手袋_その2 前編


 掛房真史かけふさまさふみは、灰色の上着を着こむと、校舎の脇に据え置かれた掃除用具の倉庫へと向かった。

 うすく朝日が昇ろうとする頃だった。

 鍵を開けて外ぼうきを取り出すと、深呼吸すると大きく伸びをした。軍手をはめ、職員の通用口にある門を、勢いよく開ける。

 近づいてくる清楚な顔立ちの女性が、元気な声で挨拶してきた。

「おはようございます。掛房さん、お早いですね」

「おはようございます。本間先生! いつものイチバン乗りを更新ですね」

 本間由佳ほんまゆかは、母校に勤め出してから毎朝学校に、一番最初に出勤してくる教師であった。真史とほぼ同時あたりに採用が決まり、毎朝の会話を欠かすことがない。

「そういう掛房さんこそ、お早いじゃないですか」

「いやぁ、私はこんなことぐらいが取り柄でして」

 と、真史は苦笑いで受け答えした。

 時間が経つにつれ、門をくぐり職員が入っていく。ふぅ、息をはき、区切りをつけ、真史は職員が停める駐車場へと赴いた。ざっ、ざっ、ざっと音を立てて、掃除をはじめた。少しして、一台の淡いグリーン色をした車が入ってくる。

 中から降りてきたのは、本巻もとまきかほりだった。彼女は本間先生の先輩教師で、子供たちに人気のある教師だ。清楚な顔立ちの中に、芯の強さを感じる女性であった。

「おはようございます。今日は一段と寒くなりましたね」

「おはようございます。もみじも色付いてきましたよ」

「本当ですか? 放課後にでも見にいってみようかしら。お掃除頑張ってくださいね」

 軽くお辞儀すると職員玄関へと歩きはじめた。本巻教師のハンドバッグには、マスコットのキーホルダーが元気よく揺れていた。

 掛房真史は、小学校の用務員を務めていた。勤めはじめてからまだ日が浅かった。数ヶ月前の入学式で、本間由佳教師とともに、軽く紹介されたぐらいだ。

 用務員にはやることがたくさんあった。熊のようにずんぐりな校長の話では、長く勤めてきて退職を希望しているサワキの後任になり、真史だけが用務の全般にあたっている。

 サワキから作業を引き継ぎ、一日の流れを三か月で真史は覚えた。前職が営業回りで、五十半ばを越えた彼には、たいした重荷ではなかった。

 しかし、真史にも短所があった。時折、教師の名前や物をなくす癖が、営業時代の時から見受けられたのだ。幸運にも周囲の気遣いによって、回避されることが多く、本人にとっては気に留めているほどではなかった。


 一通りの清掃を終え、用務室へと引き返してくる。待ち侘びていたかのように教頭が、備え付けのストーブをつけ、くつろいでいるのに真史は気づいた。

「掛房さん、おはようございます。朝早くからご苦労さまです」

「おはようございます。教頭先生。こんなところへわざわざお越しいただいて、何かご用でしょうか?」

「どうですか? 仕事の方には慣れてきましたか?」

「はい、サワキさんのおかげで朝のルーティンが出来上がってきました。久々に彼女が休暇をとられたことで少し焦りもありましたが、近々、彼女、お辞めになるための準備をするとか聞きまして」

「ああ、もうサワキさん本人から聞いていたのですね。それなら、話が早い。そのことでここにきた次第です。あいにく、校長は出張中なので、校長室を使うわけにもいかなかったので」

