第2話 あの時とは違う


 ――その頃。

 パーティ会場に流れる優雅な音楽が、ダンスの始まりが近いことを報せていた。


(……あ、音楽が……)


 音色の変化を感じ、達也が顔を上げる瞬間。ラティーシャの周りに群がる子息達が、より熱を帯びて彼女に迫り始めた。


「ラティーシャ様、是非私と……」

「いえ、私と……」


 そんな男達の渦中に立つ彼女は、沈黙を保ったまま――達也の方へ目を向けた。そしてそのまま、彼の元を目指して歩み出していく。


(やっぱり人気だなぁ、あの子……って、え?)


 達也自身がそれに気付く頃には……すでに、その眼前に絶世の美少女が現れていた。

 ショートに切り揃えられた、艶やかなブロンドの髪。水晶のように透き通る白い柔肌。高名な美術品すら霞む美貌。ウェディングドレスを彷彿とさせる純白の衣裳に――コルセットを内側から押し上げる、豊かな巨峰。

 あらゆる男を魅了し、狂わせる魔性の美。その全てを纏う彼女の色香は、美人揃いのゴーサイバーに属している達也すらたじろがせていた。


「……クスノキ様」

「マ、マクファーソン……さん?」


 感情に乏しい表情のまま、ラティーシャはゆっくりと手を差し出す。それは、ダンスの申し込みに他ならない。

 この場にいる誰もが、何よりも欲しているラティーシャが。自分達を差し置き、護衛役でしかない日本人の男をダンスに誘っている。

 身分違いも甚だしいこの事態に、周囲の男達に動揺が走っていた。


「……踊って、頂けますか?」

「な……!」


 そんな周囲の状況など、知る由もなく――否。知っていながら敢えて無視して、ラティーシャは上目遣いで達也を誘う。


(なんだ、あの小僧は! 護衛役の日本人……!?)

(私がいくら声を掛けても、眉ひとつ動かされなかったラティーシャ様が……! 何者だ、あいつ!)

(賓客でもない下々の分際で、ラティーシャ様の誘いを受けるだと! なんたる無礼な……!)


 突き刺さるような、嫉妬の眼差し。その全てを一身に浴び、達也が冷や汗をかいている一方で――隣に立つ和士は、クスクスと笑っていた。


「……ほらな、俺が言った通りだろう?」

「か、和士さん……」

「……やはり、私では役不足ですか?」

「う……!?」


 そんなしたり顔の和士に対し、抗議の声を上げようとする達也だったが――真摯に彼を射抜くラティーシャの蒼い瞳を前に、口ごもってしまう。


「い、いやそういうことじゃなくて! 大体なんで僕!?」

「……私が、そう望んだから。それでは――いけませんか?」


 小首を傾げ、ラティーシャは僅かに不安げな色を貌に滲ませる。

 今まで無表情を貫いてきた彼女が、初めて見せる「感情」を前にして……サイバーレッドは「か弱い美少女」という強敵に、とうとう膝を折るのだった。


「……わかった、わかったよ。でも僕、ダンスなんて……」

「心配はいりません、私がリードします。さぁ……こちらへ」


 観念したようにラティーシャの手を取り、達也は彼女に導かれるままパーティ会場の中心に向かう。そんな彼らの様子は、周囲の視線を釘付けにしていた。

 その理由は、ラティーシャが達也を誘ったことだけではない。これまで、どんな美辞麗句やプレゼントを贈られても眉ひとつ動かさなかった彼女が、初めて「微笑」を浮かべていた事実が、周囲に衝撃を与えていたのだ。


「え、ええと……お手柔らかにね、ラティーシャ様」

「ラティーシャ、とお呼びください」


 冷たい表情だった今までですら、無意識のうちに男達を魅了していた彼女が、僅かでも笑顔など見せるようになれば……その威力は、計り知れない。

 彼女が纏う色香を真っ向から浴びている達也は、彼女の肌から漂う香りに動揺を隠しきれず――頬を赤らめながら、その美貌に目を背けていた。


(……このことは、ゴーサイバーの皆には黙ってた方がいいだろうな。ていうか、周りの視線が痛い……うぅ)


