第5話 飛香炫のヒーローロード


 終業式の日も近い、ある朝。この日は夏休み直前であることから、夏休み中の過ごし方について教師陣からの指導がある――のだが。

 飛香炫は制服ではなく黒いライダースジャケットに袖を通し、愛車である「VFR800X」に跨っていた。朝日の輝きが、その車体の赤いボディを照りつけている。


「……結局、こうなっちゃったか」


 寝ている母を起こさないよう、慎重に家を出ていた彼は――学校をサボり、ある場所を目指そうとしていた。玲奈から貰った、地図データを手にして。

 そんな彼が跨る「VFR800X」の後部には、色取り取りの百合を包む花束が括られている。


 ――今日は、伊犂江優璃の17歳の誕生日。

 自身の罪と向き合い、贖いへの一歩を踏み出すには……彼女の誕生日に彼女が求めていたものを、差し出すより他ない。それが、彼なりの結論であった。

 すでに学校には風邪で休むと連絡済み。仮病は仮病だが、今回限りだから大目に見てもらおう……という判断だ。


(こんなことで許してもらおうなんて、甘い話だけど。このまま逃げ続けるわけにも、いかない)


 玲奈が言うように、自分を許すにはまだ時間が掛かる。だが、それを待っていたら優璃は取り返しがつかないほどの、絶望に沈んでしまいかねない。

 なら、せめて償いとして……(利佐子から聞いた)彼女が望むものを捧げる。そうしなければ、前に進めないのだ。炫は己の決心を示すように、白いタオルをマフラーのように首に巻く。


 ――しかし。


「飛香炫。……ここで何をしている」

「……!?」


 誰にも目撃されない時間帯に、誰にも目撃されないルートで出発するはずだったのに。最も見られてはならない人物に、出掛けて早々に出くわしてしまうのだった。

 真殿大雅。生徒会長であり、規律を重んじる彼が、仮病に乗じたツーリングなど見逃すはずもない。万事休す。


 ……と、普通なら思うところなのだが。


「ま、真殿君。それって……」

「買った。……なんだ、生徒会長がバイクを持っていたら不都合でもあるのか」


 黒とシルバーに塗装された、流線型のボディを持つバイク「VFR800F」。それに跨る大雅もまた、翡翠色のライダースジャケットを羽織っていたのである。


「いや、そんなことないけど。真殿君、今日は土日じゃないんだよ……?」

「ふん、お前がそれを言うのか? この不良問題児陰湿変態偏屈仮病ゲーム脳オタク野郎め」

「過去最長の罵倒だ……っていうか、オレはまだしも生徒会長の真殿君がフケちゃうのは不味いよ!」

「心配するな、俺も仮病だ」

「カッコよく言わないで! だいたい、なんで真殿君がこんなとこっ――!?」


 生徒会長ともあろう者が、仮病してまで朝早くにバイクで出掛ける。その意図を見出せず、思わず声を上げてしまう炫の眼前に――ある1枚の色紙が突き付けられた。

 それに書かれている文字の量と、その内容に……炫は、かつてないほどの衝撃を浮け、瞠目する。


「……こ、これ」

「伊犂江さんのことで、お前が何かコソコソしているのは分かっていた。……だがな、彼女のことを今でも案じているのは、お前だけじゃない」


 その一面には――優璃と利佐子に宛てられた、クラスメート達の寄せ書きが詰まっていたのだ。炫からそれを取り上げた大雅は、「VFR800X」に備え付けられている花束を一瞥し、フンと鼻を鳴らす。