 改めて向き直り教頭が真顔で話してきた。

「それで、校長が言うには、掛房さんの他に、もう一人用務員を入れようとおっしゃられていて、今、広告やネットを使って募集の呼びかけをしているところなのです」

「それは助かります。一人でするには仕事量が多いと感じていたところです」

「そこで、掛房さんにお願いがあって……」

 と口火を切ったものの、教頭は少しためらいのある表情をする。訝しく真史は次の言葉を待った。

「はぁ、なんでしょうか?」

「前職ではもやられていたとか……」

 首を小刻みに横に振り、両手でも否定の仕草をみせた。

「いえ、いえ、その場の雰囲気の勢いで一度だけあっただけで、何度も経験しているわけでは……」

「あなたの眼力と直感でアドバイスして欲しいのです。でも構いませんので」

 その場で教頭は膝をつき、真史に土下座して懇願した。

「どうかお願いできないでしょうか」

「教頭先生! 頭を上げてください!」

 すぐさま彼に寄り添い、真史は困り顔をみせた。

「お願いします!」

 教頭は、真史の了承がない限り頭をあげる気配がない。

「私が面接官よりも他に優秀な人はおられないのでしょうか?」

「以前は、サワキさんが面接官をやっていらしたのですが、今回は退職されると言うこともあり、辞退したいと言うことでして……後任で面接官の方もできるとあなたを推薦してきたのです」

 真史は深くため息を漏らした。仕方がないかと、天井を仰いだ。

「わかりました。どこまでお手伝いできるかわかりませんが、オブザーバーでよければ面接官をさせていただきます」

 待っていましたとばかりに、すっくと立ち上がり、教頭は喜びの顔と共に両手で真史の手を握りしめた。

「ありがとう! あなたなら良きアドバイスをいただけると信じています」

 ドアへと向かい扉を開け、教頭はもうひと言つけ加えた。

「それじゃ、面接や日取りなどが決まりましたら、お知らせに来ます」

 真史は少々困り顔のまま出ていく教頭を見送った。

 長年勤め上げてきた大手の営業マンで、カスタマーの会社に行っては顔色を窺いつつ、後処理役を任されていたが、人事からの任意退職に希望を出して、不祥事の謝罪から逃げるように退職したのだった。その後、偶然にも道であった後輩から会社が倒産したことを聞かされた。

 果たして今回の面接官のオブザーバー傍観者で人柄を見分けられるだろうか、と不安を抱きながらその日が終わる。


 3日後、いつものように朝の務めをひと段落させた真史は、用務員室へと戻ってくる。中からは数人の女性の声が彼の耳に入ってきた。

「ごくろう様です、掛房さん。一息入れませんか?」

 3日後に退職を控えていたサワキと会話相手に本巻かほりと本間由佳がお菓子とお茶を添え、雑談していた。お茶会ならぬ女子会の様子である。

 真史には、サワキのお別れ会を開いているようにもみえた。

「そうですね、少しお邪魔を……」

 掛け時計をチラリとみてこたえた。

「そういえば、校長から先ほどお聞きしたのですけど、今度、ここの面接に来られる方のことを……」

 本巻が自慢げに話し出した。彼女は情報通らしく、校長や教頭から毎回ネタになる情報を仕入れているようだった。

 もう面接のことが拡散されているのかと、真史は余計なことを口走らないようにおとなしく彼女の話に耳を傾けた。

「そうよね、掛房さん、ひとりじゃ大変になるんですものね」

 しっかり同調して本間もそれに頷きをみせた。

「それで、面接に来られる方と言うのは……?」

 と、サワキが興味津々に言い寄ってくる。真史も面接の相手情報には興味があった。「面接官」のオブザーバーをするにしても重要な情報には変わりないと耳を傾ける。

 本巻は、すこし間を置き考えつつ、言葉を選んでいる様子だった。校長に他言無用と口止めされていたのかもしれない。

「数人の応募があったそうなの。でも、これ以上の詳しいことは聞けなかったわ。今、個人情報の漏えいでうるさいでしょ」

「そうよね、子供たちの親御さんからも、時々、苦情が入ることがあったわ。『うちの子がいじめを受けているから、クラス全員の氏名と連絡先を教えろ!』とか、対処に困ったことがあったのよ」