 ――胸中で、この先に待ち受けているであろう苦難の数々に、頭を悩ませながら。


(ラティは、やはりあの少年を……くッ、これでは彼ら・・の思う壺ではないか)


 一方。愛娘の微笑を遠巻きに見つめるアーヴィンドは。

 苦虫を噛み潰したような表情で、その美貌に翻弄されている達也を、睨みつけるのだった。


 ◇


 ――今は亡き、ラティーシャ・マクファーソンの母。つまりマクファーソン夫人はかつて、新年戦争にも参加したヒーローの一人だった。


 彼女はさして戦闘力が高いわけでもなく、実戦ではほとんど後方支援に回っていたのだが――ある能力のため、戦死する間際までヒーロー達から「重宝」されていた。


 それは、「共に戦うヒーローの能力を増強させる」というもの。

 その力の恩恵を受けたヒーロー達は、普段の数倍の戦力を発揮し、怪人達に立ち向かったという。彼女の尽力がなければ、新年戦争で生き残ったヒーローの数は、さらに減少していたと言われている。


 愛する娘の未来のため。変身ヒロインとして戦っていた頃の、古い仲間達のため。

 夫、アーヴィンドの制止を振り切り新年戦争に参加した彼女は、共に戦う仲間達のために力の限りを尽くし――戦火の中に散っていった。


 その後。「弱き人々を守るため、防衛隊に尽くして欲しい」――亡き妻が遺した、その遺言に殉ずるように。

 アーヴィンドは愛する妻を死なせた防衛隊への恨みを、胸中に封じ込め……防衛隊の後援者パトロンとしての活動を続けた。


 全ては、妻との約束を果たすため。だが――防衛隊はそんなマクファーソン家に、さらなる裏切りを重ねる。


 自軍とマクファーソン家の繋がりをさらに深め、その資産を独占すべく。防衛隊上層部は、残された娘のラティーシャに「縁談」を持ちかけるようになったのである。


 しかし、目当ては金だけではない。その最大の理由は、マクファーソン夫人が持っていた能力の、ある特性にあった。


 彼女の強化能力には「世代交代を重ねるに連れて、能力の効果が増大していく」という、特殊な遺伝子が含まれていたのだ。

 つまり「二代目」であるラティーシャは、マクファーソン夫人を超えるポテンシャルを有していることになる。さらに将来、彼女の娘はそれ以上の力を手にするということだ。

 

 彼女を手に入れるということは即ち、段階的に進化していく強大な武力を得るに等しい。それを意のままに操ることが出来れば、リユニオンを滅した後に防衛隊が世界を牛耳ることも可能になる。

 ゆえに世代交代の特性を知った防衛隊は、躍起になってラティーシャを引き入れようとしたのだ。


 だが、妻を奪い娘まで利用しようと企む彼らに、アーヴィンドは真っ向から反発。資金援助の打ち切りを盾に、強引な「縁談」の阻止に成功した。

 しかし、防衛隊は武力を生む卵であるラティーシャを諦めきれなかった。軍の高官や権力者による無理強いこそしなくなったが――代わりに、ハニートラップとして使える男の隊員を「護衛役」に宛てがい、ラティーシャ自身が防衛隊に行きたがるよう仕向ける「搦め手」に出たのである。


 防衛隊にとって、ラティーシャはいわば最強の戦力を育てるための「苗床」。ゆえに彼らはラティーシャを指し、「苗床姫ナーサリィ・プリンセス」というコードネームを作り出していた。

 ――彼女を「道具」としてしか見ていない高官達による、侮蔑に溢れた渾名である。


 当然アーヴィンドも、その真意は察していた。だが、表向きは防衛隊の「善意」に基づく「護衛役」。いくら下衆な企みにより遣わされた者とはいえ、迂闊に弾くことはできない。