「どうやったかは知らんが……お前が学校をサボってまで、今日ここを飛び出すということは……伊犂江さんと蟻田さんの行方を掴んだのだろう?」

「……! まさか真殿君、そのために!?」

「伊犂江さんに誕生日プレゼントなど……そんな大役、お前ごときが務まるものか。だいたい、花よりも先に渡すものが、ここにあるだろうが」

「……」


 そんな大雅の横顔を、炫は感極まった表情で見つめる。

 もう誰も、彼女を覚えていないと思っていた。皆、彼女を忘れてしまったのだと思っていた。そう思っていたのは、自分だけだったのだ。


 ――絆はちゃんと、ここにある。優璃も利佐子も、独りなんかじゃない。大雅の存在と、彼の手にある1枚の寄せ書きが、それを炫に教えていた。


「……ありがとう。真殿君」

「お前の礼なんかいるか。ほら、さっさと案内しろ。それとも場所だけ教えて、お前は帰るか?」

「ううん……行くよ。真殿君こそ、その寄せ書き預けてくれたら、花と一緒にオレが届けるのに」

「バカ、何度も言わせるな。皆の……伊犂江さんと、蟻田さんを想う気持ちが詰まった1枚だぞ。お前なんかに任せられるか。さ、行くぞ!」


 大雅も口先では炫を邪険にしているが……横目で炫を見つめるその眼差しは、心配げな色を帯びている。彼なりに炫を案じている様子が、その貌に現れていた。


「……うん!」


 友達を得られない寂しさを抱えて、思春期を過ごした炫にとっては。その不器用な彼の優しさが、身に染みるような喜びへと繋がっていた。

 大雅の不遜な貌に、満面の笑みを向けて。贖罪を胸に抱く少年は、白タオルを翻しハンドルを握る。


 ――丘の上に囚われた、姫君の元を目指して。


 ◇


 都心から遠く離れ、高速道路を通じて山に入り、さらに数時間。太平洋側の海原を一望できる景色が、ガードレールの向こう側に広がっている。

 朝早くに出発し、昼下がりを迎えた今でも――彼らはただ、アスファルトの道を走り続けていた。


「飛香炫、まだ着かないのか!? もうかれこれ、8時間は走ってるぞ!」

「もうすぐ伊犂江さん達がいる山の入り口だよ! そこから山道を通って行けば……!?」


 それでも彼らは、長い道を走り続け――2人が待つ峰山の麓へと、辿り着こうとしていた。


 しかし。通行止めなどされていないはずの山道の入り口には……1台のバイクが、待ち伏せるかのように停まっている。

 青く塗装された車体は道路に対し平行に向けられており、こちらの進行を阻止する意図が感じられた。


(……!?)


 しかも。そのバイクにも、そこに跨る金髪の少年にも、見覚えがある。炫はヘルメットの下で瞠目し、彼の目前で停止した。その後に続くように、大雅もバイクを停める。


「……おいお前! なんの真似だ、ここを通せ!」

「まぁまぁ、そう怒らないでくださいよ。必要なことなんです」

たける君……!? どうして君が!」

「なに? 知り合いなのか?」

「あぁ……うん、ちょっとね」

「お久しぶり。……あの日以来ですね、炫さん」


 憤る大雅を片手で制しつつ、炫は金髪の少年――天野猛あまのたけるとの再会を果たす。1年前、共に戦い伊犂江グループに終焉を齎した「レヴァイザー」の正体が今、炫の眼前に現れていた。


「猛君……どうして君がここに?」

「伊犂江優璃さんのこと。玲奈さんから、色々聞いてたんですよ。で、ちょっと助太刀にと思いまして」

「お前みたいな子供に用はない、さっさと道を開けろ!」

「あはは、僕としても早く行かせてあげたいんですけどね。このままじゃ伊犂江さんには会えないから、僕がここに来たんですよ」

「どういうこと?」

「……その様子だと、やっぱり肝心なことが聞けてなかったみたいですね。全く、あの人はおっちょこちょいなんだから……」


 猛の発言の真意が読めず、炫は眉を潜める。そんな彼の様子を一瞥し、猛は山の頂に窺える丘を指差した。


「伊犂江さんと蟻田さんは、あの丘の上にある屋敷に住んでるんです。でも、そこに続く陸路はまだ開通されていません。本来、ヘリで行くような場所ですから」

「開通されていないだと!? じゃあ……バイクでは通れないということなのか!?」

「そうなります。……行けるとこまでは行けるでしょうけど、そっから先はロッククライミングですね」

「そんな……それじゃあ……」


 道がそもそもないとあっては、バイクがあっても限界がある。ロッククライミングまでするような用意もしていない。

 となれば、一旦引き返して手段を考え直すしかないだろう。彼女の誕生日にプレゼントを渡すことは、諦めるしかない。

 8時間もかけた旅路が無駄になってしまったと、炫は肩を落とす。だが、猛は「心配することはない」と大らかに笑い、親指を立てていた。


「大丈夫。いいものを持って来たんです。これがあれば、ロッククライミングなんて余裕ですよ」

「え……」


 猛は炫を励ますように笑いかけながら、バイクのタンデムシートを開き――そこから、あるものを取り出した。

 それを目にした炫は、思わず瞠目する。猛の手に握られていたのは――彼が変身の際に使うものと同規格の、ベルトのバックルだったのである。


「天村財閥からあなたへの餞別……みたいですよ」

「これ……ベルト、だよね。レヴァイザーの……」

レヴァイザーあなたグランタロトの戦闘データを基に、天村財閥が特別に造ったんです。急造なもんで、あんまりいい性能じゃありませんけど……山登りくらいなら楽勝ですよ」

「もしかして猛君、これをオレに渡すためにわざわざ?」

「……伊犂江さんを救ってほしい気持ちは、僕も同じですから。玲奈さんも、きっとそちらの人も」

「猛君……ありがとう、本当に」


 猛は炫にバックルを託すと、年不相応に落ち着いた物腰のまま、穏やかな笑みを浮かべる。彼らもまた、伊犂江家の破滅に関して思うところがあったのだと知り、炫は頬を緩めていた。


