第22話 侵食

「何もしていない!そのことはここにいる彼らが証明してくれているではないか!」


 広場では磔にされたドラーディムがいる。辺りで拘束されている男女の数名は全員彼の取り巻きであるのだが、誰の言葉も周囲には届かない。殺人の濡れ衣を着させられた彼は悪夢の再来を危惧している一部の民とシルク支持派の人間によって追い詰められているようだった。


「悪魔共め.......。何を言おうと証拠は一切無いだろうし、口裏合わせしている可能性がある以上誰の言葉も信用出来ないね。」


 鋭い言葉を突き刺しているのは昨夜の女である。彼女は本当に彼らを嫌悪しているようで、いつ彼らを殺してしまうかと思ってしまうほどに怒り狂っているように見える。


 しかしそんな彼女を慰めつつ抑えているのは他の誰でもないシルクである。彼はドラーディムを含む全員を憐れむような冷たい目で見つめている。何を考えているのかを理解することは私には一生無いのではないかとすら思わせてしまうその表情。


 ここにいる誰もが彼を信用し、全てが彼の思い通りになっているのだろう。やはり私はそれがどうしようもなく気持ち悪いのだが、面白いとすらも思えてしまった。良い意味ではないことは分かっているが、私には可笑しくて仕方が無い。


「人間というものは.......。」


 くくくと自身のものとは思えないような声が漏れてしまうが、なんとか押さえつける。


「ヴァイス様.......。」


「なんでもない。ただ可笑いと感じただけ。」


 そのうちに彼の周りには大量の人々が列を成す。新しいこの街の長を祝福しようとする雰囲気が広がり、夢を成した彼の表情は次第に緩んでいくようだった。


「どうしましょう、彼らを。」


 女は既に怯え始めているドラーディム達を指さす。彼らも気づいているのだろう、もう自分たちではどうしようもないと。追い詰められた小動物のようにただ周りに身を委ねようとする様子は既に人間としてのものでは無い。


「十三人.......いやそれ以上かもしれない。彼らはそれだけの大罪を犯したのです。僕達はもう悲劇を繰り返し続けるだけのこの街では暮らしていきたいと思えないでしょう。

ですからここで流す血をこの街の最後にしたいと思うのです。皆さんはどうお考えでしょうか?」


 シルクは周りに問掛ける。当然ながら周囲はほとんどがシルクに同調して波のように押し寄せた声がドラーディム達を埋めつくして行く。


「首を落としましょう。」


 シルクがそう声を上げると、一人の男が大振りの刀を手に近づく。


「人の首というものはそう簡単に落とせるものではありません。こちらをお使いください。どうかこの仕事をするのが今回で最後となることを。」


「ええ、誓いましょう。」


 シルクが刀を振りかぶる。ギラギラと光を放つそれが頂点に達した時、彼の表情は彼のものでは無くなっていたように見えた。


 振り下ろされた刀は一刀にしてその体を分断し、勢い余ったそれは深々と地面を抉りその穴を赤いものが埋めていっては染み込み消えてゆく。弾けたそれからは飛沫が舞い周囲を染め上げる。


 次第にドロドロと溢れるように垂れるそれは周囲に鉄のような、生臭い匂いが鼻腔に充満する。どうもこの体ではそれを受け入れることが出来ない様で言いようのない気持ち悪さが胸に圧迫していく。しかしそんな状態であると言うのに彼は静かに嗤っているように見えた。


「お、おたすけを.......」


 拘束された一人が声を漏らす。細い中に悲哀を詰め込んだようなその声だったが、誰の耳にも届かない。


「僕は終わらせるって決めたから。」


 赤く染まった刀を振れば赤い液体が周りに飛び散り銀色の刀身が露わになる。夕焼けの淡い赤を浴びた刀身が滑らかなグラデーションを描く中で無慈悲な一撃が男の首元目掛けて振り下ろされる。


 声にもならないような濁った断末魔が響き、地面に転がるそれは倒された水瓶の様にとめどなく液体を垂れ流す。しかし彼はそんなものにも飽きてしまったのか見向きもせずに次の前で構える。ゆらりと振り上げられたそれを振り下ろす。


