四章09:老兵、グスタフの覚悟

 今や老騎士となったオルランド・グスタフは「地獄の壁」と呼ばれた。若かりし頃を思い返す。不退の覚悟、鉄の意志、そして鋼の身体。そして不撓不屈の精神を初めて揺るがされた、あの化物との対峙の時を。


 ――ベヒーモス。

 クラスSの災厄。屈強な騎士ですら――、否、人の身では恐らくは歯が立たないであろうそれは、若き日のグスタフに大いなる絶望を刻み込んだ。努力では越えられない壁、人智では凌げない恐怖、いかなる理屈を付与してなお、震えてしまう、足。


 まさかそんな化物と、こうしてまた刃を交えるなど――、それも一対一で――、とは、どう世界がひっくり返っても、想像できるものではないなと

グスタフは思う。


 どうすれば遅れを取らずに済むか。弓も矢も剣も砲火も何一つ奏功せず、いたずらに積み上げられていく死骸。唯一穿ち得た目からダメージを累積し、数多の犠牲の末に、アルマブレッサの騎士団は勝利を収めた……と、なれば。


(目か……我が剛槍にて、彼奴の目を穿ち得れば、或いは……)


 レベルはともかくとして、装備品は最上級の品を与えれたばかりだ。前線の騎士が望む全てを、今自分は身に纏いここにいる。ならば……もしか、するなら。


(否……もしかするなら、ではないな。やらねばならぬ。断固、やらねば)


 眼前で咆哮をあげるベヒーモスに、一歩一歩にじりよるグスタフ。あらゆる魔物の中で最大級の巨躯を誇るベヒーモスは、その巨躯の為に初速が遅い。すなわち、一度速度が乗ってしまえば止めようがないが、こうした膠着状態から、突如として踏み込むという芸当はできないのだ。ゆえに、現状ならば動きは読める。読めるのならば、穿てる。


(頭を下げた……来るか……?)


 俄に頭を下げ、鼻息を荒くするベヒーモス。これは突進の合図だ。人身ならば掠っただけで致命傷だが、今の身体であるならば凌ぎきれる。直進、そしてすれ違い様に目に一撃だ。


「グゴオオオオオオオッ!!!」

(来たッ!!)


 案の定、初速は鈍足。そして読めているがゆえに、一層に鈍く感じる。徐々に早まる足並み。地を踏みしだく轟音。近づく距離……しからば。


「ちぇええええええいッ!!!!!」


 一閃。慢心の力で放たれた槍は、見事にベヒーモスの眼球を貫き、辺りには黒い血が溢れ出す。


「ガアアアアアアッ!!!」 


 痛みの余りに叫ぶベヒーモス。これで視界の半分を奪った以上、戦局の有利はグスタフに傾いた。


「すまんのエミリィ、お前の槍、使わせてもらう」


 一本目はベヒーモスの目に、それを予見しエミリィから拝借した二本目の槍。これで双眼を穿てば、あとはいくらでも料理のしようがある。


(来い化物……儂に二度目の喧嘩を売ったのが、ヌシの敗因じゃ)


 かくて激高のまま猛進するベヒーモスの両目に、グスタフの剛槍は力強く突き刺さる。視界を失ったランクSの魔物は、そうなればもう、熟練の騎士の玩具でしかなかった。


(無論、この縦横無尽に暴れる瞬間こそ、動きの読めぬ状況ではある。しかし……それはお主の周りに陣取っていればこその話じゃ)


 走り、鼻を踏み台に跳躍するグスタフ。いかに頑強な魔物でも、目の周囲にだけは装甲の継ぎ目がある。そこを狙い、振り下ろされる、剣、剣、剣。いくら猛獣が叫び暴れようと、突き刺した剣を支えに二本目の剣を振り下ろせば、グスタフほどの古豪が振り落とされる筈もない。


「…………」


 半刻は時が過ぎたろうか。或いはもっと短い時間かも知れない。気がつけばベヒーモスのいななきは小さなものに変わっていて、戦場には血まみれで立つ老兵だけが残っていた。


「終わったか……のう」


 遠くには、ただ一匹だけ叫ぶベヒーモスの声が聞こえる。という事は、南方軍に任せた一匹以外は、首尾よく誰もが倒し得たという事だろうか。


「まったく、最近の若い者は恐ろしいのう……」

 

 ひとりごち、ベヒーモスの双眼から槍を抜くグスタフ。それを腰に差し、彼は戦場に転がったままの、愛孫を抱きかかえる。


「すまなかったのぅ……エミリィ」


 しかしてグスタフの眼からは、未だ戦意が消えていない。……なぜならば、全てのベヒーモスを狩り終えた訳ではないのだから。


 そして老兵の姿は山腹から消えた。暴れ狂う最後のベヒーモスを、殲滅する為に。

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