第7話 満員電車とかマジで無理

 時の流れとはかくも残酷なもので、あっという間にゴールデンウィークがやって来てしまった。今日はその二日目である日曜日。

 葵とのデート、その当日だ。

 そして現在、俺と葵の家から最寄りの駅前なう。時刻は九時半。待ち合わせは十時と伝えられていたが、早く着くに越したことはないだろう。

 さて。今日の予定は当日のお楽しみとか言われてなにも教えられていないのだが、大丈夫なのだろうか。変に張り切った結果、なんかよく分からない予定を組んでくるとか普通にありそうで怖いんだが。

 いやまあ、葵だってその辺り弁えているだろう。むしろ、色々考えた末に至って普通のデートコースになってる可能性の方が高い。

 そんなことよりも問題なのは、果たして今の俺の格好はおかしくないのか、だ。家にある服の中から一番マシなコーディネートでやって来たものの、所詮はユニクロで買ったシャツとジーンズ。なるべく清潔感のある格好をしたつもりではあるが、それもいつも通りに長い前髪と野暮ったい伊達メガネが無駄にしている。

 一人で遠出する時なんかは、整髪料を使ったりメガネも取ったりするのだが。今日それが出来ないのは、やはりかつてのトラウマ故に、葵のことを信じきれていないからか。

 彼女はそんな人間ではない。頭では分かっているつもりだ。決して長いとは言えない時間を共に過ごしてみて、それは理解出来ているのに、中々踏ん切りがつかない。

 俺の目を見たときの彼女の反応が、怖い。


「ははっ……」


 思わず乾いた笑みが漏れてしまう。

 どうやら俺は、反応を気にしてしまうほどには、葵に好意を寄せているらしい。それが恋愛感情云々でないとハッキリ断言出来るが、それでも彼女との関わりに意味を見出しているのは事実だろう。

 まあ、あんな可愛い子とお近づきになれるんだから、それをよく思わない男なんかいないって話だ。

 ともあれ、こうしてこの場に来てしまっている以上、俺の格好なんてもうどうしようもない。整髪料を持参しているわけでもないし、服を着替えに戻る余裕もあるわけがないし。

 去年の誕生日に母親から貰った腕時計に目を落とすも、待ち合わせの時間まではまだまだ余裕がある。さすがに三十分前は早かったかしらん、と思って顔を上げれば、見慣れない姿の見慣れた顔が、駅前の信号を渡ってこちらに駆け寄って来た。


「おはようございます大神くん。すいません、お待たせしちゃいましたか?」

「おはよう。俺も来たばっかだから、そんなに待ってない」


 現れた葵夜露は、マキシ丈の白いワンピースに水色の薄いカーディガンを羽織った、清涼感溢れる格好をしていた。正直、控えめに言ってめちゃくちゃ可愛い。全然控えてねぇな。

 広瀬以外で同級生の女子の私服なんて初めて見たが、制服の時とは随分と印象が違って見える。学校の中での葵は大人びた優等生というイメージだが、今の葵は年相応の、いやそれより少し幼くも見える気がする。

 まあ、大人びた優等生というイメージも、ここ数週間で完全に崩れ去ったわけだが。

 そんな現在進行形で絶賛キャラ崩壊なうの葵は、ワンピースのスカートをちょこんと摘んで見せ、頬を薄く染めて尋ねてきた。


「えっと、どう、ですか……? その、少し頑張って選んでみたんですけど……」

「……あー、可愛い、と思う。よく似合ってるよ……」


 返せたのは、そんなありきたりな言葉。なぜだか無性に照れ臭くて、顔も逸らしながらになってしまったけれど。

 チラリと盗み見た彼女の頬が、数瞬前よりも更に赤くなっているのを見て、間違っていなかったとホッとする。


「な、なんだか、本当にデートみたいですね……」

「や、デートって最初に言ったの葵だろ」

「ぁぅ……」


 ちょっとその可愛すぎる反応やめてもらえません? こんなん朝陽が惚れるのも納得だわ。だってめっちゃ可愛いし。あと可愛いし、それから可愛い。

 可愛い以外の語彙を喪失してしまった。


「で? 今日はどこ行くんだ?」

「あっ、えっと、隣町のショッピングモールに行って、まずは映画を観ます」

「ふむ」

「それからお昼ご飯を食べて、少しモールの中をふらつきます」

「ほう」

「以上です」

「うん。……うん?」


 え、それだけ?


「もしかして、どこか不満でもありましたか?」

「いや、そういうのは別にないけど……」


 なんか、身構えてた割には思ったよりも普通というか。いや、普通のデートがどんなのかは知らないんだけど。なにせ彼女いない歴=年齢なんで。


「まあ、んじゃとりあえず行くか」

「はいっ」


 一転、花のような笑顔を浮かべた葵と並んで、駅の改札へと向かう。ここから五つほど先の駅の切符を購入し、駅のホームへ降りる。目的の駅までは快速を使えばすぐだ。


「そういや、どの映画見るんだ?」

「アメリカのヒーローアクション映画です! 私のオススメなので、絶対面白いですよ!」


 ほう。これは意外。こんな可愛い見た目して、アクション映画とか好きなのか。人を見た目で判断してはいけないのはよく分かっているつもりだが、さすがにギャップがありすぎる。


「そりゃ楽しみだな」

「はい! 楽しみにしててください!」


 その後葵から、今回の映画の簡単なあらすじを聞いていると、快速電車がやって来た。やって来たのだが、なんと電車内は超満員。日曜にも関わらず、車内は大変混雑していた。

 まだ朝の十時前なんですけど、君らなんでこんな時間から電車とか使ってんの?