 ガジャ.......。


「あ、アガアアア」


 引っかかるような嫌な音が響く。


「ごめんね。」


 心のこもっていないであろう無表情な声で呟くと切断しきれなかったそれを強引に振り回す。引っかかってしまったようで、引っ張っても抜けないそれを彼は体重を掛けるようにして無理やり両断する。


 ぐじゃぐじゃになった切断部には血肉が飛び散り白い棒状のものが顔を覗かせている。あまりにもこの世界に相応しくないと思わせてしまうそれから目を背けると、辺りからは嗚咽と吐瀉物の様な嫌な匂いが周囲を埋め尽くす。流石の彼もその様子に気がついたようでその表情は一気に消える。そして詰まらなそうに辺りを一瞥すると、わざとらしく膝から崩れ落ちた。


「やっぱり、僕みたいな人間にはこれ以上出来ない.......。非情で在らなくてはならないと思っていたけどもう限界だ.......。

他の彼らの処遇は後に決めるってことでも良いかな皆。」


 その目からは水分が滴り、その足元に雫となって降っていく。


「良くやったよ.......。」


「もう無理しなくていい。」


 驚いたことに彼に注がれた言葉は全てが慈愛に満ちていたということ。これだけ事をしているというのに何故誰も疑問に持たず、恐怖しないのか。


「ミルラよ、戻れ。今すぐに。」


 見せるべきではない。これ以上に穢れたものを視界に入れるべきではないとこの人間の体が、本能が叫んでいるようにすら感じる。彼女も限界だったのだろうか、返事をすることもなく駆け出していた。


 予想はしていなかった。だからこそ私は視ることをしなかったのだが、もう一度.......いやミルラには二度と見せるべきではないと思えてしまった。今すぐにでも立ち去りたいという体を無理やりその場に留まらせるが、私もそれが限界。


 完全な悪意に晒されていることが分かってしまっているという事がその拘束力を高めているのだろう。


「ツルギ様.......残りは屋敷の方で。」


 赤い布で全身を覆った男が拘束された数名を更にロープで繋ぎ、連れて行く。そしてワラワラと集まった赤い布の人間が血にまみれたモノを掻き集めていく。


 私は俯くようにして歩き出したシルクの後を追った。


「僕は疲れた。ダメだ.......もう。」


「ツルギ様.......。また。」


 シルクの横を歩く女は私に気づいた様で気まずそうにそれをシルクに示す。無表情が顔がこちらに向けられたことに気づく。


「話すのも今日で最後なんだ。申し訳ないが。」


 女はそれに気づいた様で、ゆっくりと距離を取っていく。私がゆっくりと近づくと、彼は屋敷の内部へと手招きする。二階へと続く階段を登る。カツカツという冷たい音が響いていく。


「貴様の理想はどこにある。」


「理想は理想。あるとしてもこの世界には既に無いよ。」


 シルクは酷く悲しい声で答える。


「あの老婆にはどう伝えるつもりだ?」


「俺の目標は達せられた。自体が片付き次第逢いに行くことにするさ。お前も先を急ぐんだろう?

これでもう何も気にすることは無いはずだろう。」


「あぁ。そうだな。」


 私はこれ以上何かをする気も起きず、ただそう答えると言葉を発することが出来なくなってしまった。


「俺もやる事が山積している身になってしまったんだ。用がないならこれでさようならだ。申し訳ないと思ってるが、お前が本当に神様だと言うならばその理想をいつか具現してくれ。俺には出来なかったことだからな。」


 シルクはそう言って奥の部屋へと入っていく。豹変という言葉がこれ以上に似合うモノには出会ったことが無い。小さく見えた背中が扉に遮られ、ようやく自身の意識がその背中から離れる。私はただ階段を下り門を潜る。