 それゆえ、あくまで護衛任務として来ている彼らに睨みをきかせることしか出来なかったのだ。


 ――そう。ラティーシャを落とし、防衛隊に引き込むためのハニートラップ要員。知らぬ間にその役に選ばれていた、サイバーレッドこと楠木達也を、睨むことしか。


 ◇


 かつては変身ヒロインとして悪と戦い、正義を愛する聖女として讃えられていたという、マクファーソン夫人。

 そんな彼女を母に持つラティーシャが、昔の母のことを知ったのは、新年戦争が終結した後のことだった。


 厳しくも優しく、温かい母との思い出。それを振り返る中で母の過去を知った彼女は同時に、防衛隊の闇を知るに至った。

 自分を「苗床」と見做し、利用しようと企む軍人達。そんな彼らを遠ざけるために、父が連れて来た他の貴族や実業家。

 彼らは皆、自分が持っている能力や、マクファーソン家の資産ばかりを狙い――欲望に爛れた眼で、ラティーシャを射抜いていた。


 その悪意に満ちた視線に怯え、避け続け、逃げ回るうちに。いつしか彼女は、幼い頃に持っていた明るさを失い、冷たい無表情という仮面を被るようになったのである。

 誰もが自分を、道具としてしか見ていない。誰も自分を、母のようには愛してくれない。


 ――そんな孤独感が、彼女を追い詰める中。

 ラティーシャはこのエルヴェリック号で……楠木達也との「再会」を果たしていた。


 二年ほど前。母の生家がある日本に留学していたラティーシャは、女子中学生として暮らしていた。

 その当時、彼女が通っていた学校では……壮絶な「虐め」が起きていたのである。そこで彼女は、自分を取り巻く環境と変わらない、この世の闇を見ていた。


 正義感の強さゆえに虐めの標的にされ、暴行を受ける少年。見て見ぬ振りを貫く周囲。自殺未遂に至るほどの、悲劇。

 それら全てを、遠巻きに見ていたラティーシャは――母を喪う前から既に、諦めてしまったのだ。


 この世界に、母が愛する正義はない。何が正しいかではなく、誰に力があるかが全て。そのことわりに逆らえば、私も彼のように踏み躙られてしまう。

 運命など、変えられはしない。ラティーシャ・マクファーソンに生まれた時点で、人として愛されることなど、愛する人と子を成せるなど、万に一つもあり得ないことだったのだ。


 ――正しい道を目指したがゆえに、理不尽に押し潰された少年。その痛ましい背中に己を重ね、ラティーシャはその結論に至った。

 以来、彼女はさらに感情を閉ざすようになり……父に言われるがまま、乗りたくもない船に乗り、出たくもないパーティに出た。もはや自分は道具にしかなれないのだと、ただひたすらに諦めて。


 ……否、彼女は諦めていたのではなく。諦めようと、努めていたのだ。だが、諦め切れなかった。

 あの日の少年。楠木達也と再会したことで。


 ◇


 楠木達也という少年はラティーシャにとって、自分と同じ「弱い者」であるはずだった。

 力無き正義は無力。その言葉の、象徴のはずだった。


 だが。虐めという絶望的な環境を以て、それを彼女に教えたはずの達也は――サイバーレッドとなっていた。無力などという言葉からは程遠い、「超電特装ゴーサイバー」の中心人物として。


 その事実は、それまで「同じ穴のムジナ」だと思い込んでいたラティーシャに、人生最大の衝撃を与えていたのである。

 テレビで放映されていた――仲間達のために単身敵地へ突き進み、ジェノサイザーと対峙するサイバーレッドの勇姿。ラティーシャはその光景を当時、食い入るように凝視していた。


 あれほど弱いはずだった少年は今、立派なヒーローとなり、力ある正義として、人々に尽くしている。そう、まるで亡き母のように。


 その瞬間だったのである。弱き者は踏み躙られるだけだと諦めていた彼女の眼に、確かな光が灯ったのは。

 自分と同じ「側」だった少年が、逞しく成長し、敬愛する母のように正義を成している。それは、諦めて心を閉ざすばかりだったラティーシャに、衝き上げるような驚愕と感動を与えていたのだ。


