楽器_ハーモニカ 前編



 香崎こうさきノゾミが手荷物を抱え、後部座席へと押し込んだ。

「お父さん、これで全部よね?」

「おう、そうだな」

 運転席に座り、父親はノゾミに返事をした。


「ノゾミ、みてっ!」

 母親の指さす方向を、ノゾミは見上げた。ニ階建ての隅でツバメたちが巣立っていく姿だった。一軒家が彼女には眩しく映った。庭に咲きほこるゆずの匂いが彼女の鼻をくすぐった。

 ノゾミは、ツバメと同じに生まれ育った家から離れていくのが寂しく思えた。再婚した父親によって遠くの地で、暮らさなければならなくなったからである。

「かあさん、ノゾミ、そろそろ乗ってくれ!」

 ノゾミは無意識に長い髪を触った。


「ノゾミィ!!」

 坂の下の方から大声が聞こえてきた。青色のシャツを着込んだ男の子が、自転車を漕いで向かってくる。

「ジュンちゃん!」

 息を切らし車の近くまできた。


「なんとか、間に合った!」

 息切れを整えて、

「ひでぇよなぁ。一日ずらしていくなんて、相棒として、幼馴染みとしても失格だぞ!」

 駆け寄った少年は、ノゾミのクラスメイトのひとり河草かわくさジュンだった。

「ごめん、あんたには、大事なサッカーの試合を控えていると思ったから」

「あれは友達の付き合いで入ったもんだ。だから、その……」

 照れ隠しするように少年はこたえ、

「と、とにかく大事なが旅立つ時ぐらい都合はつけるさ」

「あいぼう、相棒って言うけどあんたが勝手に言ったことでしょ! わたしは、相棒だなんて思ってないんだからね」

 強い口調のノゾミをそばで見ていた母親は、

「ノゾミの悪い癖よ。そんなに喧嘩腰になって」

 だってぇ、とつぶやくも母親に振り向く。

「学芸会で一緒に主役をやった仲じゃないの。言いたいように言わせてあげなさいよ」

 母親の言い分に反論はしなかった。

 ジュンはあまり気にしていない表情をしている。


 ノゾミとジュンの仲の良さは、学芸会以降から始まっていた。周囲から揶揄からかわれていたからだった。年齢が上がるにつれ、彼女には周囲の噂が気になって、仕方がなかったようである。最近では彼の口癖のように出てくる『相棒』と言う言葉さえ、うとましく感じていたのだ。一種のコンプレックスである。ただ、それも今日で終わりだから、とノゾミは母親にもそれほど反発しなかった。


