鳳凰の末 切見世へ 舞ひ下り(三)

 すずめが見世に出はじめてから、五日が経とうとしていた。

 相変わらず隣の木戸が開いている暇がない。開いたと思えば入れ替わりに次の客が入るため、すずめ本人が外へ出てくることもなかった。

「はん、商売繁盛もけっこうなこったね」

 朋輩女郎のおきたが、煙管を吹かしながら戸口に出てきた。おきたの局はすずめの隣、おまつの二軒先である。

 四十をいくつか出ているはずだが、顔の凹凸が極端に少なく、またそれを気にして塗壁のように分厚く白粉で固めているため、本当の歳は量れなかった。

 暮六ツ半、夜見世もまだはじまったばかりだというのに、すでにすずめは二人目の客を取っていた。

「こいつのおかげで今日もお茶引きだよ、くそったれが」

 憎々しげに煙を吐き出し、おきたは閉まっている木戸を蹴り飛ばした。

「ヨウおまつさん、あんた悔しくないのかい。どこの見世から来たのか知らねえが、ぽっと出の新入りにでかい顔されてさァ」

「そりゃあ面白くもねえさ。だけど、いくら商売繁盛でもここまでひっきりなしに客は取りたくないねえ」

「……だよねえ。これだけ続けてくわえ込んでると、そのうちがすり切れて煙が出ちまいそうさね」

 考えるだけで痛そうだ、と大仰に股を押さえてみせたおきただったが、半纏姿の職人風が通りかかるのを目ざとく見つけ、「ちょいとお兄さん、上がっていきなよ」と、腕に食らいついた。

 おきたの商売を邪魔せぬように、おまつは自分の局に戻った。煙管に葉を詰めながら、考え込む。

 ──たしかに、ちょいと度が過ぎやしないかね。あの、身体を壊してなけりゃいいけど……

 考えれば考えるほど、心配になってきた。

 煙草を詰めた煙管を置き、御法度とは知りつつも、こっそりふすまに耳をつけてみる。隣室からは男の激しい息づかいが聞こえてくるが、肝心のすずめの声はちらともしない。そのうち男は気をったらしく、情けないうめき声が漏れた。

 枕紙を使うかさこそという音の後、「お直しするよ。だからちょいと、茶飯ちゃめしでも食いに行こうや。腹ごしらえしたらもう一本頼むぜ、なあ」という、男の声が聞こえてきた。

 男は何度か「なあ、なあ」と繰り返していたが、そのうち「ちっ、返事くらいしやがれってんだ。百蔵ひゃくぞうのくせにお高く止まりやがって」と吐き捨てると、荒々しい音を立てて出て行った。

 おまつは下駄を突っかけ、外へ出た。隣をうかがうと、めずらしく誰も待っていない。その隣のおきたも交渉成立したのか、自室に引っ込んでいる。

 開け放たれた木戸からそっとうかがうと、真っ暗な部屋の中央に敷かれた布団と、その上に横たわる女の姿があった。裾は乱れ、すらりとした見事な脛がのぞいている。親指ひとつ動かない。

 ──いやだよ、まさかおっ死んじゃいないだろうね

 にわかに不安を覚えたおまつは、あわてて土間へと入った。

 念のため木戸を閉め、灯りのない室内へと上がり込む。火鉢の種は落ちており、ぞっとするほど寒かった。

「ちょいとあんた、大丈夫かい?」

 おそるおそる声をかけるが、布団の上に横たわる黒い影は動かない。手探りで手首をつかむと、その細さに驚いた。弱々しいながらも脈が感じられる。

 それにしても、こう暗いと具合も見られやしない。おまつはふすまを開け、自分の部屋から行灯を引きずってきた。この部屋のものとは違い、まだ油は切れていない。

 あらためて灯りをかざすと、すずめはぐったりと布団の上に伸びていた。

 髷は崩れざんばらになった髪が、蛇の群れのように畳を張っている。

 合わせは大きく開かれ、雪を集めて盛ったような胸乳むなぢがこぼれていた。よく見ると白い乳を取り囲むように、赤い爪痕がいくつも走っている。それ以外には目立った怪我などはないようだ。

 おまつが合わせを直してやると、ひび割れた唇が動いた。

 吐息に混じり、

「……や、すけ……さん……」

「え?」

 おまつの反応が届いたのか、すずめが目を開けた。焦点の合わない視線がさまよっていたが、傍らに座るおまつをとらえると、

「……なん、で……」

 言い終わらないうちに、木戸が乱暴に叩かれた。肘を張って起き上がろうとするのを、「いいからしばらく寝ときな。こんな身体で客なんて取れるかよ」と制した。しばらく放っておくが、客は辛抱できないのかしつこく叩きつづける。いいかげん頭にきたおまつは身を起こし、

