17話 予感


―――


――高崎side


「はぁ~……」

 職員室で高崎はため息をついた。目の前には大量のプリントの山。今日中に採点して明日には生徒に配らなければいけない物なのだが、今はそれどころじゃない。

 千尋が白石雄太と付き合い始めたという噂は高崎の耳にも入っていた。


「まさか白石君と……」

 額に手を当てて机に蹲ってしまった。隣で藤堂が心配そうに見つめていた。


 自分が学校を辞めると言ったばかりに、千尋に迷惑をかけてしまった。何も停学にする事はないだろうと校長に憤ったものの、原因は自分自身だという事に気づいて心底後悔している。


 何も今すぐ答えを出させようとしなくても、他にもやりようがあったはずだと冷静になった頭が言っていた。

 例えば卒業するまで待つとか、他に好きな人がいるのなら綺麗さっぱり忘れる努力をするとか。


「あぁ~!」

 突然発した声に藤堂をはじめ、職員室に残っていた他の教師もビックリした顔でこちらを見てくる。高崎は慌てて頭を下げた。

「す、すみません……」

「高崎先生。大丈夫ですか?最近元気ないみたいだけど。俺で良かったら相談乗りますよ?」

 藤堂が顔を覗き込みながら言う。その気遣いは嬉しかったが、流石に生徒がらみの恋愛相談を同僚教師には出来ない。


「俺も……立場は同じだからさ。」

「え?」

「んー……何でもないです。すみません。じゃあ先帰りますね。お疲れ様です。」

「お疲れ様です……」

 何かを言いかけて止めた藤堂を不思議そうに見送る。しばらく首を傾げていたが、プリントの山を見てハッとした顔をするとようやく仕事に取りかかった。




――桜side


「千尋も帰っちゃったし、私ももう帰ろうかな。」

 誰もいなくなった教室で一人呟く。鞄を持つと重い足取りで廊下に出た。


 千尋が雄太君と付き合うって聞いた時は正直言って腹が立った。せっかく両想いなのに何で?って思った。自分の気持ちに蓋をして誰も幸せになれない未来を選択した事に悲しくなった。


 だけど一方で、それが千尋が選んだ道なら親友として応援してあげなきゃいけないんじゃないかっていう風にも思う。もしかしたら千尋には雄太君の方が似合うのかも知れないし、『先生と生徒』っていう縛りのせいで辛い思いをするよりは良かったのかも知れない。これから先の事は千尋の問題なんだから、私がとやかく言う事ではない。

