第3話 悪逆の姫君達


 ――人はいつの世でも、自分こそが正しいと願うものであり。それを確かめたがるゆえに、僅かな悪でも容赦なく叩き伏せる。

 どれほど取り繕っても、どれほど隠しても、その感情を消し去ることなど出来はしない。


 五野寺学園高校の今が、それを物語っていた。


 ◇


「――でさぁ、アレがよぉ」

「――マジかよ、ハハハ」


 昼下がりの休み時間。夏休みが近いこともあり、2年生の教室は生徒達の談笑に包まれていた。クラスメートの誰もが、夏休みの予定を立てることに大わらわとなっている。


「やっぱ教会の裏ボス倒すなら、もっと人数揃えなきゃなんだよね。他のギルドにも声かけようぜ」

「あ、それならちょうど都合の合いそうなメンツがいるんだねっ。来週秋葉原でオフ会だから、ちょっと話してくるんだねっ」

「そうなの? じゃあオレも行くよ、挨拶しとかなきゃだし」


 教室の隅で、仲間達とオタク談義に励む飛香炫あすかひかるもその1人だった。

 眼鏡の少年・鶴岡信太つるおかしんたと小太りの少年・真木俊史まきしゅんじの2人とつるんでいる彼は、話題のVRMMO「Happy Hope Online」――通称「ハピホプ」の話に花を咲かせている。


「あー炫、お前はダメ」

「え、なんでさ」

「炫には大事な用事があるんだねっ、連れては行けないんだねっ」


 ――のだが、オフ会の話は断られてしまった。理由を問う彼に対し、2人の親友は含みを持たせた視線を、教室の棚に飾られていた花瓶に向ける。

 かつて、共に笑い合っていた少女と同じ名前――白く咲き誇る「百合」の花々へと。


「……だけど、オレは……」

「お前らに何があったか知らないけどさ。この時期に何にもしない、ってのもダメだろ。なんか悪いことでもしたってんなら、まず謝りゃなんとかなる。伊犂江さんならな」

「蟻田さんにも、よろしく伝えて欲しいんだねっ」

「……」


 2人の言葉を受け、少年は空席となっている席を見遣った。本来ならそこにいるはずだった、2人の少女の居場所を。


 ――伊犂江優璃いりえゆり蟻田利佐子ありたりさこ。1年前まで、生徒達の人気を独占するアイドル的存在だった彼女達は――今年の4月に、この学園から姿を消した。

 伊犂江グループの悪事が暴かれたことで立場が激変してしまった彼女達は、伊犂江家に属する者として好奇と憎悪の視線に晒されてしまったのである。


 彼女達の人柄の良さを、当時のクラスメート達はよく知っていたのだが――所詮は子供。世間の圧力から彼女達を庇い切ることは出来ず、結局優璃と利佐子は、学園から追われるように行方をくらましてしまった。

 マスコミの足がつくのを避けるため、連絡先も変えられてしまい。クラスメート達は、優璃達に守れなかったことを謝る機会すら得られなかった。


 あまりに無力。あまりに無情。それほどの憎悪を買うほどのことを、伊犂江グループはしてきたのだが――それでも大人の世界を知らない少年少女達にとって、優璃と利佐子は咎人ではなかったというのに。

 この結末に打ちひしがれたクラスメート達は、やがて悲しみを紛らわせるかのように――彼女達の話題を封印してしまった。これ以上、沈痛な空気にクラス全体が沈まないように。


 それは、この先の皆の為にも必要なことでもあった。社会的においては、正義と言えるだろう。

 ――だが、彼女達を忘れようと目の前の「楽しい夏休み」にうつつを抜かす彼らの眼は……何処と無く、後ろめたさが滲んでいるようだった。


 今も、彼女達が隠遁している場所は判明していない。マスコミの追及によって伊犂江家から自殺者が出たことで、警察関係者も慎重になっているのだ。

 その関係もあってか――ハイランカーであったはずの優璃と利佐子は、「ハピホプ」の世界にすら現れなくなってしまった。彼女達と最も親交が深かった炫ですら、今は連絡ひとつ取れない状態なのである。


(……伊犂江さん、蟻田さん。オレは……)


 ――だが。故あって、FBI連邦捜査局の関係者との繋がりを持っている彼ならば。その気になれば、彼女達の居場所を探し出すこともできるだろう。

 それでも、彼は未だに実行には踏み切れず――優璃の17歳の誕生日プレゼントにと用意した、百合の花束を持て余していた。


 なぜなら――彼女達を破滅に追いやったのは、自分自身なのだから。


 ◇


 日本という島国のどこかにある。それだけは間違いない、とある丘の上。そこに広がる大草原が、夏の青空を仰いでいた。

 険しい山を越えた先に存在する、この秘境には――かつて伊犂江グループ関係者の別荘だった、1件の屋敷が構えられている。

 丘の上から窺える大自然の絶景と、大地に広がる新緑の草原。さらに海も山も見渡せる、その純白の城には今――たった2人の住人しかいない。


 俗世から隔絶された、この自然の世界を――1人の少女が、窓辺から見つめている。

 吹き込む風に黒髪のボブカットを揺らされている彼女は、草原から自分を見上げているもう1人の少女へと視線を移していた。茶色の髪をセミロングに伸ばした小柄な少女が、屋敷の主人に手を振る。