 弱き者が雄々しく立ち上がり、憧れの境地に這い上がる。その背中は、ただ強いだけのヒーローや軍人よりも遥かに、ラティーシャの心を惹きつけたのだ。

 そんな彼に……まだこの世に、母が愛する正義があることを、教えてくれた彼に。ラティーシャが熱烈な恋心を抱くまで、そう時間は掛からなかった。


 そして、直に彼と再会し。それまで決して見ることの叶わなかった、打算のない暖かな瞳を前にして。

 ラティーシャの想いは、愛は。決定的なものとなったのである。


 彼が防衛隊が送り込んできたハニートラップ要員だということは、父からすでに聞かされている。心を許すなと、厳しく言われてもいる。

 だが、それでも。達也の背後にいる高官達が、自分を「苗床姫」と呼んでいることを知りながらも。ラティーシャは他者の視線など気にも留めず、ただ一直線に、愛する男の元へ馳せ参じたのである。


(だから……私は、この人と……)


 そして今は彼の手を取り、優雅にダンスのひと時を過ごしている。今の彼女は誰よりも美しく、華やかに笑っていた。その貌を目撃した周囲の誰もが、絶世の美少女が見せる笑みに注目している。

 一目それを見れば、楠木達也がどれほど彼女にとって愛しい存在であるかは、誰の目にも明らかだった。

 和士はそんな彼らを見遣り微笑を浮かべ、アーヴィンドは苦々しく唇を噛み締めている。


「……クスノキ様」

「な、なに?」

「……私、私……いつか、子を……」


 そんな周囲の思惑など、意に介さず。慣れないダンスや自身の色香に翻弄されるばかりの、想い人を見上げて。


「……子を、授かるのなら……あなたの――!」


 ラティーシャが、とめどなく溢れる愛を、言葉にしようとした――その瞬間。


 ――突如。衝き上げるような爆音が周囲に轟き、船内に衝撃が走るのだった。皿やグラスが激しく揺れ、落下し、粉々に砕け散る。


「……!?」

「きゃぁああ!」

「な、なんだ!?」

「け、警備員! 何事だ! 何が起きたというのだ!」


 音楽も止まり、一気に会場は騒然となってしまった。アーヴィンドが警備員を呼びつける中、達也は不安げに寄り添うラティーシャを抱きしめつつ、和士と視線を交わす。

 すでに彼らは、「ヒーロー」の貌に変わっていた。


「わ、わかりません! 突如、近海の孤島から爆音が……!」

「爆音だと!? ……まさか、リユニオンか!?」

「……!」


 アーヴィンドが発したその一言で、会場はさらにパニックとなり――悲鳴や怒号が飛び交う事態に発展してしまった。そんな中、ラティーシャを保護している達也の前に霞が駆けつけて来る。


「楠木達也!」

「あっ……中條さん! これは一体……!」

「詳しいことは私にも分からないが……どうやら、この近くにある孤島で、大きな爆音が発生したらしい。爆炎のようなものを見た、という報告もある」


 霞から大まかな事情を聞き、表情を曇らせた達也は、不安げに自分を見上げるラティーシャを一瞥する。


「船の下には高速艇があったはず。調査に向かうぞ!」

「……わかりました!」


 だが、見つめ合っている余裕はない。達也は遠くにいる和士と無言で頷き合うと、会場の外に走り出した霞を追うべく、ラティーシャから離れた。


「……ク、クスノキ様……!」

「すぐに戻るから、待ってて! ――それと」


 戦う者。避難する者。その二つに分かれる瞬間。一度だけ振り返った達也は――彼女を安心させるため、穏やかな笑みを浮かべるのだった。


「……僕のこと、覚えていてくれてありがとう。心配しないで、あの時とはもう違うから」

「……!」


 その笑顔と言葉に、ラティーシャは目を見張り頬を赤らめる。彼女の目尻には、感涙が貯まり始めていた。

 だがその直後、達也は再び厳しい顔付きに戻ると、霞を追って走り去ってしまう。


「……タツヤ、様……」


 その背に、白くか細い手を伸ばし。ラティーシャは届かぬ声で、愛する男の名を呟くのだった。


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