 彼女の黙ったままの態度に、ジュンは包装紙に包まれたものを、軽く突きつけた。

 ノゾミは訝しく彼を見上げる。なおも、突きつけてくる包装紙を、彼が強制的にノゾミの手に載せた。

「ねぇ、ジュン、これって!?」

「受けとってくれ! 相棒の証だ!」

 また『相棒』って、と彼女は小さく呟く。

 ジュンは鼻を擦り上げ、フンッ! と自慢気になった。

 彼女が包装紙を取ろうとして、

「いま、開けるなよ! お前ならすぐわかるだろっ!」

「ええ? なんで? 気になるよ。ジュンからのプレゼントなんて滅多にないし」

「同じ小学校からの仲だろっ!」


 車の中で待っていた父親がしびれを切らし、警笛を鳴らした。

 びくり、と反応し、ノゾミはあきらめ顔になる。

「わかったわ。ありがとう」

 しおらしい顔を彼女がすると、

「ジュン、元気でね」

「おまえもな。たまには遊びに来いよ! 歓迎するぜ! おれは離れるつもりはないからさ」

「うん!」

 母親がジュンを見つめ、

「あなたも元気でね」

「はい!」

 ノゾミと母親は車の後部座席へと乗り込んだ。車が発進し、ジュンが遠ざかっていく。ノゾミは座席の後ろから寂しそうに手を振る彼を見ていた。



「ノゾミ……、ねぇ……」

 隣の席で包装紙をながめる母親がしきりに訊ねてきた。

「ねぇ、彼からいったい何をもらったの?」

「たぶん、お母さんは憶えてないかも、だよ」

「えっ!?」

 彼女には彼が『相棒の証』と言った時点で予想がついていた。

「なに、何? もったいぶっちゃって」

 母親が、少女に戻ったような純朴な笑顔でノゾミに問いかけた。

 ノゾミは包装紙を解き、長方形の立派なケースを取り出す。ケースを開けると銀色にひかるハーモニカが入っていた。

 思った通りだわ、ノゾミは小さくつぶやいた。






 二十年後。

 後部座席にすわるノゾミは外を見ようとした。大粒の雨が音を立て、窓に打ち付けてくる。景色どころではなかった。

 大型のバンに乗って一時間以上経っていた。空港の近くのレンタカーで借りた六人乗りの車である。

 よりによってこんな日に故郷へ凱旋するなんて、とノゾミは天候をうらんだ。ツアーの日程で休みを取った日取りも良くなかったと、反省する。

戸志舞こしまいさん、公民館でのセッティングはできてるのよね?」

 隣に座るメガネをかけた二十代の若い女性が、

「はい!」

 と、元気良くこたえた。

「あと、どれくらい掛かりそうかしら?」

 えぇと、とあせる彼女は腕時計で確認した。

「この土砂降りだと二時間はかかりそうですね」

「そうよねぇ」

 今度は運転席に目を向け、

「滝くん」

「あ、はい。なんスか?」

 運転席からルームミラー越しに茶髪の男性が、ノゾミの呼びかけにこたえた。

「この辺、車の往来は少ないけど、じゅうぶん注意して進んでちょうだい」

「はい、わかってますって。土砂降りの運転は慣れてますよ。あねさんの生まれ故郷なんで、いつもよりも十二分に気をつけてます」

「そういう油断が、一番あぶないのよ!」

 ヘイ、ヘイ、とかるく調子わらいをした。

「久しぶりの生まれ故郷はどうですか?」

 戸志舞が訊ねてきた。

「もう、二十年も経ったけど昔のまま変わらない風景もあるんだろうなって。数年前、友達に逢いに中心街の近くを通ったけど、公民館はほとんど変わっている様子はなかったわ」

 ノゾミは感慨にふけった。窓越しに外を眺めていた。

 橋の上から水門がみえ、河川敷の近くを走っているのがわかった。ノゾミには思い出の場所を通っているのだ、とじっと見つめていた。

 戸志舞はノゾミに問いかけた。

「香崎さん、香崎さん?」

 強く訊ねてくる戸志舞にやっと気づくように彼女は振り向いた。

「ごめなさい、何かしら?」

「車の中ですけど、すこし休まれてはどうですか? 長旅で疲れているのでは?」

「そうね、そうさせてもらうわ」

 ノゾミは静かに目を閉じふかい眠りについた。


 ノゾミの耳に騒めく音と幾度となく振動が身体に伝わってきた。


「香崎さん、着きましたよ」

 軽く叩かれ、ノゾミは目を覚ました。

 すでに室内に運ばれ、広い会館の一角で、地元の住民らしき人がノゾミを見つめている。

 気づいた時、戸志舞と滝の姿がなかった。

「あれっ? 私の他にメンバーがいませんでしたか?」

「どうやら、あなただけのようですね」

 見たこともない中年の男性が声をかけてきた。茶色いジャケットを羽織り、色の付いたメガネをかけている。

「あら? カネギの館長さん、ではないですね?」

 公民館のいつも対応する人物とは違う人だとノゾミはすぐに気づく。子供の頃、毎日通っていたためだった。だが、顔つきがよく似ているが、声がまるで違っていた。

「私は代理のもので。ハツキというものです。それにしても、遠いところから、わざわざお越しくださいましてありがとうございます」

 ノゾミは大きくかぶりを振った。

「いいえ、地元の貢献に繋がるイベントを開いていただいて、私もうれしい限りです」

 私の他にも……、と途中で言いかけた時、どこかで聴き覚えのある声が聴こえてくる。

「久しぶり、コウちゃん」

 ノゾミが話し終わらないうちに、彼女に近づいてきた女性がいた。年齢に差がないことが、なんとなくだがわかった。馴れ馴れしくも、ぽっちゃりな体型で抱きついてくる。『コウちゃん』と呼ばれたことに躊躇ためらいが彼女にあった。苗字が『香崎こうさき』という言葉からである。