 経験をもとにした会話を赤裸々に本間は明かした。

「そういう時ほど、丁寧に個人情報の取扱いを注意したいわね」

「ひと昔前なんて、そんなことを気にせずに周囲で解決できましたけど、今は難しいのね」

 会話を締めくくるようにサワキが言い放った。

 真史には、話についていけなくなっていた。肅々と黙り込んで、彼女たちの感情に同感することしかできなかったのだ。


 午後の仕事がひと段落をむかえ、中庭にあるコスモスの手入れをしていた真史のもとに、サワキがやってきた。

「掛房さん、校長がお呼びですよ」

「はい、すぐ行きます!」

 軍手を脱ぐとその場に置き、水道のある方へと赴こうとした。

「もしかしたら、面接のことかもしれませんよ」

 手を洗っていた真史に小声でいった。

「そうなんですか?」

 小首をかしげサワキは微笑んだ。


 身なりを整えると校長室へと真史は向かった。

 ふと、廊下に貼り出された掲示板の一角にイベント祭のポスターが目に入る。よく見ると、次の週末に開催日が迫っていた。以前、ボランティア活動にイベント祭に参加したことを真史は思い起こす。もう、イベント祭が開催される季節なのかと実感した。

 校長室の正面で深呼吸と喉の具合を確かめ内側に聞こえるほどのノックを数回した。

「掛房です!」

「どうぞ、入ってください」

 緊張した面持ちで真史はドアを開けた。

「失礼します!」

 体格のいい岩熊校長が、ソファに座るよう勧めてきた。

「どうぞ、楽にして聞いてください。教頭先生からお聞きしていると思うのですが、面接官の件でお知らせしたいことがありまして」

 岩熊は深くソファに腰を据え、眼鏡を動かした。テーブルには、3枚の積まれた履歴書が折りたたまれている。

「はい、どういったことでしょう?」

「掛房さんにぜひ、応募者の選考が終わりましたので、一通りの履歴書でどんな人物なのかを判断していただきたく……」

「はぁ……」

「今回の応募者の中には、校長のお知り合いがいまして……公正を期する観点から大変決めかねています」

 淡々と教頭は、校長の代弁者のように話し出す。用務員室にきた時とは別人とも言える発言だった。

 真史は1枚ずつ履歴書を見ていく。吟味する中、3人の年齢はいずれも60代で、自分よりも歳上だと言うことに気づく。そして、3人とも『ボランティア経験』があることが真史の目に留まった。

 教頭は真史のコメントを待ちきれずに近寄ってきた。

「どうでしょう?」

 彼よりも歳下にみえる教頭は、物腰を低くして訊いてきた。

「そうですね……」

 履歴書に書かれていることで、人柄がわかるほど世間は甘くはないと言うことは、真史には経験済みだった。

「履歴書の中身だけではなんとも……」

「そうですよね」

 相槌をうつように教頭は肩を落とした。

 だが、特技や普段から親しんでいるものから、ある程度のコミュニケーション能力や浅い部分の性格は、推測することは可能だと黙り込みながら考えをまとめた。あとは、直接本人に会ってみなければ、人柄など到底わからないという結論が固まった。

 校長の一言で真史は我にかえった。

「ぜひ、最終的な判断を掛房さんに一任したいとも……」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「いいえ、結局のところ、あなたとの性格が合致しなければ、長くは勤めていただけないわけでもありますから」

 岩熊校長の説得力には、力がこもっていた。

「仕事はもちろんのこと、あなたが先輩になるわけですからね」

「はぁ、ごもっとも。責任重大になりますね」

 校長が気をつかってもらっていることに真史は感謝した。

「そこで相談なのですが、掛房さんの方で一風変わった面接方法はないものかと……」

「一風変わった?」

「人柄やコミュニケーション、行動が観察できるような、なにか、ないですかね?」

「そう、突然に言われましても……」

 真史は、難しい顔つきになり腕を組んだ。

「なにしろ、私の知り合いが、どうしても『用務員』という仕事をやってみたいと言いはじめましてな。なかなか諦めようとはしなくて、人柄のわかるものでも出方を窺いたいと言うのが本音でして」

 柔和な顔つきで熱心に校長は、真史に訴えかけてくる。

 何かに気づき真史は、スッと顔を上げて、小首を頷かせた。

「こう言うのはどうでしょうか?」

「どう言うのでしょう?」

 小首をかしげ、校長と教頭がにじり寄って耳を傾けてきた。


後編へつづく

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