鍵_その2

 ひとりの少年が慌てた様子で校門へと入っていく。少年は小学生だ。

 昼間ではあるものの学校内は、ひっそりとしていた。すでに下校時刻を過ぎているようだ。

 校舎に入った少年は、風をきり下駄箱へと滑り込んでくる。靴を自分の下駄箱には入れることなく、素足で教室のある廊下を走った。

 窓からは冷たい空気が入ってくる。時折、ガタガタと震えさせていた。

 冷たいコンクリートの廊下を難なく走り抜け、比良坂一真ひらさか かずまは六年ニ組の教室の前まで来て息を整えた。


 窓は閉まっているものの、教室内は冷たい空気に満たされている。

 トレーナー姿の少年は、寒さを気にする様子がない。今まで走っていたせいもあるのだろう。自分の座っている机にむかい、何やら隈なく見ている様子だった。

「おかしいなぁ。たしか机の上に」

 入り口から若い女性が教室をのぞき込み、少年がいることに気づいた。彼女は暖かそうなピンクのセーターを着込んでいた。

「どうしたの? 比良坂くん、下校時刻はとっくに過ぎているのよ。忘れものでもしたの?」

「先生、それが……」

 彼女は比良坂一真の担任教師のようだ。

 比良坂一真は、両親が親戚の家で泊まることになり、1日留守番することになったという。家のカギを朝の時点で渡されたと説明した。だが、どこかで家の鍵を失くしたというのだった。