「あ、あの……?」

 ノゾミは戸惑っていた。昔、聴き覚えが耳には残っていたものの、体型と一致しなかったからである。

「やだっ、忘れちゃったの? ひどぉい。でも、無理ないかな。二十年だもんね」

「ひょっとして? イーちゃん、なの!?」

 訝しく見つめると目元と口もとの黒子ほくろで昔の旧友だとやっとわかった。

「やっと思い出した?」

「だって……その体型で……ちょっと待っててね」

 とノゾミは言いかけ、館長の代理であるハツキとイベント開催のことを話した。


 ノゾミに抱きついてきた女性は糸間という。顔が小顔で男子生徒に人気があったほど、スラリとした体型だったのをノゾミは憶えていた。

 苗字がというところからノゾミ自身、『イーちゃん』と呼んでいたほどだった。

 再会して糸間の体型に驚いたのだ。昔のへと変貌を遂げていたからだ。

 彼女とはジュンとも仲が良く、楽器の奪い合いで、口論になったことを思い出しはじめていた。

「ねぇ、コウちゃんって奏者になったんでしょ!」

 えっ? と、戸惑いながらも、

「楽器は得意なのよね?」

「う、うん。……まあね」

 糸間がどこからともなくハーモニカを差し出してくる。

「ねぇ、これでやってみせてよ」

「え、でも……」

 誰のかもわからないハーモニカでは、抵抗感がノゾミにはあった。

「これ、誰のハーモニカ?」

 銀色に輝くも古さを物語るほどつかわれたものだった。単音の十の穴が開いている。小さい型の子供でも扱えるハーモニカである。

 ノゾミには見覚えがあった。念入りに調べてみると、イニシャルの頭文字の『J』がかすかだが読み取れた。

「ジュンちゃんが忘れていったものなの」

「ジュンも来てたの?」

 糸間は大きくかぶりを振り、

「昨日、遅くまでこの会館で練習してたらしくて、久々に驚かそうとして、今日コウちゃんとセッションするとかで意気込んでいたみたいよ」

「でも……」

 真っ先に現れるはずのジュンの姿は、会館内には見当たらない。

「うん、なんか、ここに来る途中で行方不明になったとかで……」

「行方不明?」

「ものすごい大雨だったでしょ? 朝早くに出たとかで連絡もとれないの」

 スマホを取り出し、画面を見るもノゾミは愕然とする。なぜか、圏外の表示がされていた。

「そんな……」

「雨もやんできて、やっと呼びに行けるようにはなったけど」

「あたしも捜しに……」

「でも、イベントは、どうするの?」

「奏者メンバーがいないとセッションもイベントもできないもの」

 ノゾミは念のため会館代理というハツキに、メンバーのことを訊くも知らないの一点張りであった。




 ノゾミは糸間に改めて訊き返した。

「ねぇ、イー……、糸間さんって今でもハーモニカできる?」

「えっ、私、自信ないよ。子供のころはジュンちゃんとかコウちゃんとできたけど、今は全然だから」

「そっか……」

 あっ、でも、とノゾミに訊き返した。

「ジュンちゃんなら、今でもコウちゃんと息がピッタリ合うかもしれない」

「どうかな?」

「だって、学芸会の時に演奏した『星に願いを』だったっけ。あれ、すっごく印象的だった。あれで私も奏者になりたいとか思っちゃったりしたもん」

 昔の学芸会の話を持ち出され、ジュンの忘れていったとするハーモニカをノゾミはながめた。ノゾミが奏者をこころざそうとしたきっかけである『星に願いを』や『虹の彼方』の曲は、いまでも彼女自身の得意な一曲になっている。

「寝食を忘れるくらいジュンちゃんと練習していたってことでしょ?」

「うん、たしかに……」

 ノゾミ自身、二十年経過して本当にセッションができるかはさすがに自信が持てない。でも、地域に貢献できるのならこれほどいいセッションは、他には見当たらないとも考えた。引っ越しの日にもらったハーモニカを大事に海外で奏者をして、認められ始め、そしてまた故郷で旧友と盛り上げる。またとないチャンスなのでは、と彼女は興奮にみちた顔になる。

「糸間さん、ジュンちゃん……河草くんを一緒に捜しに行かない?」

 首を横に振り、

「待ってるわ! 一度外で捜したんだけど、私、こんな体型だから疲れちゃって」

 糸間が大きい体に真ん丸なお腹をポンポン、と相撲取りのようにたたく。

「そう、なんだ!」

 無理もないかも、とノゾミは心でつぶやいた。

「コウちゃん、頼んだよ。幼馴染ならだいたいの場所わかるかも」

「そんなぁ、エスパーじゃあるまいし」

 ノゾミは、見慣れた会館の出入り口をあとに外へと出て行った。


後編へつづく










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