四章03:渓谷、メールベルの惨劇 Ⅲ

 ――生存者の救出。そんなものがお題目に過ぎないであろう事は、現地の惨状を見れば明らかだった。原型も無いほどに押しつぶされた家屋。野ざらしの死体。踏み散らされた思い出の数々。


 本来なら吐き気を催すほどの異臭なのだろうが、満ちた瘴気のせいで鼻が効かず、えづくことも出来ない。ゾルド准将の部隊に混じり歩くクロノは、もはやフェリシアのガイドなしには方向すら分かりかねる始末だった。


「どうかなさいましたか?」

「いや、瘴気とやらに当てられるのは初めてでね……いまいち勝手が……ん」


 ノーフェイスが索敵に出ている手前、クロノとフェリシアはどうしてもバディだ。気がつけばフェリシアの身体は、ボディタッチを超えるレベルでクロノに密着していた。


「それは危のうございます。わたくしがお側についていないと……」

「それは助かるが……これではいささか近すぎないか?」


 というか既に、たわわなアレが当たっている。リーナクラフトのそれは、はちきれんばかりの圧迫感があったが、フェリシアの場合、ああこれがおっぱいだよなあという、だらしない柔らかさがある。


「あら、わたくしも恐ろしゅうございますのよ。なにせ同胞を裏切った非力な女魔族が一匹……ですもの。いつ誰に襲われるか怖くて怖くて……」


 こうなるとクロノには何も言い返せない。フェリシアの死因は、駆け落ちした男の村で、魔族であることがバレた末の凄惨なリンチによるもの。魔族を離れ、人里で愛した男の同胞に殺される。そんな恐怖を考えれば、久方ぶりの現世に震え上がるのも無理からぬと言えた。


「そうだったか……なら離れずについてこい。君のレベルは、他の子たちに比べるとまだ低い。クラスAの魔物を相手取るのは、少々厳しいだろう」


「ありがとうございます……ああ、ますたあの匂い……なんだかあの方にとてもよく似ていらして……わたくし……」


「……フェリシア。少々マスターに触れすぎでは? マスター、状況を報告します。前方の家屋、反応のあった箇所すべてを調べましたが……残念ながら、生存者は」


 と、フェリシアがクロノにしなだれかかったタイミングでノーフェイスが姿を現す。どうやらフェリシアの嗅覚自体は正確だが、死後間もない遺体と、生存者の区別まではつかないらしい。まあ、鼻どころか視界も危うい現状では、それだけでも十分に助かるのだが。


「そうだったか……ありがとうノゥ。やはりこの辺は全滅か」


 項垂れるクロノに、すっと身体を離すフェリシア。そして睨みを効かせるのは

ノーフェイス。


「周辺の魔物の討伐は、リーナさん、ララさんの連携でほぼ終えました。あとは南方軍に遺体の収容を任せ、我々は帰投しましょう」


「グスタフのお孫さん、無事だといいけど……この有様じゃ」

「マスター、根拠の無い憶測は、プラスであれマイナスであれ今は毒です。休みましょう」


「分かった……ありがとう、ノゥ」

「はい」





「おかげでこの辺りの魔物は概ね掃討できた。まさか数時間で片がつくとは……いったいあんたら何者なんだ……と、いや、勇者候補生だったか……その噂、あながち嘘ではないのかもしれん」


 帰投後、遺体の収容を終えたゾルド准将から礼を受けるクロノ。実際リーナクラフトとララの活躍は目覚ましいものがあったらしく、ランクAの魔物が次々と物言わぬ屍に変わっていったらしい。


「まあ、彼女たちは武闘派なので……それより、生存者の確認ができなかったのがつらい話です」

「やむをえまい……いつ魔族の襲来があるか分からず、遅々として進まなかった作業に進展があっただけでも善しとしよう。これで彼らに寝所を与えてやれる。冷たい土の中でしかないのが気の毒だが……」


 そう呻くゾルド准将の顔には、苦渋が滲んでいる。対魔族の前線では、こういう事が日常茶飯事なのだろうか?


「ところで、グスタフさんは?」

「もう戻ってきている。しかし驚いたよ。あの年であの動き、全盛期より強いんじゃないか……?」


「でしょうね……いえ、分かりました。ありがとうございます」


 スマホを見れば、確かにグスタフは帰投している。話を聞く為に、クロノは老騎士の元へ向かった。日はとっくに落ち、辺りは闇と、相変わらずのむせ返るほどの瘴気に包まれている。




「グスタフさん」

「おお、マスターか」


「どうでしたか?」

「どうもこうも……悲惨な有様じゃったわ」


「お孫さんは?」

「まだ見つかってはおらぬ……家はもぬけの殻、だが血痕も遺体もないという事は……」


「まだ生きている可能性がある、と」

「そうじゃな……そう信じたいだけかもしれんが……あれでも儂の孫、一通りの武芸の嗜みはある。しかし酷いものじゃ。他人の屍がこれだけ積み重なっているというのに、儂は、軍人であるにも関わらず自分の家族の事しか考えておらん」


「……気に病むことじゃないと思いますよ。実際、今回のクエスト、グスタフさんがお孫さんの為と言わなければ、僕はラピスさんを連れてくる予定でした。――何のために生きるか、それはとても重要な事だと思います」


「若者に諭されるとはな……かたじけない。じゃが安心せい。一眠りもすれば儂も騎士のはしくれ、もう十分に元気が滾っておるわい。――何より、孫娘と同じ齢のおなごたちが、ああして我先にと戦っておるのに、儂が銃後でめそめそしとるのでは、本当に孫娘に笑われてしまう」


 そう言って破顔するグスタフに敬礼し、クロノは宿所の天幕をくぐった。鈍色の夜は、まだ始まったばかりだった。

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