「もう良いのですか?」


 入口で待っていた女は驚いたように問いかけてくる。


「あぁ。」


 私はそう返事をして広場の方へと歩き出す.......。


「貴様はあの男が本当に相応しいと思うのか?」


 問わなくてはいられない、そう思ってしまい彼女に問いかける。振り返ると彼女も笑顔でこちらに振り返っていた。


「ええ。この街を任せられるのは彼しかいません。」


 私はその答えを受け入れる気になれず、また背を向ける。人間を狂信させてしまう謎の資質.......私には到底理解できない原理で彼は成しているのだろう。


「下らない。」


 苛立ちで強く地面を蹴り、私はボロ屋へと戻る。


「もうこの街に用はない。」


 私は戻るなりそう告げる。暗く沈んだ雰囲気だったがそうであることを全員知っていたようで私が歩きだすとその後ろでいくつもの音が交わる。


 茂みの奥で倒れ込んだ茶色い生物。


「乗るといいネ。でも近い街で食料を.......。」


 クルネが馬に跨る。酷く疲弊したように見えたそれは立ち上がり、私たちは荷台へと体を運ぶ。全員が乗り込んだところで馬車はゆっくりと走り出す。


 この街にもう居たくはない。ただその共通意識が我々の体を動かしている.......そう思わせてしまう。


「私は疲れた。」


 小さく呟く。体の疲労ではないのだがどうしてか体が怠くて仕方が無いように感じている。重い体はまるで他人のものの様に言うことを聞いてくれない。


「ヴァイス様には申し訳ありません.......ですが私も二度と来たくないと思ってしまいました。」


 ミルラがそう声を出す。私は共感してしまうばかりで上手い返答が欠片も浮かぶことは無かった。


 ゆっくりながらも走り続けた馬車。しかし、その道は見覚えが無い。どこに向かっているというのか。考えはするもののそれを聞くことすら面倒に感じてしまい、ただ進むがままに任せる。


「確かここら辺にあったはず.......だったんだけどネ。」


 一時間程度だろうか。走り続けた後にクルネが辺りを見回している。しかし目的のものは見つけられなかったようで、よろよろとまた馬車が走り出す。そうしてまた一時間ほど道と呼べない道をひたすらに進む。


 そうしてようやく一つの小さな街のが目の前に現れた。いくつかの家々が立ち並び、その周りに店のようなものが点々とする。小さな小さな街であったが、クルネが探していたもののようで小さな体で喜んでいた。


 馬車が街の外で止まる。そして小さな体で街の中へと駆けていくと直ぐに大きな藁の塊を抱えてこちらへと戻ってくる。ドサッとそれを置くと力尽きた様にその場に倒れ込んだ。


 馬はよろよろと藁を食べ始め、いくらか食べるとその場で横に転がった。ぐるりと体を巻く様子を見たクルネは嬉しそうに笑みを浮かべる。そんな姿に少し心が和んだように感じた。


「そんな所で寝ちゃ風邪ひく。」


 女が寝そべったクルネを背に乗せる。そして馬車から降りた私たちに気づいたのか、チラリとこちらを見ると街の方へと歩き出す。


「着いてきな。」


 訳も分からずに、彼女の後をついて行くと一つの民家の中へと入っていく。そして中では無言でただこちらを見つめる。入れという意味かと思い、後ろを振り返るが誰もその意味を理解出来ず兎に角進んだ。


 全員が入り切ると、女は戸を締める。暗い外では姿が分からなかったが女はボサボサとした赤い癖毛を伸ばしており、細く切れ長な瞳は睨まれていると感じてしまう。


「あの.......」


 ミルラが何かを言いかけるが、それを無視するように部屋の中へと進む姿に声を失っていた。部屋の中は完全な木造であり、裸体の木特有の香りと淡い黄色が印象的である。ゆらゆらと部屋の中央にある囲炉裏からでる光は高い天井に映えて幻想的にすら思える。


「勝手に休め。」


 女はクルネを囲炉裏の近くに寝せると、そのまま自身も横に転がった。私たちはわけも分からないが見合ってみれば疲労の色はお互いに濃いことを理解する。


 そうして体を床に沿わせてみれば優しい暖かさが体を包むようで眠っていたはずの疲労が体を蝕む。ぼうっと目を閉じれば意識はそのまま吸い込まれた。

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