「家の鍵を? 教室以外で心あたりの場所はすべて行ったの?」

 少年は小さく頷く。

「先生、どうしよう……」

 少年が不安な顔をあらわにしてそれにつられ、女性教諭もどことなく顔色を曇らせた。

「授業が終わって教室を出る前までは、あったの?」

 少し間を置き、少年は考え込むも頷いた。

「うん、いつも鞄の奥に入れてるんだ」

「いつも? あ、でも……」

 女性教師は彼がなにも持っていないことに気づく。

「鞄は?」

「すぐに見つかると思って家の外に置いてある」

「わかったわ。先生も一緒になって考えるから、とりあえず、職員室にいきましょう」

 教室を出ると職員室の方へと向かっていった。


 職員室の中は、廊下とちがい暖房が効き、教師たちはうす着になっている者までいた。女性教諭は教員たちに事情を説明する。

 ひとりの男性教諭が、比良坂の様相に違和感を持った。男性教諭の記憶では、朝みかけた時と服装が違っていたのだ。

 男性教諭は、かつて比良坂一真を担当した教師だった。

「比良坂、六年にもなって忘れものするようじゃ、この先大変になるぞ」

 男性教諭は皮肉そうな顔で少年をみつめる。

「カシマ先生、そんなこと言うもんじゃないですよ」

 女性教諭はしかめた顔でカシマ教諭に反論した。

「先生、今日はたまたまだよ」

「たまたまか。それなら……」

 ひとつうなずくとカシマは自信の満ちた顔で、

「先生と賭けをしないか?」

「カシマ先生!」

 女性教諭が首を横に振る。

 カシマは、女性教諭を手で制した。

 大丈夫だ、と言いたげな顔で一瞥いちべつした。

「もしかして、鍵のある場所、知ってるのか?」

 カシマ教諭は首を振って否定した。

「先生は、比良坂の担任だったんだ。お前の行動は大抵わかる。5時までに家の鍵を先生が見つけることができたら、一つだけ先生の手伝いをして欲しい」

「競争か? じゃあ、僕が先にみつけたら?」

「比良坂の手伝いをひとつしてやろう。どうだ?」

 少年は一瞬うつむき考え込んだ。

「僕の手伝いがふたつなら、いいよ」

「お、自信があるようだな。それなら、先生も、条件がほしいがいいか?」

「いいよ、なに?」

 カシマ教諭は、比良坂少年の朝からの行動範囲を訊いた。すばやく、メモ用紙に殴り書きで書き記す。

「これで全部か?」

 女性教師は何気なしにカシマが書いた殴り書きのメモをながめた。首をひねって考え込んでいる。

 カシマ教諭は、室内の掛け時計を見る。

「いま、丁度午後の3時だな。2時間以内で見つかるか、勝負だ! みつかってもここに戻って来いよ」

「うん!」

 比良坂一真は、一つ返事をすると職員室を飛び出していった。何やら、心あたりのある場所を思い出したのだろう。



 女性教諭は、怪訝そうに首をかしげている。

「カシマ先生、ずいぶん自信があるようですが、すでに見当がついているんですか?」

 カシマは不敵そうに笑みをみせた。

「あの子の性格は3年生、4年生と担任をしてきて熟知しているつもりですよ」

「それじゃぁ」

 頷きを見せた。不審そうなかおで女性教諭に訊き返した。

「逆にあなたはどこにあるか全くわかりませんか?」

「はい、見当も」

「まぁ、仕方ないか」

「知っているなら教えてくださいよ」

 カシマ教諭は頭をかき、机に向き直った。

「今日、朝から冷えてましたよね?」

「ええ、それが何か?」

「比良坂が教室にいた、と言ってましたよね?」

 女性教諭はうなずくもますます疑問に思っているようだった。

「この時期、教室や廊下はトレーナーを着ていても寒いはずです。教室で見たときに彼の印象はどうでしたか?」

「息切れを起こして慌てていたぐらいです」

「僕は、比良坂を朝見かけたときにジャケットの上着を着こんでいたことを思い出したんです」

 女性教諭も気づいたようだった。

「そういえば、たしかに。さっきみたときはトレーナー姿だった」

「それと、彼に訊いた今日一日の行動から屋内は、図書室のみで、その後はずっと屋外で遊んでいるようだ。おそらく、サッカーボールかバスケットボールで外に行ったのだろうと、僕は思いました」

 女性教諭は晴れた顔になった。どうやら、鍵のある場所に気づいたのだろう。

「君もわかったようですね」

 カシマは机から立ち上がろうとした。

「先生はここにいてください。わたしがとってきます」

「そうですか。それじゃ、頼みます」

 女性教諭は、そそくさとジャケットを羽織り廊下へと出て行った。



 午後4時50分に長針が差した。

 息切れを起こし、疲れた表情で職員室へと比良坂が入ってきた。少しうなだれた様子である。とぼとぼとカシマ教諭の机へとむかった。

「せんせぇ……」

 机に座ってPCでの作業をいったんとめ、比良坂少年を見据える。机の上に置かれた比良坂のジャケットから、鍵の束らしきものを手に取り彼に見せた。

 小刻みに揺れる鍵の束をみて、比良坂は一気にちからが抜けた様子で、わざとらしく、しょんぼりと首を落とした

「先生の勝ちのようだな」

 憎々しい顔で比良坂少年はカシマをにらみつけた。

 背後から、手が伸び無防備だった鍵の束を取り上げる人物がいた。女性教諭だった。

「カシマ先生! 教え子をいじめるようなことはしないで下さい!」

 カシマが少しふて腐れ気味に女性教諭をみつめた。

 彼女は、比良坂少年にむき直るとジャケットと鍵をわたした。

「先生!」

「忘れ物をしないようにしなきゃだめよ」

「はぁい! あ、でも賭けは僕の負けだから……」

「君が心配することないわ! カシマ先生の手伝いはワタシがするから、気にしないで。今後はしっかりしてね。先生との約束よ!」

 女性教諭は片目でウィンクをする。彼女は小指を差し出した。少年も気付いてか小指を出し、彼女と指切りの約束をかわした。

「はい!」

 元気よく比良坂少年は職員室を飛び出していった。



 カシマがいまだに不貞腐れた表情になっている。

 呆れた顔で彼女は眺めていた。

「なんですか。『逃がした魚は大きかった』みたいな顔して」

「あ、いや、むかしの俺みたいに思えて!」

「何を言ってるんですか、仕事しないと。片付かないですよ」

「へい、へい」

 渋々とカシマは、机に向き直った。




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