「ドカドカうるっさいね。ここのは、具合が悪ィから客は取れねえよ。そのへん歩ってる野郎どもにもそう伝えとくれ!」

と、木戸を開けて怒鳴った。買いに来たのとは違う女郎が出てきて目を白黒する客の鼻先で、乱暴に木戸を閉めた。

 邪魔者を追い返し、おまつはふたたびすずめの枕元へ座った。よろよろと半身を起こすのをもう一度突き倒し、

「寝てろっつってんだろ。ったく、こんなになるまで客取るなんて、頑張りすぎにもほどがあらァな」

 あんた死ぬ気かい、というおまつの言葉に、すずめはゆっくりとまばたきをした。

「……いいんです」

「いいって、なにが」

「だから、死んでもいいんです。わっちの身体なんてもう、どうなってもいい。いいえ、むしろ──今すぐ死んでしまいたい」

 お願い、死なせておくんなんし。

 かすれた声ですずめはつぶやく。その拍子に、目尻にたまった涙が一筋、すうっと耳許へと走った。

 貧相な行灯の明かりに照らされた整った面立ちと、流れ落ちる涙。骨と皮ばかりにやせ細った四肢。

 それはあまりにも儚く、まるで本当に煙のように消え失せてしまいそうなほどだった。

 おまつは思わず、声を荒げた。

「……冗談じゃないよ!」

 突然の大声に、天井を見ていたすずめが驚いたようにこちらを向いた。

「なんだい、死にたい死にたいって。こっちの迷惑もちったァ考えろってんだ」

「……迷惑……?」

「ああそうさ、客足をごっそり取られたあげく、隣でおっ死なれちゃ日にゃ、寝覚めが悪くって仕方がねえや」

「分かりんした。ならば、局を出てお歯黒どぶにでも身投げしんしょう」

「──そうじゃねえよ! いい加減にしな!」

 いとも簡単に「死にたい」と漏らす女に、無性に腹が立った。人の気も知らないで、よくもまあ勝手なことを。

 おまつは腹立ちついでに「ちょっと待ってな。もし客が来たら追い返すんだよ、いいね!」と言い置き、下駄を突っかけて局を飛び出した。そのまま一膳飯屋へと駆け込み、親父の禿げ頭に向かい「茶飯一丁。大急ぎで作ってくんな」と注文を投げた。

 さんざん急かして作らせた茶飯の椀に匙を突っ込み、おまつは椀を抱えて来た道を戻った。背中で親父が「ちょいとおまっさん、うちァ出前はやってませんぜ!」とかなんとか怒鳴っているが、無視して走りつづけた。

 すずめの局の前に戻ると、中をのぞき込む客が何人かいた。そいつらをまとめて蹴散らし、おまつは熱々の椀をすずめの枕元にどんと置いた。

 目を丸くするすずめの背中の下に、ありったけの枕やら着物やらをつっかえ棒にして身を起こさせる。湯気を立てるあんかけ豆腐をひと匙すくい、息を吹きかけて冷ましながら、

「ほら、熱いうちに食いな」

と、強引に口許へ持っていった。

 状況が飲み込めないのか、それとも抵抗する気力もないのか、すずめは存外素直におまつの匙を受けた。細いのどが嚥下えんげするのが、頼りない灯りのもとでもはっきりと見て取れた。

 一口目を飲み込んだすずめは、深く細い息をはき、

「……美味しい」

と、ぽつりとつぶやいた。

「そうかい、そりゃよかった。人間、食い物が喉を通るうちは死にゃしねえんだよ。ほら、もう一口食いな」

 あんかけ豆腐の下に盛られた茶飯をすくい、もう一度口許へ持って行くと、すずめは幼子のように匙をくわえてゆっくりと噛みしめた。つづいて二、三口含んだのち、小さくため息をついて目を閉じ「……ありがとうおざんす。もう満足しィした」と、礼を言った。

「もういいのかい?」

「ええ、もうお腹いっぱいでおざんす」

「……まさか、あんたずっと食ってなかったのかい?」

 聞くと、すずめはかすかに首をかしげ「なにも食べる気がしィせんで……。お客の持ってきたじゃぜん豆と、あとは白湯だけ」と言った。

 飯も食わず、ひたすら客を取っていたのか。どうりでやつれているわけだ。

 それほどまで稼ぎたかったのか。にしては、「死にたい」と漏らしていた。

 気にはなったが、おまつは問い詰めることはしなかった。

 結局、いくらすすめてもそれ以上食べようとしないので、残った茶飯はおまつが片付けた。その間、すずめはこちらをぼんやりと見つめていた。

 食い終えたおまつは、空の鉢を手に立ち上がった。

「表に張り紙しておいてやるから、今日はもう客を取るんじゃないよ。身体あっての商売だからね」

 いいね、と念を押すと、すずめはわずかに眉を寄せるが、ことさら怖い顔をしてみせるとしぶしぶといった調子でうなずいた。

 部屋を出て行こうとするおまつの背中に、

「……なにも聞きィせんか?」

と、声がかけられた。

「別に。人生いろいろ、人それぞれってやつさ」

「したが……」

「ここは羅生門だよ、詮索するだけ野暮ってもんだ」

「…………」

「焦らなくても、人間いつかはおっ死ぬんだから、急ぐこたァねえさ。命がまだ残ってるんなら、とりあえずは生きてみることだ。それじゃあね、ちゃんと寝てろよ」

 下駄を突っかけ、おまつは局を出た。

 いったん自室へ戻り、久々に墨を擦る。ちぎった巻紙に臨時休業の旨を書きつけ、すずめの局の木戸へと張っつけておいた。これで、少なくとも今日は客が寄りつかないだろう。

 張り紙を終えたおまつは、空の鉢を片手に歩き出した。

 自分はなにをやっているのだろう。

 あんな女、お望み通り死なせてやった方がよかったはずなのに。

 だけど──。

 ──命がまだ残ってるんなら、とりあえずは生きてみることだ──

 自分で吐いた台詞が、返す刀のように己の身に突き刺さる。

「ちっ……」

 ここ数日、すっかりくせになった舌打ちをひとつすると、おまつは鉢を返すべく茶飯屋へと向かった。

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