 その腕には、取れたての野菜が詰まった籠が抱かれていた。


「お嬢様、今日は大収穫です!」

「ありがとう、利佐子! すっごく暑いし、もう帰っておいで!」

「はい、ただいま!」


 朗らかな笑顔を向け合う彼女達は、たった2人の世界を大切に守り続けていた。――ここが彼女達に残された、最後の居場所なのだから。


 ◇


 朝日が昇り、昼の陽射しが差し、夜の帳が下りても。伊犂江優璃と蟻田利佐子が暮らす、この屋敷には客人1人来ない。

 それもそのはず、ここは本来ヘリでしか来れない場所であり、地上から入れるルートが開通されていない未開の地なのだ。


 一連の事件を受け、全てを失った伊犂江家と蟻田家は離散。優璃と利佐子はこの屋敷に流れ着き、以来たった2人で暮らし続けているのである。

 家事万能の利佐子がいるおかげで、定期的に投下される食料や現地で取れる野菜でやりくり出来ている状態なのだ。


 だが、利佐子は辛そうな顔一つせず。屋敷から景色を見渡すばかりの日々を送る優璃を、笑顔で励まし続けていた。

 父が逮捕され、母は自殺し、学園は追われ好きな男性とは会えないどころか連絡すら取れなくなった。学園のアイドルから一転し、そのような状況に突き落とされてしまった彼女を、幼馴染として放っておくことなど出来ない。

 何より、此れ程の苦難を強いられて尚も、気丈に振る舞おうとしている彼女が心配でならなかったのだ。


「ご馳走さま! やっぱり利佐子の料理って最高! 生きてるって感じがする!」

「もうお嬢様、何度目ですかそれ。というか大袈裟です」

「だってこんな暮らししてたら、なんだか生きてるか死んでるかもわからなくなっちゃいそうで……。利佐子の料理を食べてる時が一番、生きてることを実感できてる……みたいな?」


 夕食を終え、食器を片付ける利佐子に対し、優璃は声色に微かな悲しみを滲ませながらも――去勢を張るようにおどけてみせる。彼女もまた、自分のために身を粉にして働く幼馴染を、慮っているのだ。


「あとは……これやってる時、かな」

「……」


 優璃の豊かな谷間から、一つの携帯ゲーム機が出てくる。VRMMO全盛のこの時代においては、時代遅れも甚だしい旧式だが……彼女達にとっては新鮮なガジェットであり、今に関しては数少ない娯楽でもあった。

 1年前、彼女が愛する少年――飛香炫から贈られた、かけがえのない宝物である。


「これがなかったら、ほんとに退屈で死んじゃってたかも。飛香君にはほんとにもう、感謝してもしきれないね」

「全くです。私もお嬢様も、まだクリアできてないステージがたくさんありますし」

「うん……」


 ――中学の時、花壇を手入れする彼の横顔を眺めていた頃。


 ――「ハピホプ」という共通の話題を持って、共に遊んでいた頃。


 ――ギルフォード事件のさなか、懸命に彼の無事を祈り続けていた頃。


 ――サイバックパークのヒーローショーを見に、一緒に出掛けた頃。


 ――喫茶アトリに遊びに行き、成り行きでウェイトレスになった頃。


 ――その後彼と共にアトリで働くこととなり、全てを失うあの日まで、同じ時間を過ごしていた頃。


 炫への想いと共に在り続けた思い出全てが、蘇ってくる。二度とあの日には帰れないのだと実感すれば、するほどに。

 彼との繋がりを思い出させる唯一の物を豊かな胸に抱き、優璃は肩と声を震わせる。それを見つめる利佐子の眼に、憂いの色が滲んでいた。


「飛香君……今頃、どうしてるのかな。私のこと……まだ、覚えてくれてるかな」

「お嬢様……」

「もう私、お嬢様じゃないけど……犯罪者の娘、になっちゃったけど……まだ、友達だと……思って、くれてるかな」


 資産や容姿を目当てに近づいてくる男達や、好奇な眼で追及してくる周囲の視線に晒される中。疲弊しきっていた彼女にとっては、炫の笑顔こそが拠り所だった。

 ある日突然全てを失い、こんな世間から隔絶された世界に飛ばされて、平気でいられるはずがない。ここに来たばかりの頃は、何度も眠れない夜を過ごし、声が枯れ果てるまで泣き叫んで来た。

 それでも彼女が、気丈に振る舞えるようになれたのは、炫が残した絆の証によるものといえる。その大切さを改めて認識したことで――忘れようとしていた悲しみが、ぶりかえしてしまったのだ。


 これをくれたあの少年にはもう、会えない。あの幸せな毎日にはもう、戻れない。分かっているつもりになり、目を背けてきたその現実に、直面してしまったのである。


「……変、だよね。こんなことになって、それでもそんなこと期待するなんて。でも、でもね、私、私……」

「……お嬢様っ!」


 携帯ゲーム機を抱いたまま俯き、発作的な嗚咽に苛まれる優璃。力無く震える白い肩を、利佐子は懸命に抱きしめていた。こんな小さな体のどこにこんな力があるのか……と、不思議なほどに。


「……会いたい。会いたいの」


 優璃の口から漏れる、期待することさえ許されない願い。その想いに共感しているからこそ、利佐子も強く彼女を抱き締めるのだ。

 あの少年を求める気持ちは、彼女も同じなのだから。


「私……も、です」


 それゆえに彼女達は、互いに傷を舐め合うように身を寄せ、咽ぶ。誰の声も届かない、誰の声も聞こえない、この丘の上でなら――大悪人の娘である自分達でも、分不相応な願いを叫んでいい。

 そうお互いに、言い聞かせるように。


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