 そこまで考えたところでハッとなった。


「そっか……私だって『先生と生徒』なんだよね。」

 急に現実に引き戻された。千尋の事ばかりに気を取られていたけど、自分だって同じなんだ。私の場合両想いなんかじゃないから、諦めた方がいいのは自分の方なのかも。


「桜!」

「……え?」

 なんて暗い事ばかり考えてたら声をかけられた。しかもそれが今思い描いていた人の声だったから尚更ビックリしてしまう。


「藤堂先生……」

「良かった。まだ帰ってなかったんだな。」

 息を切らせてこっちに走ってくる。私は煩いくらいに鳴る心臓を抑えながら先生が来るのを待った。


「何か用ですか?」

「あのさ、前に言ってただろ?期待してもいいって。」

「……そんな事言いましたっけ?」

「とぼけるなよ。」

 鋭い視線が胸を射抜く。私はそのまま固まってしまった。


「俺はこの通りいい加減だからさ、恋愛とかも雰囲気に流されたりとか付き合っても大事にしてやれなくてダメになっちまうとか、そんなんばっかりだった。」

 苦笑する先生に私も苦笑いを浮かべる。


「それでも本当はちゃんとしたいって思ってんだ。だけど本気でそう思える相手がいなかった。今までは。」

 顔が熱い。胸が痛い。思わず目を閉じる。それでも先生の視線は感じられた。


「千尋からはあれはジョークだって聞いたけど本当はどうなんだ?」

「どうって……」

「ジョークかジョークじゃないか、だけ聞かせてくれ。」

「……ジョークじゃないです。」

「そうか、ありがとう。じゃあ暗くならない内に帰れよ。」

「あ…先生。」

「ん?」

「いえ、何でも。じゃあさよなら。」

「おう。」

 軽く手を上げて職員玄関の方へと歩いて行く先生をボーッと見つめる。姿が見えなくなった途端、力が抜けてその場にへたりこんだ。


「何今の……?」

 藤堂先生の言葉とその瞳を思い出す。あれは嘘やからかい等ではなくて真剣なものだった。そもそも先生は嘘が嫌いだから本音なのだろう。


 だけどそれを私に言うっていう事はどういう事になるのか。あの時の『期待してもいい』という言葉がジョークかジョークじゃないかを確かめて何になるというのか。


「どうしよう、千尋……」

 先生の真剣な瞳を思い出しながら親友に助けを求めたのだった……




―――


「おはよー。」

「おはよう、千尋。」

「今日は早いね。いつもギリギリなのに。」

「ギリギリは余計だよ!」

「あはは。」

 笑いながら席につくと桜が急に顔を近づけてきた。思わず仰け反る。


「ど、どうしたの?」

「千尋……助けて!」

「え?え?えぇ~~~!」

 涙目で腕に抱きついてくる。私はその小さな体を受け止めながら戸惑った。

 そして桜がぽつりぽつりと話す内容を聞いていく内に、興奮で体が熱くなっていった。


「それって脈ありって事じゃん!」

「そうなのかなぁ~……」

「絶対そうだって。わざわざ桜に確認してきたって事は何らかのアプローチがあるかも知れないよ。」

「アプローチって?」

「告白とか。」

「こっ……!」

 みるみる内に真っ赤になっていく桜が可愛くて抱きしめる。


「桜は、桜だけは自分の気持ちに素直になってね。」

「千尋……?」

 怪訝な顔で見てくる桜に笑顔を向ける。

「頑張ってね!」

 そう言うと一瞬複雑そうな顔をした桜だったけどすぐにいつもの笑顔に戻ると頷いた。




「ついに桜にも春がくるかも知れないのかぁ~」

 廊下を歩きながら呟いた。桜と藤堂先生が二人並んでるシーンを妄想しては顔がニヤけてしまう。


「あ、雄太君!」

 一組の教室の前に着くと、廊下で友達何人かとお喋りしている雄太君を見つけた。

「一緒に帰ろう。」

「おう。」

「誰?この子。雄太の友達?」

 雄太君に声をかけるとそこにいた女の子が私の事を見て言う。雄太君は明らかに動揺した顔をした。


「えっと……」

「えぇ!?まさか彼女?」

「嘘!お前彼女出来たの?」

 その場にいた全員が驚いたように大きな声を出す。しまったと思ったけどもう遅く、雄太君は囲まれてしまった。


「名前は?」

「クラスは?」

「いつから付き合ってるの?」

 といった質問を浴びせられて戸惑っていると、さっき私の事を『誰?』と聞いた子が何かを思い出したように顔を上げてこっちに近づいてきた。そしてぐいっと顔を近づける。


「あ、あの……」

「やっぱりそうだ。貴女三組のHR委員長の風見さんね。」

「そうです、けど……」

「私一組の委員長だから夏休みの補習の時にみかけて覚えてたの。」

 そう言われてよくよく見たら確かに私にも見覚えがある。一組は雄太君も参加してたからね。


「貴女って確か……高崎先生と仲が良かったよね。補習の間も話してるの何回か見た事あるもん。」

「え……?」

「あ!あたしも見た事ある。夏休み前だったけど。いつも一緒にいるイメージ。」

「それは…HR委員長だから色々と頼まれ事とかあって……」

 何だか雲行きが怪しくなってきた。言葉に詰まりながら言い訳すると、悪ノリした男子がとんでもない事を言った。


「なぁ白石。お前二股かけられてんじゃないのか?」

「は?」

 途端、雄太君の目が鋭くなった。それにも気づかないその男子は更に言葉を継ぐ。


「まぁそれは冗談として。でも気をつけろよ~。千尋ちゃんだっけ?彼女可愛いから油断してると他の男に持っていかれるぞ?」

「いい加減にしてくれ!」

 雄太君の大声にその場がシーンと静まりかえる。誰もが呆気に取られて固まった。


「ゆ、雄太君……?」

「帰るぞ。」

「え、あ…ちょっと!」

 足元に置いてあった鞄を無造作に掴むと、すたすたと廊下を歩いて行く。私はその背中と茫然と立ち尽くしている友達との間を交互に見やると、一つため息をついて雄太君の後を追った。



「良かったの?」

「何が?」

「あんな言い方して……」

 肩越しに見るとまだ固まっている。明日からの雄太君の人間関係が心配で気が気じゃない。


「千尋をあんな風に言われて黙っていられるか。それにこんな事で壊れる関係なら所詮それまでだったって事だろ。俺はただ千尋を傷つける言葉を言ったから怒ったのであって、別にあいつらの事本気で嫌いになった訳じゃない。ちゃんと明日フォローするつもりだからお前は気にすんな。」

 雄太君が笑顔で頭をポンッと叩く。叩かれた頭を撫でながらホッと胸をおろした。


「もう…ハラハラした……」

「悪かったよ。」

「でも……」

「ん?」

「ありがとう。嬉しかったよ。」

 にっこり笑う。照れているのか真っ赤になってそっぽを向く雄太君が愛おしく感じた。



 不器用だけど一生懸命守ってくれようとするその手を掴んで、受け入れて、ずっと離さないでいたい。


 私はこれからどんどん雄太君の事を好きになる。

 先生よりもずっと。


 雄太君のまだ大人になりきれていない背中を見つめながら、私はそう予感していた。



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