「あの天村財閥から、お前に……!? しかも、あの『レヴァイザー』と同じ変身ベルト……!? 一体何がどうなってるんだ……? 飛香炫、お前は一体……」

「あ、え、えぇとね真殿君、これはその……」

「……ふん、まぁお前のことだ。どうせ俺の目が届かないところで、コソコソ何かやっていたんだろう。この際だ、今日のところは野暮なことは聞かないでおいてやる」

「真殿君……」


 一方、大雅は並々ならぬ人脈を持つ炫に対し、訝しむような視線を向ける。だが、自分の追及に肝を冷やす彼の様子を眺めるうちに、毒気を抜かれたのか――深い溜息をつきながらも、これ以上の言及を取りやめるのだった。


「だが忘れるな。伊犂江さんを本当に救えるのは、この俺だけだ。……おい、俺にもベルトを渡せ」

「あはは、すみません。ベルトは一つしか持ってきてませんし……それ、炫さんの体に合わせて造ったスーツだから、炫さんにしか扱えないんですよ」

「な、なんだと……!? くそっ、ずるいぞ飛香炫!」

「オ、オレに言われても……」


 だが、ベルトが炫にしか扱えないと知るや否や、再び不機嫌となり……やがて、激しく頭を掻き毟ると。


「……飛香炫!」

「は、はい!」

「不本意だが、至極不本意だが、非ッ常に不本意だが! ……現状、伊犂江さんに誕生日プレゼントを渡せるのは、お前しかいないらしい」

「……ま、真殿君……」

「落とすなよ。花も想いも、一つ残らず届けてこい」


 ずいっと寄せ書きを差し出して、「必ず届けろ」と視線で強く訴えるのだった。その眼の真摯な想いに直面した炫は、息を飲むと……意を決するように色紙を受け取り、深く頷く。


「……わかった。ありがとう、真殿君!」

「フン、何度も言わせるな。お前の礼などいらん。そんなものより伊犂江さんの笑顔の方が、百億倍は大切だ」


 そして、大雅の不敵な笑みを背に受けて。炫はバックルを腰に当て、そこを中心に展開していくベルトを、腰に装着する。


「――変身!」


 そこから指先で十字を切り、叫ぶ瞬間。紅い電光が全身を包み――やがてその渦中から、新たな「レヴァイザー」が顕現した。

 口元が露出した真紅のマスク。目元を隠す蒼いバイザーに、黒のボディスーツや紅いプロテクター。そのカラーリングと、額から伸びる真紅の一角を除く全てが、天野猛が変身するレヴァイザーと瓜二つであった。


 ――飛香炫が扮する新たなるヒーロー、「クレナイレヴァイザー」の誕生である。


「じゃあ……行ってくる。猛君、いろいろと、本当にありがとう」

「お礼なら、ちゃんと彼女に会えてからにしてください。いい報告、期待してますからね」

「ふん……どの道、まだまだ時間は掛かるんだ。さっさと行け、伊犂江さんの誕生日が終わってしまうだろうが」

「そうだね……わかった、行ってくるよ!」


 新たな姿となった炫は、猛と大雅に礼を言うと、颯爽と「VFR800X」に跨り走り出して行った。

 ――伊犂江優璃と蟻田利佐子。彼女達2人の心を救える、ただ1人の救世主レヴァイザーとして駆け抜ける「英雄への道ヒーローロード」。その、遥か向こうへと。


 紅レヴァイザー。

 それは、仮想世界でしかヒーローでいられなかったはずの飛香炫が、今までの出逢いと戦いを経て掴み取った――最後の奇跡、なのかも知れない。


 ◇


 そんな彼の後ろ姿を、2人はじっと見守っている。風に靡く白タオルが見えなくなる、その瞬間まで。


「……良かったんですか? ベルト」

「なんの話だ」

「あなたと炫さんの体格は、ほぼ同程度。やろうと思えば、あなたが変身することも無理じゃなかった。それはあなたも、分かっていたんじゃないですか?」

「そんなわけがあるか。俺はレヴァイザーのスーツのことなんて知らんからな。……ただ」

「……ただ?」


 やがてこの場には静けさが戻り。大雅は何処と無く憂いを帯びた表情で、炫が走り去った後のアスファルトを眺めていた。

 その横顔を、猛は暫し神妙に見つめる。


「伊犂江さんが一番、幸せになれるようにしたい。……それだけだ」

「……かっこいいですね」

「どこがだ」

「そういうとこ、ですよ」

「フン。何処の誰だか知らんが、生意気なことを言ってくれるな」


 ――彼らの貌に、笑顔が咲いたのは。それから、間も無くのことであった。


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