第2話 再会は予想より早く。

 やってしまった。やらかしてしまった。あれだけ頑張って想いを込めた手紙も忘れ、時間がないのに朝のあんな時間に呼び出してしまい、挙げ句の果てには嫌いだから付き合えと。

 しかも自分のミスを自覚した途端、その場から逃げてしまった。嫌われてないかな。嫌われちゃっただろうな。

 だって、わざわざ呼び出されて向かった先にいた女の子に、嫌いだから付き合えって。そんな意味のわからないことを言う女、彼じゃなくてもごめんなさいだろう。

 でも、私は知っている。彼が、大神くんがそれくらいで誰かを嫌うような人じゃないことを。彼は私のことをそんなに知らないかもしれないけど、私は彼を知っている。

 だってこの二年間、ずっと見てきたから。

 あの日、私を助けてくれた時から。

 でもひとまずは。


「凪ちゃん助けてぇぇぇぇぇ!!!」


 この状況を打開するため、親友に助言を貰うことにしよう。

 電話の向こうから聞こえてきた声は、呆れたため息混じりだった。







 葵夜露と俺の接点と言えば、朝陽と彼女が友人同士で、しかも朝陽が想いを寄せている、くらいのものだろう。

 もう一人、一応知り合いの範疇に収まる奴が葵の親友を自称しているが、そっちはまあ放っておこう。

 つまり、直接的な関わりは殆ど皆無と言ってもいい。朝陽の幼馴染だから、向こうは俺のことを知ってはいたかもしれないが、所詮はその程度だったはずだ。

 二年の頃は葵ともクラスは同じだったから、彼女がどれだけ器量のいい女の子なのかも知っているつもりではある。だからこそ、信じられない。あんな意味不明な告白じみたことをしたと言う、その現実が。

 そんなことに頭を悩ませていると、気がつけば昼休み。午前中の授業はなにも頭の中に入ってこなかった。どうやら俺は、いつの間にかキングクリムゾンを使えるようになったらしい。嬉しくねぇ。

 さてと。今日も今日とて昼飯求めて購買へ向かうとしますかね。

 立ち上がって教室の中を見渡すと、朝陽は友人達に囲まれ、賑やかなランチタイムと洒落込んでいる。その中にいつもいるあいつがいないことを不思議に思いながらも、まあそんな日もあるかと教室を出た。その瞬間。


「あっ」

「げ」


 そこにいたのは、紛れもなくやつさ。いや、コブラじゃなくて。

 弁当箱が入っているであろう袋を持った、長い黒髪の女の子。そう、葵夜露がそこにいたのだ。

 まさかの再会は思ったよりも早く、それでいて全く予想していないタイミングだったので、つい失礼な声が出てしまった。ついでにバクバクと煩く鳴り出す心臓。

 それらを取り繕うように咳払いを一つ。そう、平常心だ、平常心。俺はコミュ障というわけではないのだから、会話くらいは普通にできるはず。


「広瀬ならいないけど」

「えっ? あっ、いえ! 凪ちゃんに用があるんじゃなくてですね!」

「じゃあ朝陽か?」

「伊能くんでもなくて、その……」


 ふむ、どうやらその二人のどちらかに用があるわけでもないらしい。なら果たしてこのクラスに何の用があってやって来たのか。俺には皆目見当もつきませんねー。

 ついには葵も俯いてしまい、包みを持った手はモジモジと。なんだか俺が虐めてるみたいでこの構図はマズイ。

 と言うわけで、三十六計逃げるに如かず。葵の横を素通りして購買へ向かうとしよう。うん。あの二人以外に用事ということであれば、俺に出来ることはなにもない。


「ま、待ってください……!」

「え」


 が、しかし。離脱失敗。葵の細い指が、横を通り過ぎようとした俺の二の腕をがっちり掴んでいたのだ。更にはズイッと距離を詰めてきて、俺よりも頭一つ分小さな葵から爽やかな柑橘系の香りが鼻腔を擽る。

 ちょ、ちょっとー! 誰か助けてー!


「わ、私は、大神くんに用事があるんです……!」

「お、俺……?」


 いやまあそうだと思ったけどさ! 朝のアレがあっての我がクラスにご訪問なんだから、そりゃそうなんだろうけどさ! 取り敢えず離れてくれませんかね色々とヤバイから!