「見てるだけで嫌になってくるな……」


 普段中々電車を使う機会などないが、平日の朝っぱらから毎日こんな人間ミキサーにかけられている社畜のみなさんは、尊敬に値する。俺は真っ平御免だわ。

 しかも日曜という休日にまで、そんな地獄を味わおうという奇特な人間がいるのだ。申し訳ないが理解に苦しむ。

 ということで、この電車は見送って普通電車で行こうかと提案しようとしたのだが。

 ギュッと、服の裾に僅かな重みを感じた。


「葵?」


 隣の少女を見やれば、服の裾を握る力と同じくらい固く、唇を一文字に引き結んでいる。

 先ほどまでの笑顔はどこに消えたのやら。そこに見えるのは、怯えや恐怖の色。


「おい、葵。大丈夫か?」

「大丈夫、です……」

「満員電車苦手なら、一個ずらすぞ。変に強がらなくていいから」


 葵だって普通の女の子なんだから、あんなに人間がひしめき合った空間は苦手だろう。ただでさえ昨今は痴漢云々と恐ろしい話が絶えないのだし、ここは無理せず、空いている普通電車に乗るべきだ。

 しかし、葵はそんな提案には首を横に振る。


「いえ、本当に、大丈夫なんです。大神くんが一緒なら、大丈夫ですから」

「いや、でもだな」

「それに、少しでも時間に余裕を持って行動したいですし。ほら、扉開いちゃいましたから、行きましょう?」

「……分かった」


 結局、半ば押し切られる形で満員電車に乗り込む。扉が閉まれば中にいる人たちの圧力に押されて、電車が動き始めて揺れ出すと、それがさらにキツくなる。

 扉側に背を預けた葵を庇うようにすれば、自然と壁ドンじみた体勢になってしまい、こんな状況でも心臓は煩く鳴り始めていた。

 なにせ、体の距離が近いのだ。腕を扉につけて伸ばしているから、触れてこそいないものの、殆どゼロ距離。ここまで近づいたことは、これまでになかったから。


「あの、大神くん。もう少し楽にしても大丈夫ですよ?」

「いや、さすがにそれは……」


 腕を伸ばさず肘で体を支えれば、たしかにかなり楽にはなるが。そうすると今度は、葵と完全に密着してしまうことになる。

 そのことに対する恥ずかしさはあるものの、なによりも、葵にも負荷がかかってしまう。それを避けるためにこうして貧弱な体に無理をさせているのだ。悪いが、簡単に頷くわけにはいかない。


「私は大丈夫ですから。だから、ね?」

「……」


 見上げてくる視線に耐えきれず、結局伸ばしていた腕を曲げて扉に肘をついた。

 哀れなり大神真矢。即堕ち二コマかよ。

 葵の指は未だ俺の服の裾を握っていて。今はそれだけじゃなく、体が完全に密着してしまっている。

 触れ合っている彼女の柔らかさとか、すぐ目の前から香るいい匂いとかが脳を支配してしまって、余計な煩悩まで出てくる始末。

 それでもなるべく葵に負担がかからないようにしようとするも、背中にかかる圧力は衰えることがない。一度腕を折ってしまった時点で、俺の負けは決まっていたのだ。所詮大神真矢は満員電車の敗北者じゃけぇ。

 でも美少女とこんなに密着できてる時点である意味勝者だと思うの。


「大丈夫か?」

「心配しすぎですよ」


 声をかけてみれば、クスリと微笑み混じりの返答が。それにホッとして視線を真下にやれば。


「ぁ……」

「……っ」


 すぐそこにある、綺麗な瞳と視線がぶつかった。

 俺は朝陽みたいに身長が高いわけでもない。しかも体勢的に腰も若干曲がってるから、幾ら女子の平均的な身長の葵とは言え、顔と顔が接近してしまっているのはもはや当然で。

 呼吸が止まる。その大きな瞳に吸い込まれるのではないかと錯覚する。彼女の息遣いが、体温が、柔らかさが、密着した体を通して伝わってきてしまう。

 距離の近さに驚いたのは葵も同じなのか、ただ目を大きく見開いているだけだ。

 ただそれも一瞬のうちだけ。徐々に真っ赤に染まってきた頬は、もはや見慣れた表情。それを隠すように俯いてしまえば、自然と俺の胸に頭を預ける形になってしまった。

 遅れて同じ色に染まる俺の顔。心臓の音を聞かれているみたいで恥ずかしい。

 目的の駅までは残り三分。

 俺にカラータイマーがついていたら、既に点滅して大きく音を鳴らしているところだった。俺がウルトラマンじゃなくて感謝して欲しいぜ、全く。

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