるなら、なおさら聞かなきゃだめだと思います!」
声に熱がこもり、トキは椅子から立ち上がって訴えた。詰め寄られた灯は腕を組んだ体勢を崩さず、口を真一文字に結んだ。
「その考えは否定しない。きっと正しいんだろう。それでも、傷を人にみせることが苦痛であることも事実だ」
「でもっ!」
「トキ」
感情が高ぶったまま戻らないトキの腕を強く引いて、灯は自分の目を見させた。
「トキ、もういい。……よく頑張ったな」
「……っ」
その瞬間、トキは糸が切れたようにしゃがみ込んで、声を上げて泣いた。灯は片手でトキの頭を自分の肩に引き寄せて、「よく頑張った」と繰り返した。
捨てられた傷は、簡単に癒えるものではない。完全に癒えることはないのかもしれない。自分が傷ついていることすら認識出来ずに突き進んでしまう者もいる。
トキの初仕事の成功は、痛みを伴うものだった。
――――それでも。
*
一週間後、トキは彼女と共に例の家の近くにいた。
「あたしも一緒にいていいんですか?」
そわそわと行ったり来たりを繰り返す彼女は、ピタリと足を止めてトキの質問に答えた。
「いい。というか一人じゃ緊張しすぎるから、いて。でもちょっと離れてて」
「はい」
何とも矛盾した、しかし気持ちはよく分かる返答に、トキはくすりと笑って頷いた。
「よし、行く」
心が決まったらしい彼女があの家のインターホンに手を伸ばした。トキは言われた通り少し離れたところから見守る。
「はい、どちら様ですか?」
中から三十代ほどの女性が出てきた。彼女の話にあった麦わら帽子を拾った少女、陽子の娘だろう。
彼女は、ここに来るまでにトキとたくさん練習した挨拶を、声が裏返らないよう気をつけて言った。
「近くに引っ越してきたので、ご挨拶をと思いまして」
一呼吸おいて、彼女は付けたばかりの自らの名前を口にした。
「私、ひまわりと言います。どうぞよろしくお願いします」
ひまわりの笑顔は、太陽に向かって、可憐に咲いた。
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