 何がヤバイって周りの目がヤバイ。突然廊下で男女がくっつき出したのだから、そりゃ思春期真っ只中の猿同然な高校生の注目を集めることになってしまう。

 教室内からも、なんだなんだとこちらへ刺さる視線を感じる。一番まずいのは、この状況を朝陽に見られてしまうことだ。俺に隠れて葵の姿は見えていないのか、教室内で特別騒ぎ出すやつはいない。だが、廊下にいる生徒達には当然のように俺と葵、両方の姿が見えている。

 さっさと離れた方が、身のためか。


「分かった、分かったから取り敢えず離してくれ。そんで場所を変えよう」

「は、はいっ!」


 パッと華やいだ笑顔は、夜露なんて名前には似つかわしくない、太陽を思わせるもの。それをゼロ距離で受けてしまえば、自然顔には熱が集まってしまう。これだから美少女ってやつはセコイ。

 付いてきてください、と言った葵の後ろを、少しだけ距離を開けて歩く。隣を歩く度胸はない。なんならその資格すら有していない。

 だって相手は、学年の中でもそれなりに有名な美少女なのだ。ニコニコと笑顔を浮かべている今だって、廊下にいる男子生徒を魅了している。まるで辻斬りのように。

 そんな葵に比べて、俺はボサボサの髪の毛にメガネをかけたパッとしないと言うか、控えめに言って超ダサい男子生徒A。そんなやつが隣を歩いていたら、周りの男子生徒から顰蹙を買うだけだ。

 そもそも、なんだってそんな、青春してますよーみたいな感じを醸し出さなければならないのか。朝の騒動があったから自分でも忘れかけていたが、そう言うリア充っぽいというか見るからにアオハルですっ☆みたいなのは毛嫌いしているのが俺だ。

 今更言ったところで説得力ないとか言わないでね。

 暫く歩いていると、葵が向かおうとする先もなんとなく予想出来てきた。階段をひたすら上に登り、やがて人気もなくなってくる。まさか人のいない場所で強面の男達が出てきて乱暴されるのかしら。エロ同人みたいに。

 まあそんなわけもなく、やって来たのは朝と同じ場所。そう、屋上だ。

 葵が開いた扉の先には、朝と変わらぬ晴れ空が広がっている。そしてそこに、女子生徒が一人、既にいたのも同じく。

 違うのはその人物。さきほど教室で見かけなかった、葵の親友。


「凪ちゃん! 連れて来ましたよ!」

「お、ちゃんと連れて来たね。偉い偉い」

「なんで広瀬がここに……」


 広瀬ひろせ夕凪ゆうなぎ。葵の親友であり、朝陽の再従姉妹はとこであり、俺にとって一応幼馴染と言えなくもない女子である。学区が違ったから、小中と違う学校ではあったものの、朝陽を通して面識はあった。

 葵の長く艶やかな黒髪とは対照的な、明るい茶髪のいわゆるギャル。制服もかなり着崩していて、どうしてこんなのが葵の親友なのか不思議なほどだ。


「よっす大神。わざわざ来てもらって悪いね」

「悪いと思うなら、色々説明して欲しいんだけどな」

「まあまあ。それはあたしじゃなくて、夜露から聞いてくださいな。んじゃ夜露、あたしは教室帰るからね」

「えぇ⁉︎ 凪ちゃんも一緒にいてくれるんじゃないんですか⁉︎」

「一人で頑張りなさい。あと大神、これあんたのね。お金は後で返してくれたらいいから」


 葵の悲痛な叫びなんぞ聞いていないのか、広瀬は俺に購買のパンを渡した後、軽い足取りで屋上を出て行ってしまった。残されたのは俺と葵の二人だけ。奇しくも、朝の状況を再現してしまったことになる。

 なんかもう嫌な予感しかしないのだが、ここで逃げ出すわけにもいくまい。いや、本当、逃げたいんだけどね? でもほら、葵さん今にも泣きそうだし。さすがにそんな女子を一人放って置くのはね?


「えっと、取り敢えず要件はなんなんだ?」


 このままでは埒があかないので、俺から切り出してみることに。

 肩めっちゃビクッてなってたけど、大丈夫だろうか。大丈夫じゃなさそうだな。


「いえ、その、要件と言うほどのことでもないんですけど……お、お昼を、ご一緒出来たらと思いましてですね……!」

「はぁ……」

「そそそそれからっ! 朝のこともちゃんも謝りたいと思いまして!」


 真っ赤な顔して一生懸命に言葉を紡ぐ葵は、失礼ながら幼い子供のようだ。いつもはもっと大人びた雰囲気を出していて、実際周りからの評判もそんな感じなのだが。

 しかし、やはり朝のことについての話になるか。あの、全くもって意味不明な告白じみたなにか。果たしてその真意やいかに。


「ひとまず、あれは無かったことにしていただけないでしょうか……?」


 ほう?


「あの、その、なんと言いますか、あの時はテンパっていたと言うか、緊張していたと言うか、別に大神くんのことが本当に嫌いなのではなくて、むしろその逆というか……ああいえ! なんでもないですなんでもないです! と、とにかく、あれは無かったことにしてください!」


 大きな声で矢継ぎ早に言葉を並べ立てる葵。俺は断じて難聴系鈍感主人公などではないので、しっかり全部聞こえてしまった上に朝のあれの真意もなんとなく察してしまえたのだが。

 むしろ、難聴系鈍感主人公になれたら、なんて思う日がまさか来てしまうとは。

 なに、これ。え、俺は今の言葉になんて返事をしたらいいの? 朝のあれよりもよっぽど告白っぽかったよ今の。

 正直、無かったことにしてくれと言われて、簡単にそうできるような出来事ではなかったのだけれど。まあ、本人がこういうのだ。朝のあれは忘れたということにしておこう。


「あー、分かった。朝のあれは忘れる。で、一緒に飯食えばいいの?」

「は、はいっ!」


 喜色満面とは、まさしく今の葵のことを言うのだろう。頬が赤いままなのもまた、彼女の可愛さに拍車をかけている。

 しかし、葵は朝陽の想い人だ。それを忘れてはいけない。幼馴染とか親友どころか、むしろ俺にとっては恩人にも近い朝陽が好きな相手なのだから。一線は引いておかなければならないだろう。

 葵に促され、フェンスのそばに二人で腰を下ろす。ちゃんと距離を開けて座ったはずなのに、なぜか葵はその距離を詰めて来て、もはや体が触れてしまいそうな距離。いい匂いするかれやめてくれ。


「なぁ、ちょっと近くないか?」

「へ? そうですか?」


 そうですよ。近いんですよ。こいつは自分の顔面偏差値の高さを自覚してるのかね。

 再び俺から距離を開ければ、葵がそれを詰めることはなかった。が、その表情はシュンとしていて、飼い主に叱られた犬のようだ。罪悪感覚えるからやめてほしい。

 それから俺は広瀬に貰ったパンの袋を開け、葵も弁当を広げて仲良くお昼ご飯。

 なんてことにはならず。ただただ無言。俺は別に話すことがあるわけでもないからいいものの、誘って来た葵はこれでいいのだろうか。めっちゃ幸せそうにタコさんウインナー食べてるけど。弁当の中身すら可愛いってどういうことだよ。

 その後も本当に会話はなく、気づけばお互いに食事を終えていた。そうなれば無言というわけにもいかず、なんとなく気まずい雰囲気が漂う。

 うーん、これ、俺から何か話しかけた方がいいんだろうか。でも気の利く話題なんてなにもないぞ。いや、一つだけあるっちゃあるけど。気の利く話題かは知らんが。

 というわけで、一つ質問を。


「あー、葵ってさ、朝陽と仲良いだろ?」

「伊能くんですか? たしかに、伊能くんはいいお友達ですよ」


 ごめん朝陽、お前全く脈なしだわ。こんないい笑顔でお友達宣言しちゃってるよ、お前の好きな女の子。

 突然の質問に葵は首を傾げているものの、俺は抱いてしまった複雑な感情ゆえに、それ以上なにも言えなくなる。

 マジで、朝陽になんて言えばいいんだよこれ。


「そ、そんなことよりもですね」


 そんなこと扱いされちゃってるし。


「あの、大神くんの連絡先とか、教えてくれたら嬉しいなーって、思ったりもするんですけど……」

「ああ、連絡先ね……うん、別にいいけど……」

「やったっ、ありがとうございます!」


 連絡先程度、減るもんでもないし。

 嬉しそうにニコニコしながらも携帯を取り出す葵。感情表現が豊かというか、そういうところは素直というか。朝の時も素直に言ってくれれば一発でごめんなさい出来たのに、こんな風に近づかれてしまっては無碍に扱えなくなってしまうじゃないか。

 かくして俺のスマホのラインに、一人新しい名前が増えることとなった。同時に、昼休み終了の予鈴が鳴る。


「あの、大神くん」

「ん?」


 ゴミを纏めて立ち上がれば、座ったままの葵に名前を呼ばれる。そちらに振り返れば、美少女の上目遣い。やはり頬も薄く染まっていて、しかしそこには少しの不安が覗いている。

 一線は引かなければと考えたくせに、その表情に引き込まれてしまう。

 改めて考えなくても、葵夜露はとても可愛い。そんな子が、なぜ俺なんかに。


「明日も、一緒にお弁当食べてくれますか……?」

「……まあ、いいけど」


 ここでノーと答えることが出来れば、どれだけ楽だったか。

 なんだかんだ言いつつも、所詮は俺も、立派な思春期の男子高校生でしかなかったということか。

 明日、朝陽と広瀬も連れてこようかな……。

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